本記事は令和8年(2026年)8月時点の法令(不正競争防止法ほか)に基づきます(更新)。
優秀な人材を同業他社から採用することは、事業拡大の大きな力になります。しかし、その転職者が前職の営業秘密を持ち込んでしまうと、採用した会社自身が思わぬ責任を負うことになりかねません。「本人が勝手にやったこと」では済まされない場面があるのです。
転職者が前職から持ち出した営業秘密であることを知りながら(または重大な過失で知らずに)、これを取得・使用・開示した場合、採用した会社も不正競争防止法違反となり、差止め・損害賠償の責任を負うことがあります。だからこそ、採用時に「前職の情報を持ち込ませない」仕組みを整えることが重要です。
今回のコラムでは、営業秘密の実務を扱う弁護士が、受け入れ企業のリスクと対策を、条文・裁判例にもとづいて解説いたします。
転職者を採用した会社も、責任を負うことがありますか?
転職者が持ち込んだ情報が前職の営業秘密であり、それが不正に開示・取得されたものだと知りながら(または重大な過失で知らずに)、会社がこれを取得・使用・開示した場合には、採用した会社も不正競争防止法違反になり得ます。
不正競争防止法は、営業秘密の侵害を、当事者だけでなく、事情を知って関与した者にも及ぼしています。転職者の受け入れで問題になりやすいのが、次の類型です。
まず、前職の営業秘密が不正に開示されたものだと知って(または重過失で知らずに)取得・使用・開示する行為は、2条1項8号にあたります。
八 その営業秘密について営業秘密不正開示行為(前号に規定する場合において同号に規定する目的でその営業秘密を開示する行為又は秘密を守る法律上の義務に違反してその営業秘密を開示する行為をいう。以下同じ。)であること若しくはその営業秘密について営業秘密不正開示行為が介在したことを知って、若しくは重大な過失により知らないで営業秘密を取得し、又はその取得した営業秘密を使用し、若しくは開示する行為
少し複雑な条文ですが、要するに、転職者が前職の秘密保持義務に反して営業秘密を開示していること(不正開示)を知りながら、または重大な過失で知らずに、その情報を取得・使用・開示すれば、受け入れた会社も不正競争にあたるということです。前職から窃取された情報を知って取得する場合も、同様に2条1項5号の対象になり得ます。
ポイントを整理すると、次のとおりです。
| ポイント | 内容 |
|---|---|
| 会社も責任を負い得る | 転職者本人だけでなく、採用した会社も対象になる |
| 鍵は「悪意・重過失」 | 前職の営業秘密の不正な持ち込みと知りながら(または重過失で知らずに)使ったか |
| 立証されると | 差止め・損害賠償の対象に。組織的関与があればより重い評価に |
「本人が持ってきた情報だから会社は関係ない」とはいえません。営業秘密そのものの要件は営業秘密の3要件とはをご覧ください。
実際の裁判では、転職者の持ち出しはどう評価されていますか?
最高裁は、退職して同業他社へ転職する直前に、勤務先の営業秘密を私物の記録媒体に複製した事案で、その複製が業務目的でなく正当な目的もうかがえないことから、退職後に自分や転職先のために利用する目的(図利目的)があったと推認できると判断しています。
参考になるのが、日産自動車事件(最決平成30年12月3日)です。自動車メーカーの商品企画担当者が、同業他社への転職が決まった後、退職直前に、営業秘密である商品企画関連のデータファイルを私物のハードディスクに複製した、という事案です。最高裁は、「不正の利益を得る目的」について、次のように判断しました。
以上のとおり,被告人は,勤務先を退職し同業他社へ転職する直前に,勤務先の営業秘密である前記1の各データファイルを私物のハードディスクに複製しているところ,当該複製は勤務先の業務遂行の目的によるものではなく,その他の正当な目的の存在をうかがわせる事情もないなどの本件事実関係によれば,当該複製が被告人自身又は転職先その他の勤務先以外の第三者のために退職後に利用することを目的としたものであったことは合理的に推認できるから,被告人には法21条1項3号にいう「不正の利益を得る目的」があったといえる。
(この決定は平成27年改正前の条文〔21条1項3号〕に関する判断で、現行法では、営業秘密を示された者による領得は21条2項1号にあたりますが、「不正の利益を得る目的」の考え方は現行法にも通じます。)
この判断が示すのは、退職・転職の直前に、業務に必要でもない営業秘密を私物に複製する行為は、それだけで図利目的が推認されやすいということです。裏を返せば、転職者が前職からデータを持ち込んでいる場合、その転職者は刑事・民事の責任を問われるリスクが高く、そのような情報を会社が業務に使えば、会社まで責任の連鎖に巻き込まれかねません。
採用した会社も、刑事罰や両罰規定の対象になりますか?
転職者本人が前職の営業秘密を「領得」した行為(正当に示された営業秘密を任務に背いて持ち出す類型)については、その一事では、採用した会社は両罰規定の対象外とされています。ただし、会社ぐるみで不正取得に関与するような場合は別で、状況によっては会社も対象になり得ます。
不正競争防止法は、営業秘密侵害罪について、法人も処罰する両罰規定を置いています(22条)。もっとも、その対象は限定されています。
| 類型 | 両罰(法人処罰)の対象か |
|---|---|
| 正当に示された者による領得・使用・開示(21条2項各号) | 対象外 |
| 不正取得型など(21条1項各号) | 対象(法人に5億円以下の罰金) |
転職者が前職から正当に示されていた営業秘密を持ち出す「領得・背信型」(21条2項各号)は、両罰規定の対象から外されています。 その理由の一つは、転職者を受け入れた会社が、その転職者の持ち出し行為だけで処罰されることになると、企業が転職者の受け入れをためらい、労働移動が妨げられてしまう点にあります。
ただし、これは「会社は絶対に安全」という意味ではありません。たとえば、採用した会社に元からいる者が、転職者をそそのかして前職の営業秘密を不正に取得させたような場合には、不正取得型(21条1項系)として、会社が両罰の対象になり得ます。会社ぐるみの関与は、重い責任につながります。営業秘密侵害罪の全体像は営業秘密侵害罪と刑事告訴で解説しています。
採用時に、どんなリスク管理をすればよいですか?
採用時に、前職の営業秘密を持ち込まない・使用しないことを誓約させ、前職情報を業務に使わせない運用を徹底することが基本です。「持ち込ませない」ことが、会社を守る最大の防御になります。
受け入れ企業が講じるべき対策を整理すると、次のとおりです。
| 対策 | 内容 |
|---|---|
| 誓約書の取得 | 入社時に「前職の営業秘密を持ち込まない・使用しない」旨を誓約させる |
| 前職情報の遮断 | 前職のデータ・書類の持ち込みを禁止し、私物媒体の業務利用を制限する |
| 業務の記録 | 新しい成果物が、前職情報でなく自社で独自に作られたことを示せるようにする |
| 教育・周知 | 転職者に、前職の営業秘密を使うことのリスクを説明する |
とくに、前職の情報が業務に紛れ込まない仕組みを作っておくことは、後日「前職の営業秘密を使った」と主張されたときに、会社の潔白を示す助けになります。こうした体制づくりには、秘密保持に関する誓約書の整備が欠かせません。詳しくはNDA・秘密保持誓約書の実効性もご覧ください。
前職の会社から警告書が届いたら、どうすればよいですか?
まず、相手が主張する情報が本当に営業秘密の要件を満たすか、貴社が不正な持ち込みを知っていた(または重過失があった)といえるかを確認します。安易に認めず、証拠を保全したうえで、反論の余地を検討することが重要です。
転職者を採用したところ、前職の会社から「当社の営業秘密を侵害している」という警告書が届くことがあります。この場合の初動は、次のとおりです。
| 対応 | 内容 |
|---|---|
| 主張の確認 | どの情報について、どの条文(2条1項5号・8号など)を根拠に主張しているか |
| 営業秘密性の検討 | その情報が3要件(とくに秘密管理性)を満たすか |
| 悪意・重過失の検討 | 貴社が不正な持ち込みを知っていた、または重過失で知らなかったといえるか |
| 証拠の保全 | 転職者の業務内容・成果物の作成経緯を示す資料を確保する |
安易に非を認めたり、逆に証拠を廃棄したりするのは避けてください。反論の余地は十分にあり得ます。警告書対応の一般的な進め方は警告書が届いた場合の対応で詳しく解説しています。
弁護士に相談するタイミング
同業からの採用を検討する段階、そして前職から警告が来た段階の両方で、弁護士のサポートが役立ちます。採用時のリスク管理体制づくりには、顧問契約が有効です。
弁護士が支援できる場面を整理すると、次のとおりです。
| 場面 | 弁護士ができること |
|---|---|
| 採用を検討するとき | 誓約書・前職情報遮断のルール整備、リスクの説明 |
| 警告が来たとき | 営業秘密性・悪意重過失の検証、反論・交渉、証拠保全 |
| 予防全般 | 採用フローの点検、就業規則・誓約書の見直し |
同業からの人材採用は、企業成長の要である一方、営業秘密リスクと隣り合わせです。「持ち込ませない」体制を平時から整えておくことが、会社を守ります。こうした継続的な体制づくりには、日常的に相談できる顧問契約が有効です。
顧問契約については顧問契約のご案内もご覧ください。
よくある質問(FAQ)
Q1. 同業から転職者を採用します。前職の情報を持ってきたら、当社も責任を負いますか?
負う場合があります。転職者が持ち込んだ情報が前職の営業秘密であり、それが不正に開示・取得されたものだと知りながら(または重大な過失で知らずに)、会社がこれを取得・使用・開示すると、採用した会社も不正競争防止法違反(2条1項5号・8号など)になり得ます。「本人が勝手にやったこと」では済まない場面があります。
Q2. 転職者本人が前職のデータを持ち出しただけでも、当社が処罰されますか?
その一事では、両罰規定(法人処罰)の対象外とされています。正当に示された営業秘密を任務に背いて持ち出す「領得・背信型」(不正競争防止法21条2項各号)は、両罰の対象から外されており、これは労働移動を妨げないための配慮とされています。ただし、会社ぐるみで不正取得に関与した場合などは別で、会社も対象になり得ます。
Q3. 採用時に、どんな対策をしておけばよいですか?
入社時に「前職の営業秘密を持ち込まない・使用しない」旨を誓約させ、前職のデータ・書類の持ち込みや私物媒体の業務利用を制限することが基本です。あわせて、新しい成果物が自社で独自に作られたことを示せるよう、業務の記録を残しておくと、後日のトラブルで会社の潔白を示す助けになります。
Q4. 転職の直前に前職のデータを持ち出すと、なぜ問題になるのですか?
最高裁は、退職して同業他社へ転職する直前に、業務に必要でもない営業秘密を私物の記録媒体に複製した行為について、正当な目的がうかがえない以上、退職後に自分や転職先のために利用する目的(不正の利益を得る目的)があったと推認できると判断しています(日産自動車事件・最決平成30年12月3日)。転職直前の持ち出しは、図利目的が認められやすいのです。
Q5. 前職の会社から「営業秘密を侵害している」と警告が来ました。どうすればよいですか?
まず、相手の情報が本当に営業秘密の3要件を満たすか、貴社が不正な持ち込みを知っていた(または重過失があった)といえるかを確認します。安易に認めたり証拠を廃棄したりせず、転職者の業務内容や成果物の作成経緯を示す資料を保全したうえで、反論の余地を検討してください。早めに弁護士にご相談ください。
「持ち込ませない」体制が会社を守る
同業からの転職者採用は、前職の営業秘密を持ち込まれると、採用した会社まで責任の連鎖に巻き込まれるリスクがあります。前職の営業秘密の不正な持ち込みと知りながら(または重過失で知らずに)これを使えば、会社も不正競争防止法違反になり得ます。会社を守る最大の対策は、採用時に「前職の情報を持ち込ませない」仕組みを整えることです。
当事務所では、転職者を採用する際のリスク管理、誓約書・確認書など「持ち込ませない」仕組みの整備、前職企業からの警告や差止め・損害賠償請求への対応など、不正競争防止法に関するご相談・ご依頼を多数承っております。同業からの採用や、前職からの警告への対応でお困りの方は、本ウェブサイト右上の問い合わせフォームより、お気軽にお問い合わせください。
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