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GPS記録による労働時間の証明と割増賃金請求(東京地裁令和6年3月28日判決:人事担当者のための労働法)

はじめに

労働時間管理が不十分な企業では、退職後の元従業員から多額の未払残業代を請求される事態が後を絶ちません。近年、スマートフォンのGPS記録(位置情報記録)が、実際の労働時間を立証する証拠として活用される事例が増えています。

東京地裁令和6年3月28日判決は、従業員のスマートフォンのGPS記録を主な根拠の一つとして会社事務所内における滞在時間を推認し、残業代(割増賃金)の一部を認定するとともに、未払賃金と同額の付加金の支払いを命じました。

本コラムでは、上記東京地裁判決の内容を解説した上で、企業の人事・労務担当者の方々が知っておくべきポイントについて説明します。

事案の概要

被告Y株式会社(以下「被告」という。)は、情報処理システムの開発・販売・人材派遣・コンサルタント業務等を目的とする株式会社です。

原告X(以下「原告」という。)は、平成27年5月に被告との間で労働契約を締結し、平成30年12月28日に退職するまでの間、東京都中央区内のビル(以下「本件ビル」という。)に所在する被告事務所(以下「本件事務所」という。)において、ハードウェア・ソフトウェア製品の販売、マーケティングおよびこれらに付随する業務に従事していました。

雇用契約書には年俸制の月額賃金とともに「(残業代を含む。)」との記載があり、被告の就業規則および年俸制規定には「年俸制なので残業代は不支給」と定められていました。しかし、被告は、タイムカード等の客観的な方法による原告の労働時間管理を一切行っておらず、時間外勤務の申請もほぼなされていませんでした。

原告は、退職後に被告に対して、①被告の代表取締役が割増賃金を支払う意思なく時間外労働を命じたとして会社法350条に基づく損害賠償、②未払割増賃金の支払、③労働基準法(以下「労基法」という。)114条に基づく付加金の支払を求めて訴訟を提起しました。

本件の争点

争点内容
争点①
割増賃金の算定基礎となる賃金(固定残業代の有効性)
雇用契約書の「残業代を含む」という記載が、有効な固定残業代の合意といえるか否か。
争点②
未払割増賃金の有無およびその額
メールの送信時刻やスマートフォンのGPS記録が、労働時間を証明する証拠として採用されるか否か、またGPS記録のない期間について推計による労働時間の認定が許されるか否か。
争点③
会社法350条に基づく損害賠償請求権の有無
時効消滅した期間の未払割増賃金について、代表取締役の行為が不法行為にあたるか否か。
争点④
付加金支払いの要否およびその額
民法405条による遅延損害金の元本組入れ後の金員も、付加金の対象に含めることができるか否か。

裁判所の判断

争点①(固定残業代の有効性)について

裁判所は、被告が主張する月40時間分の固定残業代の有効性を否定しました。

時間外労働等の対価として割増賃金を支払ったといえるためには、通常の労働時間の賃金にあたる部分と割増賃金にあたる部分とを判別できる必要があります(最高裁平成6年6月13日第二小法廷判決・集民172号673頁、最高裁平成29年7月7日第二小法廷判決・集民256号31頁等参照)。本件について、裁判所は次のように判断しました。

「就業規則や上記雇用契約書において原告の賃金における割増賃金に当たる部分は明らかにされていなかったというべきであり、本件全証拠によっても、原告に支払われた年俸について通常の労働時間の賃金に当たる部分と割増賃金に当たる部分とを判別することができるとは認められない。」

被告は、社内ルールに「退社時間は遅くともPM9時まで」との記載があることを根拠に、月40時間分が固定残業代として含まれていたと主張しました。

しかし、裁判所は、そもそも社内ルールは就業規則ではないこと、「PM9:00を超える作業実施は人事評価(給与査定)での評価が下がる要因となります」という記載からすれば人事評価上の趣旨とも解し得ること、休憩時間30分についての言及がないことなどを指摘して、この主張を退けました。

争点②(未払割増賃金の有無および額)について

(1)メール送信時刻による認定の否定

原告は、メールの送信時刻を始業・終業時刻の根拠として主張しましたが、裁判所は、これを採用しませんでした。メールは社内外のいずれからも送信可能であり、またメールの送信時刻だけでは、その前後を含めて原告が継続して被告の指揮命令下にあったとは認められないとされました。

(2)GPS記録の信用性

裁判所は、スマートフォンのGPS記録の信用性について詳細に検討した上で、これを実労働時間の認定に用いることができると判断しました。

「GPS記録をみると、いずれもおおむね本件ビル又は本件ビルの近隣に原告が一定時間滞在していたことを示すものであり、また、…警備記録から認められる原告の本件ビルへの入館時刻及び退館時刻と、GPS記録上原告の本件ビルないし本件ビル周辺における滞在の開始時刻及び終了時刻とがおおむね近接していること、…会社ホルダーへの保存記録と原告のGPS記録とが矛盾しないことが認められる。そうすると、GPS記録は相当程度信用できるといえる。」

GPS記録の住所地が本件事務所の所在地と完全に一致しない点についても、裁判所は、「誤差」の範囲であり信用性は否定されないと判断しました。

(3)GPS記録による終業時刻の認定

GPS記録によって原告が所定終業時刻前から継続して事務所内に所在していたと推認できる時間については、裁判所は以下のとおり判断しました。

「所定労働日については、原告が休憩時間を除き、本件事務所において被告の業務以外の事柄に従事していたことはうかがわれず、Z社長は原告が所定終業時刻後も本件事務所内に残っていることがあることを認識していたこと等からすれば、GPS記録上所定終業時刻前から継続して本件事務所に原告が所在したと推認することができる時間については、原告が所定終業時刻後も引き続き被告の指揮命令に基づき労務を提供していたと推認することができる。」

なお、警備記録上退館が明らかな場合は、退館時刻の2分前を終業時刻として認定するなど、複数の客観的記録を組み合わせて終業時刻を特定しました。

その結果、GPS記録等が存在する平成29年10月23日から平成30年11月23日の期間については、未払割増賃金の合計額152万3380円が認定されました。

(4)GPS記録がない期間の推計認定の否定

他方、GPS記録がない平成30年11月24日以降の期間について、原告は他の期間の平均時間外労働時間を用いた推計での請求をしましたが、裁判所はこれを認めませんでした。

(5)元本組入れ後の遅延損害金について

原告は、民法405条による元本組入れ後の金員についても、賃金の支払の確保等に関する法律(賃確法)6条1項所定の年14.6%の割合による遅延損害金を請求しました。しかし、裁判所は、次のとおり判断し、この主張を認めませんでした。

「組入れにより組み入れられた金員は、もともと賃金ではなく、組入れによって賃金としての性質を有することになるものでもなく、単に重利の対象となったにすぎないから、これについて賃確法6条1項、同法律施行令1条を適用することはできず、これに対する遅延損害金の利率は民法の法定利率年3%によるのが相当である。」

争点③(損害賠償請求権の有無)について

時効消滅した期間(平成27年12月11日から平成29年1月10日)の割増賃金については、原告が期間内に権利行使をしなかったために消滅時効が完成し、被告がこれを援用したことによるものです。裁判所は、被告の代表取締役がその職務遂行において原告に損害を加えたとはいえないとして、会社法350条に基づく損害賠償請求を棄却しました。

争点④(付加金の支払いの要否および額)について

裁判所は、被告に割増賃金の不払いについて酌むべき事情は特段なく、本件に現れた一切の事情を考慮して、認定した未払割増賃金(平成29年1月11日から平成30年11月23日の分)と同額の付加金156万5223円の支払いを命じました。

原告は、民法405条による元本組入れ後の金員も付加金の対象となると主張しましたが、裁判所は次のとおり述べてこれを退けました。

「付加金の支払が命じられるのは、労基法37条の規定に違反した使用者に対して労働者の請求により、『これらの規定により使用者が支払わなければならない金額についての未払金』と同一額であって、労基法37条に違反したとして被告が支払わなければならない金額は上記で認定したとおりであり、原告による組入れの意思表示があったとしてもそれにより労基法37条に違反したとして被告が支払わなければならない金額が変更されるものではないから、組入れ額も含めることを前提とした原告の主張は採用できない。」

コメント

1. GPS記録による労働時間の認定──本判決の位置づけ

本判決は、スマートフォンのGPS記録を証拠として実労働時間を認定した近年のGPS記録を用いた労働時間認定に関する裁判例(東京地判令5.3.30、東京地判令4.1.5、東京地判令元.10.23、津地判平29.1.30等)の流れに沿うものです。

本判決では、①入退館記録(警備記録)との整合性、②社内ファイルサーバーへの保存記録との整合性、③GPS記録の誤差が合理的な範囲に収まっているかという3つの観点を組み合わせて信用性を肯定しました。反対に、GPS記録と矛盾する事情がある日については、個別に吟味して判断を加えています。

企業の立場からすると、入退館記録、社内サーバーのアクセスログ、セキュリティ記録などが組み合わさって、労働時間の証拠として機能する可能性があることを認識しておく必要があります。

労働時間の立証に用いられる証拠の評価にあたっては、当該記録が機械的に正確なものか、業務との関連性があるか、他の客観的証拠と整合するかといった要素を総合的に検討することが求められます(佐々木宗啓ほか編『類型別労働関係訴訟の実務〔改訂版〕Ⅰ』169頁参照)。本判決も、GPS記録単独ではなく、入退館記録や社内サーバーの保存記録との整合性を確認した上で信用性を認めており、こうした総合的な検証の手法に沿った判断といえます。

2. 労働時間の適正な把握の重要性

本件で被告が厳しい立場に置かれた背景には、タイムカード等による客観的な労働時間管理を一切行っていなかったことがあります。厚生労働省は、「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関するガイドライン」(平成29年1月20日策定)(厚生労働省ウェブサイトガイドラインPDF)において、使用者が講ずべき措置として以下を定めています(同ガイドライン2〜3頁)。

  • ・原則:タイムカード、ICカード、パソコンの使用時間の記録等の客観的な記録を基礎として、労働時間を確認・記録すること
  • ・自己申告制を採用する場合:実態調査の実施など、申告と実際の乖離がないかを確認する仕組みを設けること

このガイドラインに従った管理ができていないと、後に労使紛争が生じた際に、使用者側が反証することが困難になります。

3. 固定残業代の設計には明確な定めが不可欠

本判決は、雇用契約書に「残業代を含む」と記載するだけでは、固定残業代の有効な合意とは認められないことを改めて示しました。固定残業代が有効と認められるためには、通常の労働時間の賃金に相当する部分と割増賃金に相当する部分とを明確に区分し、何時間分の割増賃金がいくらに相当するかを労働契約書または就業規則等に具体的に記載することが必要です(最高裁平成29年7月7日第二小法廷判決・集民256号31頁等参照)。

厚生労働省も、固定残業代制度を採用する場合には、①固定残業代の時間数と金額、②基本給のうち固定残業代を除いた金額、③固定残業時間を超えた場合の追加支払いの旨を、募集要項等に明示するよう求めています(固定残業代に関するリーフレット(厚生労働省)1頁)。

4. 付加金のリスク

本判決では、未払割増賃金156万5223円に加えて、同額の付加金156万5223円の支払いも命じられました。付加金は、使用者が割増賃金の支払義務を履行しない場合に、労働者の保護の観点から課される一種の制裁的性格を持つものです(最高裁平成27年5月19日第三小法廷決定・民集69巻4号635頁参照)。

未払残業代が存在する場合、付加金も含めると実質的な支払い負担は2倍近くになります。さらに、賃確法所定の年14.6%という高い割合の遅延損害金も加わることで、長期間にわたり対応が遅れるほど総額が膨らみます。

なお、本判決は、遅延損害金を元本に組み入れた後の部分(民法405条による組入れ部分)については、賃金としての性質を持たないとして、年14.6%ではなく民法の法定利率年3%が適用されるとしており、また同組入れ部分は付加金の計算対象にも含まれないとしています。この点は、労働者側・使用者側の双方にとって実務上重要な判断です。

5. 企業に求められる具体的な対応

本判決を踏まえると、企業は以下の点を確認・整備することが望まれます。

(1)客観的な労働時間管理の徹底

タイムカード、ICカード、PCのログイン・ログアウト記録など、客観的な方法による労働時間の記録・管理を実施してください。労働時間管理が不十分だと、後に紛争となった際に使用者側が反証する手段を失いかねません。前掲ガイドライン(平成29年1月20日策定)が参考になります。

(2)固定残業代制度の見直し

固定残業代を採用している場合は、労働契約書・就業規則において、時間数・金額を明確に区分しているか確認してください。「残業代を含む」という記載のみでは、実際に多額の残業代を請求されるリスクがあります。

(3)残業申請・承認制度の適切な運用

本件では、被告が残業申請なしの残業について注意・指導をしたことがなく、また代表取締役自身が終業時刻後も残業していたことが認定を覆す事情とならなかった点が重要です。残業申請・承認制度を設けるだけでなく、申請なき残業を発見した場合に実際に是正指導を行うことが不可欠です。

(4)デジタルデータの管理への備え

従業員が業務でスマートフォンを使用している場合、そのGPS記録が労働時間の証拠として提出される可能性があります。入退館記録や社内サーバーのアクセスログなど、使用者が保有する客観的記録についても整備・保管し、労働時間の実態を正確に把握できるようにしておくことが重要です。

労働時間管理に関する問題は、対応が後手に回るほど請求額が大きくなる傾向があります。「うちの会社は大丈夫」と思っていても、タイムカード等による管理がなされていない場合、気づかないうちにリスクが蓄積している可能性があります。自社の労働時間管理体制に不安を感じた場合は、早めに弁護士にご相談ください。

本コラムは、一般的な情報提供を目的として作成したものであり、個別の法律上のアドバイスではありません。具体的な事案については、本ウェブサイト右上の問い合わせフォームよりご連絡ください。