03-6550-9202 (受付時間 平日10:00〜17:00)

お問い合わせ

労災保険給付支給決定に対し事業主は取消訴訟を提起できるか(最高裁令和6年7月4日判決:人事担当者のための労働法)

はじめに

「うちの従業員が労災認定を受けたが、本当に業務上の疾病とはいえないと思う。この支給決定を会社として取り消すよう求めることはできないのか」

このような疑問を持つ企業の担当者は少なくないと思います。特に、労働保険料がメリット制(後述)の適用を受ける一定規模以上の企業にとっては、労災保険給付の支給決定が翌々年度以降の保険料の増額につながり得るため、会社として争いたいと考えるケースもあります。

最高裁令和6年7月4日判決(令和5年(行ヒ)第108号)は、この問題について初めての判断を示しました。

今回のコラムでは、上記最高裁判決の内容と企業実務への影響について、概要を解説いたします。

事案の概要

札幌中央労働基準監督署長は、一般財団法人あんしん財団(以下「X」)に使用されて業務に従事していた労働者Z(以下「Z」)に対し、Zが業務に起因して疾病にり患したことを理由として、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」)に基づき、療養補償給付および休業補償給付の各支給決定(以下「本件各処分」)をしました。

Xは、メリット制(後述)の適用を受ける特定事業の事業主であり、本件各処分がされることにより自社の翌々年度以降の労働保険料が増額されるおそれがあるとして、国(Y)を被告として本件各処分の取消しを求める訴訟を提起しました。

【メリット制とは】

メリット制とは、一定規模以上の継続事業(特定事業)を対象に、事業主が納付すべき労働保険料を、当該事業における過去3年間の労災保険給付の実績(「メリット収支率」)に応じて、基準の労災保険率から一定の範囲で増減させる制度です(労働保険の保険料の徴収等に関する法律〔以下「徴収法」〕12条3項)。この制度は、事業主間の負担の公平を図るとともに、事業主による災害防止の努力を促進することを目的としています。

すなわち、特定事業において労災保険給付の支給決定がされると、そのぶんメリット収支率が上昇し、結果として当該事業主の翌々年度の労働保険料が増額されるおそれがあります。

本件の争点

本件の争点は、以下のとおりです。

争点内容
争点①メリット制の適用を受ける特定事業の事業主は、その事業についてされた労災保険給付支給決定(労災支給処分)の取消訴訟において、原告適格(行政事件訴訟法9条1項の「法律上の利益を有する者」)を有するか

裁判所の判断

各審級の判断の概要

第1審(東京地判令和4年4月15日)

特定事業の事業主は、労災支給処分の取消訴訟について原告適格を有しないとして、訴えを却下しました。労災保険法は専ら被災労働者等の法的利益の保護を目的とし、事業主の利益を考慮しないことを前提としているとして、事業主の利益を保護する法律上の根拠は見いだせないと判断しました。

原審(東京高判令和4年11月29日)

原審は、一転して原告適格を有すると判断し、第1審判決を取り消して事件を差し戻しました。主な論拠は次のとおりです。

「特定事業主は、自らの事業に係る業務災害支給処分がされた場合、同処分の名宛人以外の者ではあるものの、同処分の法的効果により労働保険料の納付義務の範囲が増大して直接具体的な不利益を被るおそれがあり、他方、同処分がその違法を理由に取り消されれば、当該処分は効力を失い、当該処分に係る特定事業主の次々年度以降の労働保険料の額を算定するに当たって、当該処分に係る業務災害保険給付等の額はその基礎とならず、これに応じた労働保険料の納付義務を免れ得る関係にあるのであるから、特定事業主は、自らの事業に係る業務災害支給処分により自己の権利若しくは法律上保護された利益を侵害され又は必然的に侵害されるおそれがあり、その取消しによってこれを回復すべき法律上の利益を有するものというべきである。」(東京高判令和4年11月29日)

すなわち、原審は、労災支給処分がされると当該処分に係る保険給付額の増加に応じて当然にメリット収支率が上昇し、翌々年度の労働保険料が増額されるおそれが生じるとの理解(後述の「当然影響説」)を前提として、原告適格を肯定しました。

最高裁(令和6年7月4日判決)——破棄自判

最高裁は、原審を破棄し、特定事業の事業主は原告適格を有しないとの判断を示しました。

最高裁の判示内容

最高裁は、まず問題の所在を次のように整理しました。

「本件においては、特定事業についてされた労災支給処分に基づく労災保険給付の額が当然に当該特定事業の事業主の納付すべき労働保険料の額の決定に影響を及ぼすこととなるか否かが問題となる。」

そして、以下の理由から、労災支給処分に基づく保険給付の額が「当然に」保険料額の決定に影響するわけではないと判断しました。

(理由①)労災保険法が行政処分で支給の可否を決定する趣旨

「労災保険法は、労災保険給付の支給又は不支給の判断を、その請求をした被災労働者等に対する行政処分をもって行うこととしている(12条の8第2項参照)。これは、被災労働者等の迅速かつ公正な保護という労災保険の目的(1条参照)に照らし、労災保険給付に係る多数の法律関係を早期に確定するとともに、専門の不服審査機関による特別の不服申立ての制度を用意すること(38条1項)によって、被災労働者等の権利利益の実効的な救済を図る趣旨に出たものであって、特定事業の事業主の納付すべき労働保険料の額を決定する際の基礎となる法律関係まで早期に確定しようとするものとは解されない。仮に、労災支給処分によって上記法律関係まで確定されるとすれば、当該特定事業の事業主にはこれを争う機会が与えられるべきものと解されるが、それでは、労災保険給付に係る法律関係を早期に確定するといった労災保険法の趣旨が損なわれることとなる。」

(理由②)メリット制の趣旨と保険料の決定方法

「徴収法は、労災保険率について、将来にわたって、労災保険の事業に係る財政の均衡を保つことができるものでなければならないものとした上で、特定事業の労災保険率については、基準労災保険率を基礎としつつ、特定事業ごとの労災保険給付の額に応じ、メリット収支率を介して増減し得るものとしている。これは、上記財政の均衡を保つことができる範囲内において、事業主間の公平を図るとともに、事業主による災害防止の努力を促進する趣旨のものであるところ、客観的に支給要件を満たさない労災保険給付の額を特定事業の事業主の納付すべき労働保険料の額を決定する際の基礎とすることは、上記趣旨に反するし、客観的に支給要件を満たすものの額のみを基礎としたからといって、上記財政の均衡を欠く事態に至るとは考えられない。そして、前記2の労働保険料の徴収等に関する制度の仕組みにも照らせば、労働保険料の額は、申告又は保険料認定処分の時に決定することができれば足り、労災支給処分によってその基礎となる法律関係を確定しておくべき必要性は見いだし難い。」

(結論)

「以上によれば、特定事業について支給された労災保険給付のうち客観的に支給要件を満たさないものの額は、当該特定事業の事業主の納付すべき労働保険料の額を決定する際の基礎とはならないものと解するのが相当である。そうすると、特定事業についてされた労災支給処分に基づく労災保険給付の額が当然に上記の決定に影響を及ぼすものではないから、特定事業の事業主は、その特定事業についてされた労災支給処分により自己の権利若しくは法律上保護された利益を侵害され又は必然的に侵害されるおそれのある者に当たるということはできない。」

「したがって、特定事業の事業主は、上記労災支給処分の取消訴訟の原告適格を有しないというべきである。」

(手続保障について)

「以上のように解したとしても、特定事業の事業主は、自己に対する保険料認定処分についての不服申立て又はその取消訴訟において、当該保険料認定処分自体の違法事由として、客観的に支給要件を満たさない労災保険給付の額が基礎とされたことにより労働保険料が増額されたことを主張することができるから、上記事業主の手続保障に欠けるところはない。」

コメント

1. 本判決の意義——「固有要件説」の確立

本判決は、「特定事業についてされた労災支給処分に基づく労災保険給付の額が、当然に当該特定事業の事業主の納付すべき労働保険料の額の決定に影響を及ぼすものではない」という立場(固有要件説)を最高裁として初めて明示したものです。

固有要件説とは、保険料認定処分において基礎となるのは、労災支給処分に基づき支給された保険給付のうち客観的に支給要件(業務起因性等)を満たすものの額に限られ、支給要件を実際には満たさないものの額はその基礎とならない、という考え方です。

本判決以前は、大要、以下のように4通りの考え方が混在し、議論が錯綜していました。

考え方原告適格違法性の承継主な根拠・採用例
①当然影響説+原告適格否定否定否定厚生労働省・労働保険審査会の従来の行政解釈
②当然影響説+原告適格否定・違法性承継肯定否定肯定本件第1審
③当然影響説+原告適格肯定・違法性承継否定肯定否定本件原審、東京高判平成29年9月21日
④当然影響説+原告適格肯定・違法性承継肯定肯定肯定理論上あり得る立場

本判決は固有要件説を採用することで、この問題に最高裁として初めて決着をつけました。結論は①と同じく「原告適格否定」ですが、その理論的根拠は異なります。

①が「当然影響説を前提にしつつも原告適格を否定」する考え方であるのに対し、本判決は「そもそも労災支給処分の額は当然に保険料決定に影響しない」という前提から出発しています。

2. 争うべき手続は「保険料認定処分」の段階

本判決が示した実務上の重要なポイントは、事業主が保険料増額に異議を唱えたい場合に争うべき処分は、労災支給処分ではなく、保険料認定処分であるという点です。

具体的には、事業主は、保険料認定処分(確定保険料決定処分)に対する不服申立て(審査請求)またはその取消訴訟において、「客観的に支給要件を満たさない労災保険給付の額が保険料計算の基礎とされ、保険料が違法に増額された」という主張をすることができます。

この考え方は、既に行政実務においても取り入れられており、たとえば、厚生労働省は、令和4年12月に「労働保険徴収法第12条第3項の適用事業主の不服の取扱いに関する検討会」(座長:荒木尚志東京大学大学院法学政治学研究科教授)の報告書をとりまとめ、同じ考え方に基づく結論を示しています。

3. 企業担当者が押さえておくべき実務上の留意点

本判決を踏まえ、前述したメリット制の適用を受ける事業主(特定事業主)は、以下の点に留意することが重要です。

(1)労災支給処分そのものを取消訴訟で争うことはできない

まず本判決により、特定事業主が労災支給処分の取消訴訟を提起しても、原告適格がないとして訴えが却下される(門前払いとなる)ことが最高裁によって明確にされました。労災認定の結果に不満があっても、その支給決定を直接の対象として取消訴訟を起こすことはできません。

(2)保険料認定処分が届いたときの対応が重要

保険料認定処分において、客観的に業務起因性が認められない事案に係る保険給付の額が計算の基礎に含まれている場合には、その処分に対して不服申立て(審査請求)または取消訴訟を提起し、「支給要件を満たさない保険給付の額が保険料算定の基礎とされた」旨を主張することになります。

保険料認定処分に対する審査請求の期間(出訴期間を含む)は限られていますので(行政不服審査法18条)、処分を受けた場合には速やかに内容を確認し、必要に応じて専門家に相談することが重要です。

(3)業務起因性に関する資料・記録の保全

保険料認定処分の段階で支給要件非該当性を主張するためには、当該疾病・傷害が業務に起因するものではないことを裏付ける資料・記録が重要となります。労働者の勤務状況、作業環境、健康管理に関する記録等を、平時から適切に管理・保存しておくことが実務上求められます。

(4)職場における安全衛生管理の徹底が根本的対応

メリット制の趣旨は、事業主による積極的な災害防止努力を促すことにあります。事業主として求められる根本的な対応は、労働安全衛生法に基づく安全衛生管理体制の整備(同法3条・10条・11条・12条等)や、職場環境の改善により、そもそも労働災害が発生しないようにすることです。

厚生労働省は、職場の安全衛生管理に関するガイドラインや支援策を公表しています。詳細は厚生労働省「職場のあんぜんサイト」をご参照ください。

4. 判決が残した課題

本判決は、固有要件説に基づき事業主の原告適格を否定しつつ、保険料認定処分の段階での争訟可能性を認めることで手続保障を確保するという枠組みを示しました。

もっとも、保険料認定処分において、実際に「支給要件の非該当性」をどのように具体的に立証し、審理するか(調査権限の有無、立証責任の所在など)については、今後の下級審裁判例や行政実務の積み重ねによって明確化される部分が残っています。

なお、本判決は令和2年法律第14号による改正前の労災保険法・徴収法を前提とするものですが、改正後の法律についても基本的な制度の枠組みは変わっておらず、本判決の射程が及ぶと考えられます。

 


本コラムは、一般的な情報提供を目的として作成したものであり、個別の法律上のアドバイスではありません。具体的な事案については、本ウェブサイト右上の問い合わせフォームよりご連絡ください。