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インサイダー取引規制における「職務に関し知った」の判断基準(東京地裁令和元年5月30日判決)

東京地方裁判所民事第51部 令和元年5月30日判決(平成27年(行ウ)第51号 課徴金納付命令処分取消等請求事件)

はじめに

インサイダー取引規制は、金融商品取引法(以下「金商法」といいます。)166条が定める規制で、上場企業に関する重要事実を知った会社関係者および情報受領者が、当該重要事実の公表前に当該企業の株式等を売買することを禁じています。

上場企業の公募増資の引受を担当する証券会社においては、引受業務を担当する部署(株式資本市場部等)は、当然に当該重要事実に接する立場に置かれます。もっとも、実務上よく問題となるのは、同じ証券会社に属しながら当該業務を担当していない従業員(金商法上の「担当外役員等」)が、職務上のやり取りを通じて何らかの情報を入手した場合に、インサイダー取引規制の適用を受けるかどうかという点です。

今回のコラムでは、この問題を正面から取り上げた東京地裁令和元年5月30日判決(以下「本判決」といいます)について解説いたします。

本判決は、①担当外役員等が重要事実を「職務に関し知った」といえるための要件(金商法166条1項5号)、および②重要事実の「伝達を受けた」ことの認定方法(同条3項)という、インサイダー取引規制の実務上参照価値の高い2点について判断を示しており、実務上参考になります(なお、本判決は双方から控訴がなく、第一審で確定しています)。

事案の概要

当事者の関係

当事者概要
原告 X(MAM PTE. LTD.)シンガポール共和国法人。ファンドの投資一任契約に基づき資産運用を行う投資運用会社。
被告 Y(国)処分行政庁は金融庁長官。
FJPモルガン証券のセールストレーディング部のセールストレーダー。本件では「担当外役員等」として問題となった人物。
D・E原告のファンドマネージャー。課徴金納付命令において「情報受領者」とされた。

経緯

JPモルガン証券(以下「同社」といいます。)は、日本板硝子株式会社(以下「日本板硝子」といいます。)が平成22年(2010年)8月に実施した公募増資(目標調達額400億円以上。以下「本件公募増資」といいます。)において、共同主幹事証券会社(グローバルコーディネーター)を務めていました。

同社の内部では、株式資本市場部(以下「ECM」といいます。)が、公募増資の公表前から引受契約の締結交渉等の事務を一括して担当していました。一方、セールストレーディング部や株式営業部は、公募増資の公表後に顧客への営業活動を担当する部署であり、両者の間には情報隔壁(いわゆるチャイニーズ・ウォール)が設けられていました。

F は、同社のセールストレーダーとして、顧客である機関投資家への株価動向等の情報提供や株式売買の受注・執行等を職務としていました。原告のファンドマネージャーである D および E も、F が担当する顧客の1社でした。

平成22年7月27日、F と D の間で、ブルームバーグのチャットシステム上において日本板硝子株に関するやり取り(以下「本件チャット」といいます。)が行われました。D は、翌28日以降に日本板硝子株の空売りを開始し、本件公募増資が公表された同年8月24日(以下「本件公表日」といいます。)までの間、取引を継続しました(以下「本件各取引」といいます。)。

証券取引等監視委員会(以下「監視委員会」といいます。)は、調査の結果、D らが F から本件公募増資に係る重要事実(日本板硝子の業務執行を決定する機関が本件公募増資を行うことについての決定をしたこと。以下「本件重要事実」といいます。)の伝達を受けてインサイダー取引を行ったと認定し、金融庁長官に課徴金納付命令の発出を勧告しました。これを受けて、金融庁長官は、平成26年12月26日付けで、原告に対し課徴金804万円を国庫に納付することを命ずる旨の処分(以下「本件処分」といいます。)を行いました。

原告は、F はそもそも本件重要事実を職務に関し知っていなかったこと、D らは F から本件重要事実の伝達を受けていないことなどを主張して、本件処分の取消しを求めました。

本件の争点

本件の争点は以下のとおりです。

争点争点の内容根拠規定
争点①F は、ECM の担当者(「契約担当役員等」)との職務上の関わり合いを通じて、本件重要事実を「職務に関し知った」といえるか金商法166条1項5号
争点②D らは、F から本件重要事実の「伝達を受けた」といえるか(傍論)金商法166条3項

なお、原告は本件審判手続の有効性(審判官の任命資格等)についても争いましたが、本稿では上記2点(予備的請求に係る部分)に絞って解説します。

裁判所の判断

争点①について——「職務に関し知った」の解釈

裁判所は、まず金商法166条1項5号の趣旨について、次のとおり判示しました。

「一般に、法人においては、複数の部署が関わり合いを持って業務を遂行するのが通常であり、相手方法人の契約担当役員等が、その職務の遂行上、担当外役員等と直接又は間接の関わり合いを有することにより、当該重要事実が担当外役員等に伝わる可能性が類型的に存在することから、相手方法人の契約担当役員等のみならず担当外役員等も、所定の要件を満たす場合に同項の会社関係者に該当するものとして上記規制の対象に含めるとしたものと解される。そして、金商法166条1項5号が、相手方法人の担当外役員等が同項の会社関係者に該当するための要件として、『その者が役員等である当該法人の他の役員等が、それぞれ第2号又は前号に定めるところにより当該上場会社等に係る業務等に関する重要事実を知った場合におけるその者に限る。』と規定し、また、担当外役員が重要事実を『その者の職務に関し知ったとき』に限って取引を規制することとしているのは、相手方法人の担当外役員等が、同法人の契約担当役員等が契約の締結や交渉等に関して重要事実を知った場合に、その契約担当役員等との直接又は間接の職務上の関わり合いを通じて当該重要事実を知り得る立場にあることを前提とし、そのような立場にある者が職務上知った当該重要事実に係る情報を利用して行われる取引を規制しようとするものと解される。」

その上で、担当外役員等が「職務に関し知った」といえるための要件として、次のとおり判示しました。

「金商法166条1項5号による取引規制の対象とされるには、契約担当役員等から担当外役員等に対し、重要事実に係る情報の全部又は一部が直接に伝達されることを要するものではないが、少なくとも、契約担当役員等が契約の締結や交渉等に関して得た重要事実に関する情報が、その契約担当役員等と担当外役員等との直接又は間接の職務上の関わり合いを通じて、当該担当外役員等の知るところとなったことを要するものと解するのが相当である。」

さらに、証券会社の従業員のように株式取引・営業業務に携わる者は、日常業務を通じて、独自に重要事実に関する情報(噂・推測を含む)を入手することがあり得るとした上で、そのような場合の判断基準を次のとおり示しました。

「このように担当外役員等が契約担当役員等とは別の経路から重要事実に関する何らかの情報を入手した場合において、金商法166条1項5号による取引制限の対象に当たるというためには、当該別経路による情報だけでは重要事実を知ったというのに十分でなかったものが、契約担当役員等との直接又は間接の職務上の関わり合いを通じて得られた情報(内部情報)を加えたことにより重要事実を知るに至ったと認められることが必要であり、例えば、別経路による情報は単なる推測や噂にとどまるものであったが、内部情報によりこれが確実なものであると裏付けられた場合などは、これに当たるものというべきである。」

争点①の当てはめ

裁判所は、以下の事情を具体的に検討しました。

考慮事情内容裁判所の評価
F が市場から得ていた情報平成22年7月中旬頃、日本板硝子が近いうちに大和証券を主幹事として公募増資を行うという市場関係者の間の噂に接していた公開情報・噂の範囲にとどまる。予想された公表日(8月5日)と実際の公表日(8月24日)が異なっており、内部情報に基づくものとは認められない
ECM からの日本板硝子株に係るフロー照会の有無被告は、ECM の G が平成22年7月中旬頃、F に対し数日間連続してフロー照会を行ったと主張した連続したフロー照会の事実は証拠上認められなかった。また、フロー照会は公募増資以外の場合にも日常的に行われており、フロー照会があるというだけでは公募増資の実施が確実であることと直ちに結び付く情報とはいえない
株式営業部の上司による発言等上司 I が「F、休むなよ。」と発言したこと、夏季休暇を事前申請するよう指示があったことこれらはキックオフミーティング(7月6日)前の発言・指示であり、公募増資との関連性が明らかでない。株式営業部自体も情報隔壁の外に置かれた部署であり、単なる推測・噂に基づく言動の可能性がある

以上の事実認定を踏まえ、裁判所は次のとおり結論付けました。

「そうすると、本件の事実関係の下では、Fが、日本板硝子の公募増資に関する自らの推測や市場関係者の間における噂等の情報に加えて、契約担当役員等との直接又は間接の職務上の関わり合いを通じて得られた情報により、本件重要事実を知るに至ったとは認められないから、本件重要事実をその職務に関し知ったと認めることはできない。」

争点②について——重要事実の「伝達を受けた」ことの認定(傍論)

裁判所は、争点①の結論により D らが情報受領者に当たらないことが定まるとしながら、事案に鑑みて争点②についても傍論として判断しました。

裁判所が考慮した事情は以下のとおりです。

考慮事情内容裁判所の評価
本件チャットの内容F が D に対して「日本板硝子株は8月に注目に値する」と記載したのみで、公募増資については何も触れられていなかった単なる取引推奨の趣旨と理解されるものであり、重要事実の伝達とは認められない
F と D との関係F は平成22年5月に前任者から D を顧客として引き継いだばかりであり、D はシンガポール在住であったため F と会う機会は1回のみであった暗黙の共通認識が醸成される土壌は乏しく、黙示的な情報伝達の前提を欠く
原告の顧客としての重要度JPモルガン証券において、原告は顧客の重要度として最下位に位置付けられていたD が F から特別な情報提供を受けられる立場にあったとはいえない
平成22年8月9日のチャット空売り後に株価が上昇した時点で、D は F に「非常にやられてしまった。買い戻すか否か迷っています。」と送信した本件重要事実の伝達を受けていれば、公募増資公表後の株価下落を見込んで空売りを継続するのが自然であり、この言動は重要事実の伝達を受けた者の行動として不自然である
売り建玉の解消のタイミングD は本件公表日(8月24日)直前の8月23日・24日に、217万8,000株超の売り建玉を全て解消した本件重要事実の伝達を受けていれば、公表後の株価下落を待って売り建玉を維持するのが自然であり、公表直前に全て解消した行動は不自然である

裁判所は、以上の事情を総合して、D らへの重要事実の伝達も認めることができないと判断しました。

結論

裁判所は、①F が本件重要事実を職務に関し知ったとは認められず、②D らへの伝達も認められないとして、本件処分(課徴金804万円の納付命令)を取り消しました。

コメント

1 本判決の意義

本判決は、金商法166条1項5号の「職務に関し知った」という要件について、担当外役員等が重要事実を知ったといえるための事実の内容と判断の枠組みを詳細に示した点で、実務上参照価値の高い裁判例です。

本判決は、「伝播」という概念に依拠した従前の高裁判断と異なり、「職務上の関わり合いを通じて」という表現を用いることで、規制の射程をより明確化しようとしたものと評価することができます。

また、証券会社のセールストレーダーのように日常的に多くの市場情報にさらされる者については、そのような者が独自に入手し得る外部情報と内部情報とを区別した上で、内部情報が重要事実の認識に果たした役割を検討するという判断の枠組みを示した点は、実務上の指針として参照に値します。

さらに、本判決の傍論は、重要事実の「伝達」の有無の認定にあたって、取引行動・チャットの内容・関係者間の関係性・情報提供の動機等の多様な間接事実を総合考慮する枠組みを示したものとして、同種事案における立証・認定の指針となります。

2 企業に求められる対応

本判決を踏まえると、上場企業と契約を締結する証券会社やコンサルティング会社等の法人においては、以下の点を確認することが有益と言えます。

(1)情報隔壁の整備と適切な運用

本件では、ECM とセールストレーディング部・株式営業部の間に情報隔壁(ファイアウォール)が設けられていたことが前提となっています。しかし、情報隔壁を設けているだけでは十分ではなく、フロー照会等の日常的な職務上のやり取りの態様・内容が、担当外役員等の「職務に関し知った」の認定に影響する可能性があることを本判決は示しています。

金融庁は、インサイダー取引規制の概要と考え方をまとめた資料として「インサイダー取引規制に関するQ&A」をウェブサイトで公表しており、情報管理体制の整備・運用にあたっての参考となります。情報隔壁の形式的な設定にとどまらず、隔壁を超える可能性のある職務上のやり取り(フロー照会・部門横断的なミーティング等)についても、その方法・対象・内容を適切に管理・記録する体制を整えることが重要です。

(2)重要事実に関わり得る職務上のやり取りの記録と管理

本判決では、フロー照会の内容・頻度・対象銘柄等について、証拠上の立証が問題となりました。法人として、重要事実に関わり得る職務上のやり取り(照会・ミーティングでの発言・電子メール・チャット等)を適切に記録・保管しておくことは、万一の紛争において事実関係を明らかにする上でも重要です。

(3)従業員に対する継続的な研修・教育の実施

証券取引等監視委員会(SESC)は、インサイダー取引に係る課徴金事例を分析した「インサイダー取引に係る課徴金事例集〜その分析と解説〜」をウェブサイトで定期的に公表しています。この資料は、インサイダー取引に該当するとされた具体的な事案と法的分析を含んでおり、社内研修の教材として活用できます。

本判決が示したように、担当外役員等が重要事実を直接知らされた場合でなくても、職務上の関わり合いを通じた内部情報によって重要事実を知るに至った場合には規制対象となり得ます。担当外の立場にある従業員が、日常業務で得た情報と公募増資等の重要事実との関連性を意識できるよう、研修を通じた継続的な意識付けが重要です。

(4)情報伝達(いわゆるティッピング)の禁止の徹底

本判決の争点②は、会社関係者から情報受領者への重要事実の伝達(いわゆるティッピング)の認定に関するものです。重要事実を「職務に関し知った」会社関係者が当該重要事実を第三者に伝達した場合、伝達を受けた者(情報受領者)もインサイダー取引規制の対象となります(金商法166条3項)。

本判決の傍論が示したように、情報伝達の有無は、チャットや電子メール等の内容のみならず、関係者間の取引行動・関係性・情報提供の動機等の多様な間接事実の総合評価によって判断されます。したがって、法人としては、重要事実の公表前において、顧客等への不適切な情報提供が行われないよう、内部手続の整備と徹底が求められます。


本コラムは、一般的な情報提供を目的として作成したものであり、個別の法律上のアドバイスではありません。具体的な事案については、本ウェブサイト右上の問い合わせフォームよりご連絡ください。