本記事は令和8年(2026年)8月時点の法令(不正競争防止法・民法ほか)に基づきます(更新)。
「退職した役員が、部下を何人も引き連れて競合会社を作った」「主力メンバーが一斉に同業へ移ってしまった」——こうした従業員の引抜きは、会社の事業基盤を揺るがしかねません。「これは違法ではないのか、損害賠償を請求できないのか」と考える経営者は少なくありません。
従業員の引抜きは、単なる転職の勧誘にとどまる限り違法ではありません。しかし、その方法が社会通念上の自由競争の範囲を明らかに逸脱する著しく背信的なものである場合には、不法行為(民法709条)として損害賠償の対象になり得ます。また、引抜きに営業秘密の持ち出しが伴えば、不正競争防止法による対応も可能です。
今回のコラムでは、従業員の引抜きが違法となる場合の判断基準を、裁判例にもとづいて解説いたします。
従業員の引抜きは、違法ですか?
単なる転職の勧誘は違法ではありません。従業員には転職の自由があり、企業にも人材を求める自由があるためです。ただし、引抜きの方法が社会的相当性を逸脱し、著しく背信的な場合には、不法行為として違法になります。
前提として、引抜きは、不正競争防止法が列挙する「不正競争」の類型そのものではありません。引抜きの違法性は、主に債務不履行・不法行為(民法709条)の問題として判断されます。
その出発点は、「転職の自由」と「企業の利益」のバランスです。
| 立場 | 保護される利益 |
|---|---|
| 従業員 | 職業選択・転職の自由 |
| 引き抜く企業 | 人材を求める採用の自由 |
| 引き抜かれる企業 | 事業基盤・従業員との雇用関係の維持 |
転職の自由は尊重されるべきものであり、他社の従業員に有利な条件を示して勧誘すること自体は、原則として違法ではありません。
もっとも、その勧誘が度を超えて、社会通念上の自由競争の範囲を逸脱する著しく背信的な方法で行われた場合には、例外的に違法と評価されます。近時の裁判例(スマートコンタクト事件・大阪地判平成31年1月24日)でも、勧誘自体は違法でなく、他社の信用を不当に害する方法によるなど、社会通念上の自由競争の範囲を逸脱した場合に違法になる、という枠組みが示されています。
違法かどうかは、何で判断されますか?
引抜きが社会的相当性を逸脱して違法といえるかは、①引き抜かれる従業員の会社での地位、②その待遇・人数、③会社への影響、④勧誘に用いた方法(予告の有無・秘密性・計画性)などを総合して判断されます。
この点について、ラクソン事件(東京地判平成3年2月25日)は、引抜きが社会的相当性を逸脱した違法なものかどうかの判断要素を、次のように示しています。
そして、社会的相当性を逸脱した引抜行為であるか否かは、転職する従業員のその会社に占める地位、会社内部における待遇及び人数、従業員の転職が会社に及ぼす影響、転職の勧誘に用いた方法(退職時期の予告の有無、秘密性、計画性等)等諸般の事情を総合考慮して判断すべきである。
この判断要素を整理すると、次のとおりです。
| 要素 | 内容 |
|---|---|
| ①従業員の地位 | 引き抜かれる従業員が、会社でどの程度重要な地位にあったか |
| ②待遇・人数 | 引き抜かれた人数、会社に占める割合 |
| ③会社への影響 | 引抜きが会社の事業に与えた打撃の大きさ |
| ④勧誘の方法 | 退職時期の予告なく、秘密裏に、計画的・一斉に引き抜いたか |
たとえば、会社に内密に移籍を計画し、退職時期への配慮もなく一斉かつ大量に従業員を引き抜くといった、単なる勧誘の域を超えて社会的相当性を逸脱した背信的な方法は、違法と評価されやすくなります。逆に、個々の従業員が自由な意思で転職しただけであれば、違法とはいえません。「人数」や「勧誘のしかた」が、違法性を分ける大きなポイントになります。
在職中の役員や従業員が引き抜いた場合は、どうですか?
在職中の役員・従業員が引抜きを行った場合は、より重い義務違反が問われます。役員は会社に対する善管注意義務・忠実義務を負い、従業員も誠実義務を負うため、これらに反する引抜きは責任につながりやすくなります。
引抜きを行った人物の立場によって、評価は変わります。
| 引き抜いた人物 | 負っている義務 |
|---|---|
| 在職中の役員 | 善管注意義務・忠実義務(会社法330条・355条) |
| 在職中の従業員 | 雇用契約に伴う誠実義務 |
| 退職後の元役員・元従業員 | 原則は自由競争。ただし著しく背信的な方法は不法行為 |
とくに、在職中の役員が自ら競業会社を準備し、在職中の立場を利用して部下を引き抜くような場合は、会社に対する忠実義務などに反するとして、より容易に責任が認められる傾向があります。在職中か退職後か、どの立場で行われたかによって、違法性の判断は変わってきます。
引抜きに、営業秘密の持ち出しが伴う場合は?
引抜きとあわせて顧客名簿や技術情報などの営業秘密が持ち出された場合には、不正競争防止法にもとづく差止め・損害賠償も併せて求めることができます。引抜き単体よりも、法的手段の幅が広がります。
引抜きは、しばしば営業秘密や顧客情報の持ち出しを伴います。この場合、引抜き自体は不法行為(民法709条)の問題である一方、持ち出された情報が営業秘密にあたれば、不正競争防止法が使えます。たとえば、会社から正当に示されていた営業秘密を、図利加害目的で使用・開示する行為は、次のように規制されています。
七 営業秘密を保有する事業者(以下「営業秘密保有者」という。)からその営業秘密を示された場合において、不正の利益を得る目的で、又はその営業秘密保有者に損害を加える目的で、その営業秘密を使用し、又は開示する行為
つまり、引き抜かれた従業員が前職の顧客名簿や技術情報を新天地で使えば、この2条1項7号などの営業秘密侵害として、差止め・損害賠償の対象になり得るのです。引抜きの背後にある情報の持ち出しにこそ、法的に対応できる余地が大きい場合があります。営業秘密の持ち出しへの対応は退職者による情報持ち出しへの対応をご覧ください。
どんな手段を取れますか?損害賠償はできますか?
違法な引抜きに対しては、不法行為(民法709条)にもとづく損害賠償を請求できます。営業秘密の持ち出しを伴う場合は、不正競争防止法による差止め・損害賠償も可能です。ただし、損害額の立証には工夫が必要です。
取り得る手段を整理すると、次のとおりです。
| 手段 | 内容 |
|---|---|
| 損害賠償(不法行為) | 違法な引抜きにより生じた損害の賠償を請求(民法709条) |
| 不正競争防止法の請求 | 営業秘密の持ち出しを伴う場合、差止め・損害賠償(3条・4条・5条) |
| 競業避止義務違反の追及 | 引き抜いた元役員・元従業員に競業避止の特約がある場合 |
もっとも、違法な引抜きによる損害額の立証は、必ずしも容易ではありません。売上げの減少がどの程度引抜きによるものか、因果関係を示す必要があるためです。そのため、引抜きの事実・方法を示す証拠(勧誘の記録、一斉退職の経緯など)を早めに保全することが重要です。元役員・元従業員に競業避止の特約がある場合は、その追及も考えられます。詳しくは競業避止義務の有効性をご覧ください。
弁護士に相談するタイミング
引抜きの兆候に気づいたら、証拠が失われる前に弁護士に相談してください。引抜きを予防する体制づくりにも、顧問契約が役立ちます。
弁護士が支援できる場面を整理すると、次のとおりです。
| 場面 | 弁護士ができること |
|---|---|
| 引抜きが起きたとき | 違法性の検証、証拠保全、損害賠償・不正競争防止法の請求の検討 |
| 営業秘密を伴うとき | 差止め・仮処分、損害賠償の準備 |
| 予防 | 競業避止・秘密保持の誓約書整備、重要人材の処遇・情報管理の見直し |
引抜きは、起きてから対応するだけでなく、平時から重要人材の処遇や情報管理を整え、競業避止・秘密保持の枠組みを作っておくことで、被害を抑えられます。こうした継続的な備えには、日常的に相談できる顧問契約が有効です。
顧問契約については顧問契約のご案内もご覧ください。
よくある質問(FAQ)
Q1. 退職した役員が部下を大量に引き抜いて競合を作りました。訴えられますか?
引抜きの方法が社会通念上の自由競争の範囲を明らかに逸脱する著しく背信的なものであれば、不法行為(民法709条)として損害賠償を請求できる場合があります。判断は、引き抜かれた従業員の地位・人数、会社への影響、勧誘の方法(予告の有無・秘密性・計画性)などを総合して行われます(ラクソン事件・東京地判平成3年2月25日)。営業秘密の持ち出しを伴えば、不正競争防止法による対応も可能です。
Q2. 単に「うちに来ないか」と誘うだけでも違法ですか?
いいえ。従業員には転職の自由があり、企業にも採用の自由があるため、単なる転職の勧誘は原則として違法ではありません。違法になるのは、他社の信用を不当に害する方法によるなど、社会通念上の自由競争の範囲を逸脱した背信的な引抜きに限られます(スマートコンタクト事件・大阪地判平成31年1月24日)。
Q3. 在職中の従業員が引き抜いた場合は、扱いが違いますか?
異なります。在職中の役員は会社に対する善管注意義務・忠実義務(会社法330条・355条)を、在職中の従業員は誠実義務を負います。在職中の立場を利用して部下を引き抜くような場合は、これらの義務に反するとして、退職後の場合より責任が認められやすい傾向があります。
Q4. 引抜きで顧客名簿も持ち出されました。どう対応できますか?
持ち出された顧客名簿が営業秘密にあたる場合、不正競争防止法にもとづき、使用・開示の差止めや損害賠償を求めることができます(2条1項7号など)。引抜き自体は不法行為の問題ですが、営業秘密の持ち出しが伴うと、法的手段の幅が広がります。まずはアクセスログなどの証拠を保全することが重要です。
Q5. 引抜きによる損害賠償は認められやすいですか?
違法性が認められても、損害額の立証には工夫が必要です。売上げの減少がどの程度引抜きによるものか、因果関係を示す必要があるためです。引抜きの事実・方法を示す証拠を早めに保全し、営業秘密の持ち出しなど不正競争防止法で対応できる部分がないかも含めて、総合的に検討することが有効です。
「勧誘の域を超えた背信性」があるかが分かれ目
従業員の引抜きは、単なる転職の勧誘にとどまる限り違法ではありませんが、社会通念上の自由競争の範囲を明らかに逸脱する著しく背信的な方法であれば、不法行為(民法709条)として損害賠償の対象になり得ます。判断のポイントは、引き抜かれた従業員の地位・人数、会社への影響、勧誘の方法です。また、引抜きに営業秘密の持ち出しが伴えば、不正競争防止法による差止め・損害賠償も可能です。
当事務所では、引抜きの違法性(社会的相当性の逸脱)の検証、勧誘の方法や一斉退職の経緯を示す証拠の保全、不法行為・営業秘密侵害にもとづく損害賠償請求など、不正競争防止法に関するご相談・ご依頼を多数承っております。引抜きの被害にお困りの方は、証拠が失われる前に、まずは本ウェブサイト右上の問い合わせフォームより、お気軽にお問い合わせください。
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