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キャッシュカードすり替え型特殊詐欺における窃盗未遂罪の成立(実行の着手)時期(東京高裁令和3年3月11日判決)

はじめに

高齢者を狙ったキャッシュカードすり替え型の特殊詐欺は、現在も後を絶たない犯罪類型です。この手口では、犯人が現金やカードを封筒にすり替えて持ち去るため、詐欺罪ではなく「窃盗罪」(未遂を含む)が成立します。そして、被害者が途中で気づいて被害が生じなかった場合には、窃盗罪の「実行の着手」がいつの時点で認められるかが、犯人の刑事責任の成否を左右します。

東京高判令和3年3月11日判決は、警察官を装った氏名不詳者が被害者に電話で嘘を告げた後、受け子役の被告人が被害者方を訪れてインターホンを鳴らした段階で、窃盗未遂罪の成立を認めた事例です。

原判決(静岡地裁浜松支部)が「欺罔行為(嘘の電話)に及んだ時点」で直ちに実行の着手を認めたのに対し、本判決はその点の判断を留保しつつ、事実関係全体を踏まえて実行の着手を認定した点で、特殊詐欺事案を理解する上で参考となる裁判例です。

事案の概要

本件は、被告人が、氏名不詳者らと共謀の上、警察官になりすました氏名不詳者が、高齢の被害者方に電話をかけ、被害者名義の銀行口座が不正アクセスの被害に遭い、被害者を訪問する者の指示に従ってキャッシュカードを封筒に入れて保管する手続が必要であるなどと嘘を言い、その者になりすました被告人が、被害者方を訪れ、被害者方のインターホンを鳴らして、キャッシュカードを別の封筒にすり替えて窃取しようとしたが、被害者が被告人らの意図を看破したため、その目的を遂げなかったという、窃盗未遂の事案です。

事実関係の流れを整理すると、次のとおりです。

時刻出来事
3月29日
午後3時23分頃
氏名不詳者が被害者方に電話をかけ、警察官を装い、「口座が不正アクセスの被害に遭っている」「キャッシュカードを封筒に入れて保管する必要がある」「Eという者が封筒を持って訪問する」などと嘘を告げた(本件欺罔行為)
同日
午後4時20分頃
被害者は、詐欺の電話ではないかと疑い、電話をつないだまま別室に移動し、携帯電話で警察に通報した
同日
午後4時22分頃
受け子役の被告人が、偽造の身分証(ネームプレート)やすり替え用の封筒等を準備した上で被害者方を訪れ、門扉脇のインターホンを鳴らしたが、返答がなく、そのまま引き返した

原審(静岡地裁浜松支部令和2年6月19日判決)は、氏名不詳者が被害者に電話をかけ、本件欺罔行為に及んだ時点で窃盗罪の実行の着手が認められるとして、被告人を窃盗未遂罪として有罪と認定しました。これに対し、被告人側が控訴したのが本件です。

本件の争点

本件の争点は、以下のとおりです。

争点内容
争点①氏名不詳者が被害者に電話をかけ、本件欺罔行為に及んだ時点で、直ちに窃盗罪の実行の着手が認められるか
争点②本件の事実関係(氏名不詳者の本件欺罔行為に加え、被告人が被害者方を訪れて門扉脇のインターホンを鳴らしたこと)の下において、窃盗罪の実行の着手が認められるか

いずれの争点も、窃盗未遂罪の成立要件である「実行の着手」(刑法43条、同法235条)がどの時点で認められるかという問題です。

裁判所の判断

実行の着手に関する判断枠組み

本判決は、実行の着手の一般的な判断枠組みについて、次のとおり判示しました。

窃盗未遂罪が成立するためには、窃盗罪の実行行為たる窃取行為それ自体の開始を必ずしも要せず、窃取行為に密接であり、かつ、その時点で窃取結果を生じさせる客観的な危険性が認められる行為が行われていれば足りると解すべきである。

この判断枠組みは、いわゆるクロロホルム事件決定(最決平成16年3月22日刑集58巻3号187頁)において最高裁が殺人罪の実行の着手に関して示した判断基準(密接性と客観的危険性)と軌を一にするものです。

争点① 本件欺罔行為に及んだ時点での窃盗罪の実行の着手の成否について

原判決は、本件欺罔行為に及んだ時点で窃盗罪の実行の着手が認められると判示しましたが、本判決は、この点について、次のとおり判断を留保しました。

原判決の前記判断は、氏名不詳者が被害者に電話をかけ、本件欺罔行為に及んだ時点で、直ちに窃盗罪の実行の着手が認められるとした点はともかく、本件について、窃盗の実行の着手を認め、窃盗未遂罪が成立したとする結論は、相当である。

本判決は、欺罔行為のみの時点で直ちに実行の着手が認められるかどうかについて結論を示すことなく、本件の事実関係の下での実行の着手を認めるという立場をとりました。

争点② 本件の事実関係の下における窃盗罪の実行の着手の成否について

本判決は、本件の事実関係の下では窃盗罪の実行の着手が認められると判断しました。その根拠となる考慮事情は、以下のとおりです。

観点考慮事情
本件計画における位置づけ(必要不可欠性)氏名不詳者が行った本件欺罔行為は、被害者に本件嘘を真実と誤信させ、キャッシュカード及び暗証番号を書いたメモを用意させ、被告人にそれらを呈示させて封筒に入れさせ、被告人が確実かつ容易に封筒をすり替えて窃取することができるように仕向けたものであり、本件計画の一環として、被告人が確実かつ容易にキャッシュカード等の入った封筒をすり替えて窃取するために必要かつ不可欠なものといえること
被告人の行動(準備と現場到達)被告人は、氏名不詳者が本件嘘を被害者に述べるのと並行して、キャッシュカード及び暗証番号を書いたメモを入れさせるための封筒及びすり替え用の封筒等を準備して被害者方に向かい、実際に門扉脇のインターホンを鳴らして被害者に来訪を告げていること
障害となる事情の不存在氏名不詳者及び被告人の行為の後には、本件計画を遂行する上で障害となるような特段の事情も存在しないこと
場所的時間的近接性氏名不詳者及び被告人の行為とその後に予定される窃取行為との間に、場所的時間的近接性が認められること

本判決は、これらの事情を総合して、次のとおり判示しました。

本件では、本件計画に基づき、氏名不詳者が被害者に本件嘘を告げ、被告人が被害者方の門扉脇のインターホンを鳴らして来訪を告げたことにより、キャッシュカード及び暗証番号を書いたメモの入った封筒をすり替えて窃取するという窃取行為に密接であり、かつ、窃取という結果発生に至る客観的な危険性が明らかに認められる行為が行われたということができる。

さらに、本判決は、弁護人の主張に対して、次の2点について判断を示しました。

第一に、被害者が本件欺罔行為を疑って警察に通報していたという事情について、本判決は、本件嘘の内容及びそれが警察官を装って電話で直接述べられたものであることを考慮すると、高齢の一般人をして、その内容が真実であると誤信させる可能性が十分あったと認め、被害者が警察に通報していたからといって、実行の着手に必要な客観的危険性が認められるとの判断に影響しないとしました。

第二に、窃取の客体(具体的なキャッシュカード)が具体的に特定されていない段階であっても、窃盗の実行の着手を認めることに支障はなく、被害者が被告人の訪問後にキャッシュカードの準備を始めて呈示することは自然な流れといえるとして、客観的危険性を肯定しました。

結論として、本判決は、被告人の控訴を棄却し、窃盗未遂罪の成立を認めた原判決の結論を相当としました。

コメント

1 本判決の位置づけ

本判決は、クロロホルム事件の最高裁決定(最決平成16年3月22日刑集58巻3号187頁)が示した判断枠組み(「窃取行為に密接」かつ「その時点で窃取結果を生じさせる客観的な危険性が認められる」行為が行われていれば、実行行為自体の開始を要しないとするもの)を、キャッシュカードすり替え型特殊詐欺の事案に適用した事例判断です。

本判決の特徴は、原判決が「本件欺罔行為に及んだ時点」で実行の着手を認めたのに対し、この点については判断を留保した上で、被告人が被害者方を訪れて門扉脇のインターホンを鳴らした時点までの事実関係全体を踏まえて実行の着手を認めた点にあります。

これは、実行の着手時期の判断について慎重な姿勢を示しつつ、本件のような事実関係の下では少なくとも受け子の現場到達・訪問告知の段階で実行の着手が認められることを明らかにしたものと理解できます。

2 本判決が示す考慮要素

本判決は、実行の着手の有無の判断に際し、次の要素を総合的に検討しています。

考慮要素内容
本件計画における位置づけ当該行為が、計画された窃取行為を確実かつ容易に行うために必要不可欠なものであるか
障害となる事情の有無当該行為の後に、計画を遂行する上で障害となるような特段の事情が存在しないか
場所的時間的近接性当該行為と、その後に予定されている窃取行為との間に、場所的・時間的な近接性が認められるか

この判断手法は、クロロホルム事件決定が示した考慮要素と同一であり、特殊詐欺類似のすり替え型事案における実行の着手の判断枠組みとして、今後の実務においても参照されると考えられます。

3 同種事案における他の裁判例と本判決の射程

特殊詐欺のすり替え型事案における実行の着手時期については、本判決と近接する時期に、類似の構造を持つ事案について東京高裁が判断を示しています(東京高判令和3年7月14日判タ1495号144頁)。

同判決は、受け子役の被告人が、被害者方からなお相当の距離(約100メートル先の地点)にあり、現実にはすり替えの実行行為に直接着手していなかった段階について、実行の着手を認めた事例です。判決は、受け子がそのような位置関係にある段階であっても、計画全体に照らして、窃取行為にとっての必要不可欠な行為がすでに進行し、窃取結果が生じる危険が具体化していたと評価しています。

本判決と比較すると、東京高判令和3年7月14日判決は、受け子が被害者方に到達する前の段階を捉えて実行の着手を認めたものであるのに対し、本判決は、受け子が被害者方に到達し、門扉脇のインターホンを鳴らして来訪を告げた段階を捉えたものであり、事実関係上はより進んだ段階での判断といえます。

いずれの裁判例も、受け子がどこで、どのような準備を整え、予定された窃取行為とどれほど近接した状況にあったかという個別具体的な事実関係に基づいて結論が導かれており、事案ごとの事実の違いが判断に影響し得る分野です。

本判決は、本件の事実関係に即した事例判断であり、すり替え型事案一般に広く及ぶ射程を持つ判例ではありません。もっとも、クロロホルム事件決定の判断枠組みをこの類型に当てはめた実例として、今後の実務の参考になると考えられます。すり替え型事案における実行の着手時期については、今後も具体的な事実関係のもとで裁判例が積み重ねられていくと見込まれ、学説上の評価を含めて動向を注視していく必要があります。

おわりに

特殊詐欺のすり替え型事案における刑事弁護は、実行の着手時期の成否、共謀の範囲、事実関係の争い方、示談交渉、量刑上の有利な事情の主張立証など、専門的な検討を要する論点が多岐にわたります。本判決が示すとおり、受け子として被害者方に到達し、インターホンを鳴らした段階であっても窃盗未遂罪が成立し得ると判断される場面があり、起訴の有無や量刑に大きな影響を及ぼします。

ご本人が逮捕・勾留された場合はもちろん、ご家族が警察署からの連絡を受けて対応に悩まれている場合も、できる限り早期に弁護士に相談することで、取調べに対する対応方針、身柄解放に向けた活動、被害者との示談交渉など、事案に応じた弁護方針を立てることができます。

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