取締役の退職慰労金は、株主総会で「内規に従い取締役会に一任する」という決議がなされることが一般的です。では、取締役会が内規の減額規定に基づき退職慰労金を大幅に減額した場合、その判断はどの範囲で許容されるのでしょうか。
最高裁令和6年7月8日第一小法廷判決(民集78巻3号839頁)は、この問題について初めて最高裁が判断を示した事例です。本判決は、退職慰労金の基準額約3億7720万円から約85%を減額して5700万円とした取締役会決議について、裁量権の逸脱・濫用には当たらないと判断しました。
今回のコラムでは、上記最高裁判決の内容と、企業実務に与える影響及び実務上の留意点について解説いたします。
事案の概要
本件は、放送事業を営む株式会社Y1の代表取締役を退任したXが、Y1の取締役会による退職慰労金の減額決議が株主総会の委任の範囲を超えるものであると主張し、Y1に対しては会社法350条に基づき、代表取締役Y2に対しては民法709条に基づき、損害賠償等を求めた事案です。
当事者と経緯
Y1には、退任取締役の退職慰労金の算定基準等を定めた「取締役退任慰労金内規」(本件内規)が存在しました。本件内規には、退任時の報酬月額等により一義的に定まる額を基準額とする旨の定めがある一方で、取締役会は、退任取締役のうち「在任中特に重大な損害を与えたもの」に対し基準額を減額することができる旨の定め(本件減額規定)がありました。なお、本件内規には、減額の範囲や限度についての定めはありませんでした。
Xは、平成16年6月にY1の代表取締役に就任しましたが、在任中に以下の行為を行いました。
| 区分 | 行為の内容 |
|---|---|
| 本件行為1(コンプライアンス違反) | 平成24年から平成27年までの間、社内規程所定の上限額を超過する宿泊費等を受領し(超過分合計約1610万円)、税務調査で発覚した後、源泉徴収税相当額の負担をY1に転嫁するとともに社内規程違反の宿泊費等の支給を実質的に永続化する目的で自らの報酬を2308万円増額した |
| 本件行為2(交際費等の過大支出) | 平成25年度から平成28年度までの各年度において、平成24年度の交際費(約4925万円)を大幅に超過する額(超過分合計約1億0079万円)をY1に支出させた。また、海外旅費規程を改定させ、支度金として約545万円多い額を支出させるなどした |
| 本件行為3(文化芸術活動の支援事業等への支出) | 平成26年度から平成28年度までの間、文化芸術活動の支援事業等の費用をY1に支出させ、そのうち約2億0558万円は明らかに過剰なものであった |
本件行為1は、新聞等で取り上げられ、社会一般に知れ渡ることとなりました。
平成29年6月の定時株主総会において、Xの退職慰労金について本件内規に従って決定することを取締役会に一任する旨の決議がなされました。その後、Xと利害関係のない弁護士3名、公認会計士1名及びY1の常勤監査役1名で構成される調査委員会が設置され、詳細な調査が実施されました。
調査委員会の報告書では、本件各行為による財産上の損害額は合計約3億5551万円と認定され、告訴をして退職慰労金を支給しないとする案も提示されました。
平成30年2月の取締役会では、告訴をすべきとの意見や大幅な減額をすべきとの意見など種々の意見が出されましたが、最終的に、告訴をせず、基準額3億7720万円から約3億5551万円の約90%相当額を控除した5700万円を退職慰労金として支給する旨の決議がなされました。
第一審・控訴審の判断
第一審(宮崎地判令和3年11月10日)及び控訴審(福岡高宮崎支判令和4年7月6日)は、いずれもXの請求を認容しました。その理由は、本件減額規定は「特に重大な損害を与えた在任中の行為によって生じた損害に相当する額」を基準額から減額できるにとどまり、当該行為とは別の行為による損害を考慮して減額することは許されないというものでした。具体的には、本件行為3(文化芸術活動の支援事業等への支出)はY1に「特に重大な損害」を与えた行為とはいえないにもかかわらず、これを考慮して減額した点で本件減額規定の解釈適用を誤っていると判断しました。
本件の争点
本件の争点は、以下のとおりです。
| 争点 | 内容 |
|---|---|
| 争点① | 株主総会決議は、本件内規を適切に解釈適用して退職慰労金の額を算定することを取締役会に委任するものか |
| 争点② | 取締役会決議は、本件内規に基づく基準額どおりの退職慰労金の支給を決議した上で特別減額を決議したものか |
| 争点③ | 取締役会決議は、株主総会決議で与えられた裁量を逸脱ないし濫用したものか |
| 争点④ | 代表取締役Y2に、株主総会決議の委任の範囲又は本件内規の解釈適用を誤った過失があったか |
| 争点⑤ | 損害の発生及びその数額 |
最高裁では、争点③の取締役会決議に裁量権の逸脱・濫用があるか否かが中心的に争われました。
裁判所の判断
最高裁は、原判決を破棄し、第一審判決を取り消した上で、Xの請求をいずれも棄却しました。
本件減額規定の趣旨と取締役会の裁量
最高裁は、まず、本件減額規定の趣旨について、以下のとおり判示しました。
「本件減額規定は、取締役会は、退任取締役が在任中上告人会社に特に重大な損害を与えた場合、基準額を減額することができる旨を定めているところ、その趣旨は、取締役を監督する機関である取締役会が取締役の在任中の行為について適切な制裁を課すことにより、上告人会社の取締役の職務執行の適正を図ることにあるものと解される。」
その上で、取締役会の判断基準について、以下のとおり判示しました。
「取締役会は、取締役の職務の執行を監督する見地から、当該退任取締役が上告人会社に特に重大な損害を与えたという評価の基礎となった行為の内容や性質、当該行為によって上告人会社が受けた影響、当該退任取締役の上告人会社における地位等の事情を総合考慮して、上記の点についての判断をすべきである。」
取締役会が判断にあたり総合考慮すべき事情を整理すると、以下のとおりです。
| 考慮事情 | 内容 |
|---|---|
| 行為の内容や性質 | 退任取締役がY1に特に重大な損害を与えたという評価の基礎となった行為の内容や性質 |
| 会社が受けた影響 | 当該行為によってY1が受けた影響 |
| 退任取締役の地位 | 当該退任取締役のY1における地位 |
そして、取締役会の裁量権の範囲について、以下のとおり判示しました。
「これらの事情は、いずれも会社の業務執行の決定や取締役の職務執行の監督を行う取締役会が判断するのに適した事項であること、さらに、本件内規が本件減額規定による減額の範囲等について何らの定めも置いていないことに照らせば、取締役会は、上記の点について判断するに当たり広い裁量権を有するというべきであり、取締役会の決議に裁量権の範囲の逸脱又はその濫用があるということができるのは、この判断が株主総会の委任の趣旨に照らして不合理である場合に限られると解するのが相当である。」
最高裁は、控訴審が採用した、減額規定は「特に重大な損害を与えた在任中の行為によって生じた損害相当額のみを減額し得る」との解釈について、「本件減額規定がそのような趣旨のものであるとは解されない」と明確に否定しました。
本件へのあてはめ
最高裁は、以下の事情を総合考慮し、本件取締役会決議に裁量権の逸脱・濫用はないと判断しました。
| 考慮事情 | 具体的な内容 |
|---|---|
| 本件行為1の内容と性質 | 代表取締役であったXが、長期間にわたり社内規程所定の上限額を超過する宿泊費等を受領し、発覚後には源泉徴収税相当額をY1に転嫁するとともに、社内規程違反の宿泊費等の支給を実質的に永続化する目的で自らの報酬を増額した |
| Y1の社会的信用への影響 | 本件行為1が報道により社会一般に広く知れ渡り、Y1の社会的信用が毀損された |
| 調査委員会の調査と評価 | 株主総会で示された方針に基づいて設置され、Xと利害関係のない弁護士等で構成された調査委員会が、本件行為1は特別背任罪に該当する疑いがあり、本件行為2も正当化できず、Xは両行為によりY1に多大な損害を与えたと指摘した |
| 情報収集の十分性 | 調査委員会が調査等にあたって収集した情報に不足があったことはうかがわれない |
| 取締役会の審議の実質性 | 告訴をして退職慰労金を支給しないとする案も検討したが、審議の結果、告訴をせずに退職慰労金を大幅に減額する判断に至っており、相当程度実質的な審議が行われた |
最高裁は、これらの事情を総合考慮し、以下のとおり結論づけました。
「本件行為1及び本件行為2を上告人会社に多大な損害を及ぼす性質のものと評価することは相応の合理的根拠に基づくものといえ、本件行為3が上告人会社に損害を与えるものであったか否かにかかわらず、被上告人が本件減額規定にいう『在任中特に重大な損害を与えたもの』に当たるとして減額をし、その結果として被上告人の退職慰労金の額を5700万円とした取締役会の判断が株主総会の委任の趣旨に照らして不合理であるということはできない。」
コメント
本判決の意義
本判決は、退職慰労金内規の減額規定の解釈適用と取締役会の裁量権の範囲について、最高裁が初めて判断を示したものです。
第一審・控訴審は、減額規定を「特に重大な損害を与えた行為によって生じた損害相当額のみを控除できる」という限定的なものと解釈しました。
これに対し、最高裁は、減額規定の趣旨を「取締役の職務執行の適正を図るための制裁」と位置づけ、取締役会には広い裁量権があることを明らかにしました。そして、裁量権の逸脱・濫用が認められるのは、その判断が「株主総会の委任の趣旨に照らして不合理である場合に限られる」との基準を示しました。
本判決は事例判断ではありますが、退職慰労金内規において広く用いられている典型的な減額規定の解釈適用のあり方を示した点で、実務に与える影響は大きいといえます。
退任取締役の「法的利益」と損害賠償請求の理論的基礎
本判決を理解する前提として、退任取締役の退職慰労金請求権がいつ発生するかという点を整理しておく必要があります。
退職慰労金の額が取締役会に一任されている場合、退任取締役は、取締役会が具体的な額を決定するまでは確定的な請求権を持ちません。通説及び判例によれば、いわゆる一任決議を受けた取締役会が退職慰労金の支給額を決定する場合、退職慰労金請求権は、少なくとも支給基準に減額規定が含まれる限り、取締役会が具体的な額を決定した時点で初めて発生すると解されています。
しかし、だからといって取締役会がどのような額でも自由に決められるわけではありません一任決議がなされた場合、取締役会の構成員である各取締役は、株主総会決議を遵守すべき義務(会社法355条)を負います。
株主総会が一任決議をする際には、一定の支給基準(内規)に従うことが前提とされています。取締役会がこの前提を逸脱した決定をした場合には、退任取締役が受けるべき正当な利益を侵害したものとして、代表取締役の不法行為責任や会社の損害賠償責任が問われる可能性があります。本件の原審が損害賠償を認めたのも、取締役会が内規の解釈適用を誤ったことにより、退任取締役の利益が違法に侵害されたと評価したためです。
このように、退職慰労金の減額をめぐっては、「まだ確定的な請求権が発生していないから問題ない」とはいえず、一任決議の趣旨に反する減額がなされた場合には、会社や代表取締役が損害賠償責任を負い得るという点(減額の判断過程自体が法的評価の対象となる点)を、企業担当者として認識しておく必要があります。
最高裁が減額規定を広く解釈した背景
本判決が注目される理由の一つは、減額規定の趣旨を「損害の填補」ではなく「制裁による職務執行の適正確保」と捉えた点にあります。
原審は、減額規定を「特に重大な損害を与えた行為によって現実に生じた損害額を退職慰労金から控除するもの」と限定的に解釈しました。この解釈に従えば、取締役会は、損害額の算定を通じてしか減額幅を決めることができず、裁量の幅は必然的に狭くなります。
これに対し、最高裁は、減額規定の文言(「減額することができる」)には減ずべき額の算出方法についての定めがないことに着目し、この規定が損害額との対応を求める趣旨ではなく、取締役会が退任取締役の在任中の行状全体を踏まえて相当と判断する額を決定する権限を付与したものと解しました。すなわち、減額規定は、取締役の職務執行に対する監督権限の行使の一場面として位置づけられたのです。
最高裁が取締役会に広い裁量を認めた背景には、こうした減額規定の制度的な位置づけがあると推測されます。
取締役会の裁量が及ぶ二つの段階
本判決の判断枠組みを正確に理解するためには、取締役会の裁量が及ぶ対象が二つの段階に分かれている点を押さえておくことが有益です。
| 段階 | 判断内容 |
|---|---|
| 第1段階(減額事由の該当性) | 退任取締役が「在任中特に重大な損害を与えたもの」に当たるか否か |
| 第2段階(減額幅の決定) | 減額事由に当たる場合に、どの程度減額し、退職慰労金の額をいくらとするか |
本件の減額規定は、この二つの段階についての判断を、抽象的に取締役会に委ねたものにすぎず、個別具体的な事案における解釈適用は取締役会の裁量に属するものと解されます。そして、これらの判断は、いずれも業務執行の決定や取締役の職務執行の監督を担う取締役会が判断するのに適した事項であることから、取締役会が両方の段階において広い裁量を有することになります。
企業の立場からは、退職慰労金の減額を検討する際に、第1段階として「その退任取締役の行為が減額事由に該当するか」を、第2段階として「どの程度の減額が相当か」を、それぞれ分けて検討し、各段階における判断の根拠を取締役会の議事録に明確に記録しておくことが望ましいといえます。
企業に求められる対応
本判決の判断枠組みを踏まえると、企業においては、以下の点に留意する必要があると考えられます。
退職慰労金内規の整備について
本判決は、内規に減額の範囲や限度についての定めがなかったことも、取締役会の広い裁量を認める根拠の一つとしています。退職慰労金内規を整備する際には、減額規定の文言や減額幅の定め方が、取締役会の裁量に影響し得る点に留意する必要があります。
取締役会における退職慰労金の減額決議の手続について
本判決は、結論に至るにあたり、利害関係のない外部専門家で構成された調査委員会が十分な情報を収集し詳細な報告書をとりまとめたこと、取締役会において不支給案を含む複数の選択肢を比較検討した上で実質的な審議が行われたこと等を考慮しています。
退職慰労金の減額を検討する場面では、十分な事実調査を行い、その結果を踏まえた実質的な審議を取締役会で行うことが、裁量権の行使の適正さを裏付けるために重要です。
退任取締役の不正行為への対応について
退任取締役に在任中の不正行為が発覚した場合の退職慰労金の取扱いは、しばしば問題となります。本判決は、取締役会が退任取締役の行為の内容や性質、会社が受けた影響、当該取締役の地位等を総合考慮して判断すべきことを示しています。不正行為の調査と退職慰労金の決定に関する一連のプロセスについて、あらかじめ社内体制を整備しておくことが望ましいといえます。
近年、退職慰労金の不支給や減額をめぐる紛争は増加傾向にあります。本判決を踏まえた内規の見直しや運用体制の整備について、ご不明な点がございましたら、お気軽にご相談ください。
本コラムは、一般的な情報提供を目的として作成したものであり、個別の法律上のアドバイスではありません。具体的な事案については、本ウェブサイト右上の問い合わせフォームよりご連絡ください。

