はじめに
企業間の共同事業や著作権を共有する取引は、相互の信頼関係を背景に、合意書の押印や契約条項の細部を詰めないまま、事業の実態が動き出してしまうケースが、少なくありません。しかし、後に紛争となった場合には、合意書の有無やその内容が、結論を左右することがあります。
今回のコラムでは、共同事業合意書が双方の押印を欠いたまま事業が進行した事案において、共同事業の合意の成否及びこれに関連する著作権侵害の成否が問題となった、知的財産高等裁判所平成28年2月17日判決(いわゆる「トムとジェリー格安DVD事件」)を紹介いたします。
本判決は、共同事業の合意成立の有無を判断する際の考慮要素を具体的に示している点で、契約実務や知的財産分野のコンプライアンスを担当する企業の方にとって、参考となる裁判例です。
事案の概要
被控訴人(一審原告。以下「A社」といいます。)は、保護期間が満了した「トムとジェリー」30作品(本件各作品)について、新たに日本語音声を収録し直したDVD(被控訴人商品)を制作・販売していました。被控訴人商品に収録された日本語音声の台詞(本件著作物)は、A社が著作権を有する著作物です。
控訴人(一審被告。以下「M社」といいます。)は、本件著作物が収録されたDVD(控訴人商品)を製造・販売していました。
平成22年8月頃、A社代表者は、M社の当時の代表取締役(附帯被控訴人)に対し、「ミッキーマウス」16作品及び「トムとジェリー」30作品を対象とする共同事業を提案し、共同事業合意書(本件合意書)案を交付しました。M社は、平成22年9月21日及び22日にA社名義の口座へ合計90万5000円を振込送金しましたが、本件合意書には双方の押印がされませんでした。
その後、M社は、A社代表者から交付されたDVD(本件DVD)を複製して控訴人商品を製造し、平成23年4月22日付けで第三者である株式会社コスミック出版に対し、本件各作品に係るDVDの複製・頒布を1タイトル10万円で許諾しました。控訴人商品には、A社及びM社のいずれの名称も表示されておらず、著作権者についての記載もありませんでした。
A社は、M社による控訴人商品の輸入・複製・頒布行為が著作権(複製権及び譲渡権)を侵害するとして、輸入・複製・頒布の差止め及び損害賠償405万円を求めました。
一審判決は、A社のM社に対する請求を一部認容し、控訴人商品の輸入・複製・頒布の差止め及び損害賠償15万3000円の支払を認めましたが、附帯被控訴人個人に対する請求は棄却しました。M社が控訴し、A社が控訴人及び附帯被控訴人に対し附帯控訴したのが、本件です。
本件の経緯を時系列で整理すると、以下のとおりです。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 平成22年8月頃 | A社代表者がM社代表取締役(附帯被控訴人)に対し、共同事業を提案し、本件合意書案を交付 |
| 平成22年8月31日 | A社がM社に対し、「日本語吹替え制作費の半金」138万6000円の請求書を送付 |
| 平成22年9月21日・22日 | M社がA社名義の口座へ合計90万5000円を振込送金(本件合意書への押印はなし) |
| 平成22年秋以降 | A社代表者が附帯被控訴人に対し、本件DVDを交付 |
| 平成23年4月22日 | M社がコスミック出版に対し、本件各作品に係るDVDの複製・頒布を1タイトル10万円で許諾 |
| 平成26年3月頃 | A社がM社及び附帯被控訴人に対し、本件訴訟を提起 |
| 平成27年8月28日 | 原審判決(東京地裁):A社のM社に対する請求を一部認容、附帯被控訴人に対する請求を棄却 |
| 平成28年2月17日 | 控訴審判決(本判決):M社の控訴を棄却、A社の附帯控訴を一部却下・一部棄却 |
本件の争点
本件の争点は、以下のとおりです。
| 争点 | 内容 |
|---|---|
| 争点① | 本件各作品に係る共同事業の合意の成否 |
| 争点② | 附帯被控訴人(M社の元代表取締役個人)に対する請求の可否 |
| 争点③ | 被控訴人(A社)の損害額 |
裁判所の判断
争点① 本件各作品に係る共同事業の合意の成否
裁判所は、A社とM社との間で、本件各作品に係る共同事業の合意の成立を認めることはできないと判断しました。
M社は、振込送金、本件DVDの交付、A社代表者から送られた電子メール(本件メール)等を根拠に、合意の成立を主張していましたが、裁判所は、これらを総合的に検討した上で、合意成立を否定しました。裁判所が、合意の不成立を裏付ける事情として考慮した主な事実は、以下のとおりです。
| 番号 | 考慮した事情 |
|---|---|
| ① | 本件合意書には控訴人及び被控訴人のいずれも押印しておらず、共同事業の合意の存在を直接裏付ける書面等の客観的な証拠が存在しないこと |
| ② | 被控訴人(A社)は、他社(イーエックス等)との間ではいずれも双方が捺印したコンテンツ提供契約書を取り交わしていたこと |
| ③ | 本件共同事業は「ミッキーマウス」16作品及び「トムとジェリー」30作品の両方を対象とするものであり、いずれか一方のみを対象とすることは想定されていなかったこと |
| ④ | 控訴人に交付された本件DVDは、商品化を目的とするマスターではなく、検証版DVD-Rであったと推認されること |
| ⑤ | 控訴人は、被控訴人に無断で第三者(コスミック出版)に対し本件各作品に係るDVDの複製・頒布を許諾しており、これは本件共同事業の範ちゅうを超えるものであること |
| ⑥ | 控訴人商品には、控訴人及び被控訴人いずれの名称も表示されておらず、著作権者についての記載も見られないこと |
裁判所は、合意書の不存在に関し、以下のように判示しています。
「本件証拠上、ほかに、本件共同事業に関し、控訴人と被控訴人との合意の存在を直接裏付ける書面等の客観的な証拠は、存在しない。」
「被控訴人において、それらのコンテンツ提供契約とは異なり、本件商品に関する著作権等の権利を共同で所有するという重要な事項を含む取引につき、それに関する合意の事実を明示する両者の捺印がされた書面等を取り交わすこともなく、合意に至ることは、考え難い。」
また、本件DVDの性質について、本件合意書の制作主体に関する条項との整合性を踏まえ、以下のように判示しています。
「本件合意書においては、『販売に関しては、共同で行う』と記載されているのに対し、『制作に関しては、甲(被控訴人)が主体となり、責任を持って行う。』と記載されており、本件共同事業においては、控訴人が商品制作に携わることは予定されていなかったものと推認することができる。そのような控訴人に対し、被控訴人がマスターとなるプラントダイレクト形式のDVD-Rを渡すことは、考え難い。」
さらに、控訴人商品の体裁について、以下のように判示しています。
「控訴人商品には、控訴人及び被控訴人いずれの名称も表示されておらず、そもそも著作権者についての記載自体、見られない…。控訴人が、その主張するとおり、本件各作品に係る共同事業の合意に基づいて控訴人商品を製造、販売しているのであれば、控訴人商品について上記のとおりの体裁とすることは、不自然といわざるを得ない。」
加えて、第三者との契約について、以下のように判示しています。
「控訴人が、被控訴人との間で本件各作品に係る共同事業について合意しているのであれば、被控訴人に無断で…このような契約を締結することは、考え難い。」
争点② 附帯被控訴人(M社の元代表取締役個人)に対する請求の可否
裁判所は、A社の附帯被控訴人個人に対する附帯控訴は不適法であるとして、これを却下しました。
その理由として、裁判所は、原判決が附帯被控訴人個人に対する請求を棄却していたところ、控訴人(M社)のみが控訴を提起し、A社は原判決の送達を受けた平成27年8月28日から2週間の控訴期間内に控訴を提起しなかったことから、共同訴訟人独立の原則(民訴法39条)により、A社の附帯被控訴人個人に対する請求は、控訴期間の満了によって確定したと判断しました。したがって、控訴審における審判の対象とはなりません。
争点③ 被控訴人(A社)の損害額
裁判所は、A社の損害額を15万3000円と認定しました。
著作権法114条2項による損害の算定に当たって、A社は、M社が少なくとも控訴人商品を計1万5000枚販売しており、1枚当たりの利益額は270円を下回らないとして、405万円の損害賠償を求めていました。しかし、裁判所は、M社が自認する1枚当たりの利益額17円及び販売数量合計9000枚を超える立証はないとして、利益の総額を15万3000円(17円×9000枚)と算定しました。
裁判所は、この点について以下のように判示しています。
「本件著作権侵害に係る著作権法114条2項による損害の算定に当たっては、被控訴人において本件著作権侵害によって得た利益の額及び販売数量を立証すべきであるところ、控訴人において自認する控訴人商品1枚当たりの利益額17円及び販売数量合計9000枚という以上の立証はない。」
コメント
本判決は、共同事業に係る合意書が双方の押印を欠いていた事案について、合意の成立を否定した事例です。本判決から、企業の実務上、参考となる点としては、以下の点が挙げられます。
(1)合意書への双方の押印の必要性
合意書への双方の押印が、合意成立の有無を判断する重要な事情とされていることです。本判決は、被控訴人(A社)が他の取引先とは双方が捺印した契約書を取り交わしていたという事情にも言及しており、当事者の従前の取引慣行が、合意成立の有無を判断する上で考慮されています。
著作権を共同で保有するなど重要な事項を含む取引については、合意書を作成し、双方が捺印した上で保管しておくことが、紛争予防の観点から望まれます。
(2)相手方から交付された素材の法的性質の確認
相手方から交付された素材の法的性質を、客観的に把握しておく必要があるということです。本判決では、交付されたDVDがマスターであるか検証版であるかが争われ、本件合意書の制作主体に関する条項と整合する形で、検証版であると推認されました。素材を受領する際には、その用途や法的地位について、書面で確認しておくことが望まれます。
(3)合意成立を前提とした行動の必要性
合意の存在を主張する側が、合意成立を前提としない行動をしていた場合、その主張は採用されにくい点に留意する必要があります。本判決では、M社が被控訴人に無断で第三者に複製・頒布を許諾したこと、控訴人商品に控訴人及び被控訴人いずれの名称も表示されていなかったことが、共同事業の合意成立を否定する事情として考慮されました。
また、原審(東京地裁平成27年8月28日判決)は、A社及びM社の双方が、共同事業の成立を前提とした行動を取っていなかったことも、合意不成立を裏付ける事情として指摘しています。具体的には、A社・M社のいずれも、相手方に対し、原告商品又は被告商品の販売等で得た利益の分配や販売数量等の報告を行っておらず、本件合意書第3項に定められていた「売り上げから製造費等の経費を除いた利益を折半する」旨の条項に従った行動を取っていなかった点が、認定されています。原審は、以下のように判示しています。
「原告は被告会社に対し、これまで原告商品の販売等で得た利益を被告会社に現に分配していないばかりか、販売数量等の報告すらしていないし…、被告会社もまた、原告に対して被告商品の販売数量等の報告をせず、利益の分配もしていないのであって…、原告及び被告会社ともに、共同事業が成立したことを前提とした行動を取っていない。」
共同事業として行動するのであれば、合意の範囲内で行動し、利益分配や販売状況の報告といった運用面についても、合意内容と整合させることが、求められます。
(4)著作権侵害訴訟における損害額の立証責任
損害論については、著作権法114条2項による算定において、利益額及び販売数量の立証責任が、侵害された側にあることが、改めて示されました。本件では、被告が自認する利益額及び販売数量を超える立証がないとされ、認定された損害額は15万3000円にとどまっています。著作権侵害訴訟においては、相手方の販売実態を立証するための証拠収集が、結論に影響します。
(5)代表取締役個人に対する責任追及の限界
会社の代表取締役個人に対する責任追及については、原審(東京地裁平成27年8月28日判決)において、A社の被告A(M社の元代表取締役個人)に対する請求が棄却されています。
A社は、本件の首謀者は被告Aであり、M社は税務対策上の名義会社にすぎないとして、被告A個人の責任追及を求めていました。これに対し、原審は、被告A自身が被告商品を輸入・複製・頒布した事実が認められず、また、M社の法人格を否認すべき事情も見当たらないとして、A社の請求を棄却しました。原審は、以下のように判示しています。
「本件証拠上、被告A自身が被告商品を輸入、複製、頒布した事実はこれを認めるに足りないし、被告会社の法人格を否認すべきほどの事情も見当たらない。」
代表者個人に対し、著作権侵害を理由とする差止めや損害賠償を請求するためには、原告は、当該個人による侵害行為の事実、又は法人格否認の法理を適用すべき事情を、立証する必要があります。共同事業や著作権を共有する取引において紛争が生じた場合、誰を相手方として請求を行うかという当事者選択は、訴訟戦略上の重要な判断事項となります。
おわりに
本判決は、共同事業の枠組みで著作物に関するビジネスを行う企業に対し、合意書の作成・押印、素材の法的性質の確認、合意内容に整合した行動の重要性を、改めて示すものです。共同事業合意の有無や著作権侵害の成否が問題となる場面では、紛争リスクが顕在化する前の段階で、弁護士に相談することが有益です。
当事務所は、著作権法を含む知的財産分野について、幅広く相談・ご依頼を受けています。本判決と類似する事案に直面されている企業の方、共同事業や著作権を共有する取引を始める前に合意書の確認をされたい企業の方は、本ウェブサイト右上の問い合わせフォームより、ご連絡ください。
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