はじめに
企業の経営が悪化し、金融機関との間で返済猶予の交渉を続けているという状況は、企業再生の実務において珍しくありません。こうした場面で、銀行が取引先企業の預金を自行の貸金と相殺することで債権を回収しようとするケースがあります。
しかし、会社更生法は、一定の場合に更生債権者が相殺権を行使することを禁じています(会社更生法49条1項)。その要件の解釈は実務上重要な問題であり、特に「支払の停止」の有無とその時期の認定は、相殺の有効性を左右します。
東京地方裁判所令和5年11月22日判決(以下「本判決」といいます。)は、銀行が経営危機に陥った取引先の預金を自行の貸金と相殺した行為が会社更生法の相殺禁止規定に抵触するとして無効と判断したものです。本判決は、「支払の停止」の認定時期や銀行による融資保全策の法的な限界について、実務上重要な示唆を与えています。
今回のコラムでは、上記東京地裁判決について、概要を紹介いたします。
事案の概要
更生会社A株式会社(以下「更生会社」といいます。)は、パック鶏卵の製造・販売等を業とする株式会社であり、株式会社Y銀行(以下「被告」といいます。)に対して普通預金口座および別段預金口座に預金を有していました。
更生会社は、令和2年7月頃までに、被告を含む複数の金融機関(取引金融機関)に対して合計約181億円の借入金債務を負っており、グループ会社(Aグループ)全体では約473億円に上る借入金債務を抱えていました。
Aグループは、令和2年7月29日、取引金融機関に対して経営改善計画(旧経営改善計画)を提示し、借入金元本の返済を令和3年7月末日まで猶予するよう求め、取引金融機関はこれに同意しました(本件各条件変更契約)。
しかし、令和3年7月8日、Aグループは改めて新経営改善計画を提示し、返済をさらに1年延長するよう求めました。取引金融機関の担当者らは直ちに同意せず、同月16日にも返済猶予を求めたまま、本件各条件変更契約による最終返済日(令和3年7月30日〜8月2日)が到来しましたが、更生会社は借入金元本の返済を行いませんでした。
その後、令和4年3月11日に更生会社の債権者らが東京地方裁判所に更生手続開始の申立てをし、同月25日、更生手続開始決定がなされました。
被告は、更生手続開始申立て当日の令和4年3月11日、被告の更生会社に対する貸金債権をもって、更生会社の普通預金(1億1346万7705円)および別段預金(4548万4010円)の合計1億5895万1715円と対当額で相殺するとの意思表示をしました(本件相殺1)。さらに、本件普通預金口座に令和4年3月15日に振り込まれた売掛金1219万4542円についても相殺の意思表示をし(本件相殺2)、第1回口頭弁論期日にも再度相殺の意思表示をしました(本件相殺3)。
更生会社の管財人に選任された原告らは、これらの相殺はいずれも会社更生法49条1項3号・4号により無効であるとして、預金の払戻しを求めました。
本件の争点
本件の争点は以下のとおりです。
| 争点 | 内容 | 裁判所の判断 |
|---|---|---|
| 争点① | 更生会社は本件別段預金につき払戻しを請求する権利を有するか | 否定 |
| 争点② | 令和3年8月2日の時点で更生会社に「支払の停止」があったか | 肯定 |
| 争点③ | 被告は「支払の停止」があったことを知っていたか | 肯定 |
| 争点④ | 「支払の停止」があった時において更生会社は「支払不能でなかった」か | 否定(支払不能だった) |
| 争点⑤ | 被告の預金払戻債務の負担は、「支払の停止」等を被告が知った時より「前に生じた原因」に基づくものか | 否定 |
裁判所の判断
争点①——別段預金の払戻請求権
被告と更生会社との間の金銭消費貸借契約には、被告が払戻請求書によらず返済用預金口座から引き出して元利金の返済に充てることができるとの約定がありました。裁判所は、本件普通預金口座から本件別段預金口座への各振替が、毎月の元利合計額に一致していること等を踏まえ、この振替は借入金債務の暫定的な弁済としてなされたものと認定し、更生会社には払戻請求権がないと判断しました。
争点②——「支払の停止」の有無
裁判所は、「支払の停止」の意義について、最高裁判例を引用しつつ次のとおり述べました。
「会社更生法49条1項3号にいう「支払の停止」とは、支払能力を欠くために弁済期が到来する債務を一般的かつ継続的に弁済することができない旨を外部に表示する債務者の行為をいうと解される(最高裁昭和60年2月14日第一小法廷判決・集民144号109頁参照)。」
その上で、以下の事情を総合して、令和3年8月2日の時点で「支払の停止」があったと認定しました。
| 時期 | 事実 |
|---|---|
| 令和3年7月8日 | Aグループが新経営改善計画を提示し、最終返済日のさらに1年の猶予を求めた |
| 令和3年7月8日 | 取引金融機関はこれに直ちに同意せず、被告の担当者は「延滞となることから遅延損害金は免除できない」と発言した |
| 令和3年7月16日 | Aグループが計画の修正を告げつつ引き続き返済猶予を求めた |
| 令和3年7月30日〜8月2日 | 最終返済日を経過しても、いずれの取引金融機関に対しても借入金元本の返済をしなかった |
| 令和3年7月時点(財務状況) | 現金・預金残高は約11億円に過ぎず、約181億円の借入金債務を弁済できる状況になかった |
「更生会社を含むAグループは、本件各条件変更契約による借入金債務の元本の最終返済日がすべて到来した同年8月2日の時点において、上記最終返済の猶予を求め、現に最終の返済を行わなかったことをもって、その借入金等の債務を一般的かつ継続的に弁済することができない旨を取引金融機関などの外部に表示していたものと認められる。」
なお、令和3年8月以降にプロラタ弁済や修正計画の提示がなされていたとしても、それらは当初の計画より後退した内容であり、かつ一般的かつ継続的な返済猶予要請と並行していたものであるとして、上記認定を覆さないとされました。
争点③——被告の認識
裁判所は、被告が新経営改善計画の提示を受けた令和3年7月8日以降、更生会社が借入金債務を一般的かつ継続的に弁済できない旨を外部に表示したことを認識していたと判断しました。
具体的には、①被告の担当者が同月8日の説明会で「延滞となり遅延損害金は免除できない」と発言したこと、②同年8月23日には「期限の利益を喪失している状況にあり、出金停止措置を取っている」と連絡したこと、③同月末から別段預金への振替による回収を開始したこと、④令和4年1月27日には売掛金債権に譲渡担保を設定したこと等が、認識の根拠として挙げられています。
「被告は、令和3年8月2日時点あるいは遅くとも同月末日頃までには、更生会社が同月2日時点においてその借入金等の債務を一般的かつ継続的に弁済することができない状況になっていることを外部に表示していたこと、すなわち、更生会社に前記3で認定した「支払の停止」があったことを知っていたものと認められる。」
争点④——支払不能の有無
裁判所は、令和3年7月時点で更生会社の現金・預金残高が約11億円に過ぎず、最終返済日に元本の到来した借入金債務は約119億円に上ること、取引金融機関の全行が返済猶予を承諾していたとも認められないことなどを踏まえ、更生会社が令和3年8月2日時点において「支払不能でなかった」とは認められないと判断しました。
争点⑤——「前に生じた原因」の抗弁
被告は、更生会社・被告・Yグループ各社の三者間で、被告の融資保全のために売掛金を本件普通預金口座に振り込む旨の合意があったと主張しました。しかし、裁判所は次のとおり述べ、この抗弁を退けました。
「更生会社は、単に各売掛先に対して売掛金の振込先を本件普通預金口座と指定したのにすぎず、更生会社の売掛先各社においても、被告の融資保全のために売掛金の振込先が本件普通預金に限定され他の預金口座にこれを振り込むことは許されないことを承諾したものとまでは認められない。」
実際に、Yグループのうち一部の会社は売掛金を他行の口座に振り込んでおり、三者間合意の成立を裏付ける事実関係がなかったとされています。
結論
裁判所は、本件相殺1は会社更生法49条1項3号(支払の停止後・知情相殺の禁止)に、本件相殺2および3は同項4号(更生手続開始申立て後・知情相殺の禁止)にそれぞれ違反し、いずれも無効と判断しました。
その結果、被告は、普通預金口座から本件相殺1・2を理由として引き落とした合計1億2566万2247円について、なお更生会社に対する預金払戻債務を負うとして、同額の支払義務が認められました(別段預金分の請求は棄却)。
コメント
1 「支払の停止」の認定時期——実務上の重要な示唆
本判決が注目される理由の一つは、「支払の停止」の時期を、更生手続開始決定(令和4年3月25日)よりも約7か月以上前の令和3年8月2日と認定した点にあります。
「支払の停止」とは、支払能力を欠いて債務を一般的かつ継続的に弁済できない旨を外部に表示する行為をいいます(最高裁昭和60年2月14日第一小法廷判決・集民144号109頁)。本判決は、約定の最終返済日が到来したにもかかわらず返済しなかったという事実の組み合わせをもって、この「外部への表示」があったと認定しています。
実務上の重要な示唆としては、企業が「交渉中」「一部弁済(プロラタ弁済)をしている」という状況にあっても、返済猶予を求めて約定の返済期日に弁済しなかった時点が「支払の停止」として認定されうるという点が挙げられます。これにより、相殺禁止規定の適用時期が、法的手続の開始時点よりも相当前に遡る可能性があることに留意が必要です。
2 銀行による融資保全策の法的限界
本件では、被告銀行が取引先の売掛金を自行の預金口座(本件普通預金口座)に集約し、自行の貸金と相殺する方法で回収を試みました。しかし、裁判所は三者間合意の成立を否定し、「前に生じた原因」に基づく例外(会社更生法49条2項2号)の適用も認めませんでした。
この判断は、実務上とられることのある融資保全策——取引先の売掛金の振込先を自行口座に集中させ、将来の相殺原資とする手法——について、法的な限界があることを明確に示したと評価することができます。銀行が取引先に対して売掛金の振込先の変更を求め、現にそのような対応がとられていたとしても、三者間の拘束力ある合意の立証がなければ、「前に生じた原因」の抗弁は成立しないと判断される可能性があります。
また、被告銀行の担当者が説明会で「延滞となるため遅延損害金は免除できない」と発言し、「期限の利益喪失」と認識したことを明示する連絡をした事実が、後に「支払の停止」の認識の証左として評価されています。金融機関の担当者が内部・外部に向けて表明した認識が、後の法的判断に影響しうることは実務上注意を要する点です。
3 企業に求められる対応
本判決を踏まえて、企業の担当者に意識していただきたい点を整理すると、以下の点を挙げることができます。
(1)経営危機の早期認識と法的手続の検討
経営が悪化し、金融機関への返済が困難になった段階では、できる限り早期に法的整理の選択肢を検討することが重要です。「支払の停止」が認定された後に行われた相殺は無効とされる可能性があることから、再生手続を選択するタイミングが相殺禁止規定の適用範囲に直結します。
(2)返済猶予交渉と「支払の停止」の関係への注意
金融機関との返済猶予交渉においては、どのような申出や通知が「支払の停止」の外部表示に当たりうるかを意識する必要があります。本判決によれば、経営改善計画の提示と最終返済日の不履行が組み合わさった状況が「支払の停止」と認定されています。こうした局面においては、弁護士に相談しながら対応することが望まれます。
(3)取引先の経営危機に際した相殺権行使の検討
取引先が経営危機に陥り、返済猶予を求めてきた場合に相殺による回収を検討する際は、「支払の停止」の有無および自社の認識の有無を慎重に見極める必要があります。特に、経営改善計画の説明会に参加したり、担当者が内部的に「期限の利益喪失」との認識を持った後に相殺権を行使した場合には、後に会社更生法上の無効を主張されるリスクがあります。相殺権の行使時期については、法的判断が必要な局面であり、事前に弁護士に相談されることをお勧めします。
本コラムは、一般的な情報提供を目的として作成したものであり、個別の法律上のアドバイスではありません。具体的な事案については、本ウェブサイト右上の問い合わせフォームよりご連絡ください。

