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入職後約3か月半で精神障害を発病し自殺に至った事案の労災認定(札幌地裁令和2年10月14日判決)

はじめに

従業員が業務上の心理的負荷を原因として精神障害を発病し、自殺に至った場合、労災として認定されるかどうかは、企業にとって重大な問題です。

今回のコラムでは、吃音(きつ音)のある新人看護師が、入職後わずか約3か月半で適応障害・うつ病エピソードを発病し、自殺に至った事案について、裁判所が労災の業務起因性を認めた札幌地方裁判所令和2年10月14日判決を取り上げます。

本判決は、個々の業務上の出来事の心理的負荷が「弱」や「中」にとどまる場合であっても、複数の出来事が短期間に重なることで全体として「強」と評価され、業務起因性が認められ得ることを示した裁判例です。

障害のある従業員への対応を含め、企業の人事労務管理に示唆を与える内容ですので、概要を紹介いたします。

事案の概要

本件の事実関係の概要は、以下のとおりです。

時期出来事
幼少期Cに吃音(きつ音)の症状が出始める
平成25年3月Cが看護師国家試験に合格(当時34歳)
平成25年4月Cが社会医療法人の開設する病院に、3か月間の試用期間付きで採用される。循環器内科の病棟(第4病棟)に配属
同月以降Cは、緊張する場面や初対面の患者に対して吃音の症状が出やすく、患者への説明の際に言葉が出なくなることがあった。患者から「何を言っているか分からない」「別の看護師にしてほしい」などの苦情を受けることが少なくなかった
平成25年6月5日~同年7月2日Cが心臓カテーテル検査の説明に先立ち、指導担当者を相手にした事前の説明練習を合計5回実施。このうち2回は、説明板の表現をCが発語しやすい言葉に言い換える形で行われた
平成25年6月24日看護課長Gとの面談において、報連相の不十分さ、採血・注射等の基本的な看護技術の習得の遅れ等を理由に、試用期間を1か月間延長する旨を告知される。Gは、延長後の試用期間終了時に課題が達成できなかった場合の処遇について、Cに明言しなかった
同月頃Cが適応障害(ICD-10分類F43.2)を発病
平成25年7月上旬頃Cがうつ病エピソード(ICD-10分類F32)を発病
平成25年7月26日Cが自宅において自殺
平成27年3月Cの父(原告)が、労災保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料を請求
平成28年1月処分行政庁が遺族補償給付及び葬祭料を不支給とする各処分
平成29年11月原告が審査請求・再審査請求を経て、本件各処分の取消しを求めて提訴

本件の争点

本件の争点は、以下のとおりです。

争点内容
争点①Cが精神障害を発病して死亡したことにつき、業務起因性が認められるか

具体的には、以下の点が問題となりました。

項目具体的な問題
判断の枠組み業務上の心理的負荷を評価する際の基準となる「同種の労働者」をどのように解するか。吃音のある労働者を基準とすべきか
出来事ア指導担当者による説明練習を含む指導等の心理的負荷の程度
出来事イ看護課長Gとの面談において課題を指摘され、試用期間が延長されたことの心理的負荷の程度
出来事ウ患者からの苦情を受けていたことの心理的負荷の程度
総合評価上記の出来事が複数ある場合の全体的な心理的負荷の評価

裁判所の判断

裁判所は、労災保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料の不支給処分をいずれも取り消しました。以下、裁判所の判断の要点を整理します。

1. 判断の枠組み ― 「同種の労働者」の基準

裁判所は、精神障害の業務起因性の判断に当たり、厚生労働省の認定基準(平成23年12月26日付け基発1226第1号「心理的負荷による精神障害の認定基準について」)を参考にしつつ、具体的事情を総合考慮して判断するとの枠組みを示しました。

心理的負荷を評価する基準となる労働者像について、原告は「吃音を有する労働者を基準とすべきである」と主張しましたが、裁判所は、以下のとおり判示して、この主張を採用しませんでした。

「Cについては、きつ音を有する者であることを理解し、そのことに対する配慮がされるべきことは前提にしつつも、きつ音を理由とした労務軽減が必要な者であったわけではなく、きつ音を有しながらも他の看護師と同様の勤務に就くことが期待できた者であったといえる。そうすると、Cに係る業務起因性を判断するに当たっては、きつ音を有する労働者を基準とする必要はなく、Cの有していたきつ音については、業務上の出来事を評価するに当たり、必要な限度でこれを考慮すれば足りるというべきである。」

2. 個別の出来事に対する心理的負荷の評価

裁判所は、Cが経験した業務上の各出来事について、以下のとおり心理的負荷の程度を評価しました。

出来事認定基準の該当項目心理的負荷裁判所の主な認定・理由
出来事ア:指導担当者による説明練習を含む指導等「上司とのトラブルがあった」(項目30)に類似説明練習は吃音の改善を強制するものではなく、新人看護師に対する業務指導の範囲内であった。指導担当者との間に客観的な対立は生じていなかった
出来事イ:Gとの面談で課題を指摘され、試用期間が延長されたこと「達成困難なノルマが課された」(項目8)及び「非正規社員である自分の契約満了が迫った」(項目28)に類似課題自体は同種の労働者にとって達成可能だが、延長期間が1か月と短く、達成できない場合の処遇が明示されなかったことで不安感が生じた
出来事ウ:患者からの苦情を受けていたこと「顧客や取引先からクレームを受けた」(項目12)苦情の数は少なくなく、担当患者を外されるなど業務内容・業務量に相応の変化が生じていた

3. 複数の出来事の総合評価 ― 全体として「強」

裁判所は、上記の各出来事が約3か月という短期間に重なって生じたことを踏まえ、全体的な心理的負荷を以下のとおり評価しました。

「本件においては、3か月程度の期間内に、別表1における心理的負荷の強度が「中」と認められる上記イ(Gとの面談関係)及びウ(患者からの苦情関係)の各出来事が存するところ、上記ウの出来事による相応に重い心理的負荷が生じていた状況において、さらに、患者とのコミュニケーション問題を含む課題を提示され、これを改善しなければ本件病院での勤務を継続できなくなるかもしれず、その時期も迫っているという上記イの出来事による心理的負荷が加わったものである。そして、これらの出来事と重なる時期に、上記ア(指導担当者による指導等関係)による心理的負荷があったと認められることにも鑑みると、上記ア~ウの出来事に係る全体的な心理的負荷の程度は、Cと同種の労働者にとって、精神障害を発病させる程度に強度のものであったと認めるのが相当である。」

さらに、裁判所は、業務以外の心理的負荷及び個体側要因について、以下のとおり判示し、Cの精神障害の発病及び自殺について業務起因性を認めました。

「きつ音を有する者の一般的な心理傾向として、自己を否定する傾向があることは認められるものの(乙18)、Cについて、そのような心理傾向があったとまでは認められず、Cが、業務以外の心理的負荷及び個体側要因によって、適応障害及びうつ病エピソードを発病したと認めるに足りる的確な証拠はない。」

「以上によれば、Cの精神障害の発病は、Cの業務に内在又は随伴する危険が現実化したものと評価できる。そして、業務によりICD-10のF0からF4に分類される精神障害を発病したと認められる者が自殺を図った場合には、精神障害によって正常の認識、行為選択能力が著しく阻害され、あるいは自殺行為を思いとどまる精神的抑制力が著しく阻害されている状態に陥ったものと推定できるから(別紙1の5)、Cの死亡(自殺)も、Cの業務に内在又は随伴する危険が現実化したものと評価でき、業務起因性が認められる。」

コメント

1. 本判決の意義

本判決には、主に以下の2つの意義があると考えられます。

第一に、個別の出来事の心理的負荷が「弱」ないし「中」であっても、それらが短期間に複合的に重なった場合には、全体として「強」と評価され、業務起因性が認められ得ることを具体的に示した点です。

企業の担当者としては、一つひとつの出来事だけを切り取って「問題ない」と評価するのではなく、当該従業員が置かれた状況を全体として把握することが求められるといえます。

第二に、身体的又は精神的な障害があることを前提として雇用された従業員が精神障害を発病し死亡した事案において、業務起因性の判断枠組みを示した点です。本判決は、心理的負荷の評価基準となる労働者について平均的労働者基準説を採用しつつ、障害を理由とする労務軽減が行われている場合には、当該労務軽減を受けている労働者を平均的労働者として捉える余地があるとの一般論を述べています。

この一般論と同旨を述べた先例として、東京地判平成28年12月21日労働判例1158号91頁(国・厚木労働基準監督署長〔ソニー〕事件)があります。本判決は、本件の事案においては、Cが吃音を理由とした労務軽減を受けていたわけではないことから、吃音を有する労働者を基準とする必要はないとしましたが、障害のある従業員に対して労務軽減措置を講じている企業においては、その措置を前提とした基準で心理的負荷が評価される可能性がある点に留意が必要です。

2. 企業に求められる対応

本判決から論理的に導き出される企業の対応として、以下の点が挙げられます。

(1)試用期間の運用における配慮

本判決では、試用期間の延長に際して、延長後の処遇(課題が達成できなかった場合にどうなるか)を明示しなかったことが、従業員の不安感を増大させる要因として評価されました。

試用期間を延長する場合には、延長期間中の具体的な課題を明確にするとともに、達成できなかった場合の見通しについても、可能な範囲で従業員に説明することが望ましいと考えられます。

(2)障害のある従業員への合理的配慮

本件では、吃音のある看護師に対し、業務指導の範囲内とされる対応が行われていましたが、患者からの苦情や試用期間の延長と相まって、結果的に強い心理的負荷をもたらしました。

障害者雇用促進法は、事業主に対し、障害者である労働者について、障害の特性に配慮した必要な措置(合理的配慮の提供)を講ずることを義務づけています(同法36条の3)。吃音は、障害者総合支援法の対象となる障害であり(厚生労働省「吃音(きつ音)について」参照)、企業としては、吃音のある従業員の業務配置、指導方法、評価基準等について、個別の事情に応じた配慮を検討することが求められます。

厚生労働省が公表する「合理的配慮指針(平成27年厚生労働省告示第117号)」では、合理的配慮の具体的な内容として、障害の特性に応じた業務指導や研修の実施、業務量の調整等が例示されています(同指針第4)。

(3)メンタルヘルス対策の充実

本件のように、複数の心理的負荷が短期間に重なることで精神障害を発病するリスクがあることを踏まえると、日常的なメンタルヘルス対策が不可欠です。

厚生労働省「労働者の心の健康の保持増進のための指針(メンタルヘルス指針)(平成18年3月策定、平成27年11月30日改正)」(4頁以下)では、「セルフケア」「ラインによるケア」「事業場内産業保健スタッフ等によるケア」「事業場外資源によるケア」の4つのケアを継続的かつ計画的に行うことが求められるとされています。

本件のように、新人従業員が業務上の困難を複数抱えている場合には、管理監督者によるラインケア(日常的な声かけや面談による状況把握)が特に重要になると考えられます。

(4)精神障害の労災認定基準の理解

厚生労働省「心理的負荷による精神障害の認定基準について(令和5年9月1日付け基発0901第2号)」は、令和5年に改正されています。改正後の認定基準では、心理的負荷の評価にあたって考慮すべき具体的出来事としてカスタマーハラスメントが追加されるなど、評価対象が拡充されています。

企業の担当者においては、改正後の認定基準の内容を把握し、自社のリスク管理に反映させることが重要です。

3. おわりに

本判決は、個々の出来事を切り離して評価すれば「弱」ないし「中」にとどまるケースであっても、複数の出来事が短期間に重複した場合には、全体として業務起因性が認められ得ることを示しています。

企業としては、従業員が置かれている状況を多角的かつ継続的に把握し、心理的負荷の蓄積を未然に防ぐ体制を整備することが求められます。特に、障害のある従業員や試用期間中の従業員など、心理的に不安定になりやすい立場にある者については、より一層の注意が必要です。

労災リスクの予防や、職場におけるメンタルヘルス対策の実施にあたっては、法的な観点からの検討が不可欠です。自社の対応に不安がある場合には、早期に弁護士にご相談いただくことが有益です。


本コラムは、一般的な情報提供を目的として作成したものであり、個別の法律上のアドバイスではありません。具体的な事案については、本ウェブサイト右上の問い合わせフォームよりご連絡ください。