03-6550-9202 (受付時間 平日10:00〜17:00)

お問い合わせ

ハラスメント申告に対する債務不存在確認訴訟と訴えの利益(東京高裁令和4年10月20日判決)

はじめに

職場でハラスメント被害を申告した従業員を相手に、会社側が「ハラスメントを理由とする損害賠償債務は存在しない」との確認を求める訴訟(以下「債務不存在確認訴訟」といいます。)を提起できるのはどのような場合か。

東京高裁令和4年10月20日判決は、ハラスメント被害を申告した労働者に対し会社が提起した債務不存在確認訴訟について、確認の利益(訴えの利益)を欠くとして訴えを却下しました。

ハラスメント問題への適切な対応が求められている企業の担当者にとって、本判決は実務上の対応のあり方を考える際に有益な示唆を含んでいます。

今回のコラムでは、上記東京高裁判決について、概要を紹介いたします。

 

事案の概要

X社(建築リフォーム等を業とする株式会社)の従業員Yは、上司Aからパワーハラスメント等を受けたと記載した書面(「X社を日本一の会社に飛躍させるための案」と題する申入書。以下「本件申入書」といいます。)をX社に提出しました。本件申入書には、会社に対して損害賠償を求める記載はありませんでした。

その後、X社の代表者がYと面談し、本件申入書に記載されたハラスメントの件についても話し合いが行われましたが、解決には至りませんでした。X社は民事調停を申し立てましたが、Yが労働組合(Bユニオン)に加入し、同組合からX社に対して団体交渉の申入れがされました。

Bユニオンが求めた事項は、①Yの復帰に向けたX社の方針の明確化、②ハラスメントに関する事実関係の調査、③責任者の処分、④文書による謝罪および全従業員への周知等であり、ハラスメントを理由とする損害賠償の請求は含まれていませんでした。

X社は、調停申立てを取り下げた上で、Yを被告として「ハラスメントを理由とする損害賠償債務を負担しないこと」の確認を求める本件訴訟(債務不存在確認訴訟)を提起しました。

原審(横浜地裁相模原支部・令和4年2月10日判決)は、訴えの請求の内容が十分に特定されていないとして訴えを却下しました。X社がこれを不服として控訴したのが本件です。

 

争点

本件の争点は以下の3点でした。ただし、東京高裁は争点②のみについて判断し、控訴を棄却しました。

争点内容高裁の判断
争点①請求の不特定により本訴を却下すべきか否か判断せず
争点②確認の利益の欠如により本訴を却下すべきか否か却下(確認の利益なし)
争点③本件パワハラ等の存否判断せず

 

裁判所の判断

東京高裁は、争点①(請求の特定)については踏み込まず、争点②(確認の利益の欠如)について以下のとおり判断し、控訴を棄却しました。

(1)ハラスメント紛争における債務不存在確認訴訟の特殊性

裁判所はまず、交通事故紛争においては一般的に債務不存在確認訴訟の確認の利益が認められるとしつつ、ハラスメントをめぐる職場内紛争はこれとは事情が異なると指摘しました。

職場内において,パワーハラスメントやセクシャルハラスメント等,各種ハラスメント(以下「パワハラ等」という。)が発生したとして従業員が事業主に対して相談を持ちかけたり苦情を申し入れたりしたからといって,当該従業員が事業主に対して損害賠償を請求する目的があると当然にいえるものではない。このような場合における問題解決の在り方には多様な選択肢があり得るところであって,従業員としては事業主が事実関係の調査を踏まえつつ適切な対応措置を取ることを通してより良い職場環境が実現されることを期待しているのがむしろ通常であると理解される。

さらに、裁判所は、パワーハラスメントに関する相談等を受けた事業主が適切な対応措置を講じることを義務付ける「労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律(労働施策総合推進法)」30条の2第1項、およびこれを受けて定められたパワーハラスメント防止指針(令和2年厚生労働省告示第5号)にも言及した上で、次のように述べました。

このような事情を考慮すると,従業員がパワハラ等について事業主に相談等をした場合には,状況のいかんにより将来的に従業員からパワハラ等を理由とする損害賠償請求がされる可能性がないわけではないけれども,その可能性は一般的抽象的なものにとどまり,むしろ両者間の協議や事業主による対応措置がされることによって債務不履行や不法行為を理由とする金銭賠償や特定的救済といった紛争にまで至らずに解決する可能性も十分に高いものと思われる。そうすると,紛争解決の在り方として損害賠償による解決が原則となる交通事故の場合などとは相当に様相が異なると解されるのであって,単に上記のような相談等がされたことをもって事業主に対する損害賠償請求権の行使につながる抽象的可能性があるとして当該従業員を相手に債務不存在確認訴訟を提起することは,損害賠償請求に係る紛争が未成熟な段階で確認を求めるものといわざるを得ない。また,かかる段階で債務不存在確認の訴えを提起することは,相談等をした従業員側の意思に必ずしもそぐわないばかりでなく,事業者の法令上の責務を果たさないまま応訴の負担を従業員に負わせることにもなりかねないところである。

(2)確認の利益を認めるための要件

以上を踏まえ、裁判所は確認の利益が認められるための判断基準を次のように示しました。

このような事情を勘案すると,以上のような状況の下で債務不存在確認訴訟が提起された場合において,当該確認訴訟による即時確定の利益があるといえるためには,少なくとも当該事案における事実関係に照らして従業員が事業主に対し損害賠償請求権を行使する現実的危険があるといえるだけの事情があることを要するものと解するのが相当である。

(3)本件への当てはめ

裁判所は、本件の具体的事情を以下のとおり検討しました。

本件申入書および代表者との面談について:

これを本件についてみると,被控訴人が令和元年5月に提出した本件申入書(甲5)には,被控訴人が上司から本件パワハラ等を受けたという趣旨の記載がされているが,その中には控訴人に対して損害賠償を求めるといった記載は含まれていない。そして,被控訴人は,本件申入書を提出した直後から育児休業を取得していたが,令和2年10月になって控訴人代表者と面談しており,その際,育児休業から復帰後のことに加えて本件申入書に記載されていた本件パワハラ等の件についても話がされ,その中で,謝罪をしてほしい旨の発言が被控訴人からされてはいるが,この発言は長時間にわたる面談の一場面において出たものにすぎない。この面談では控訴人代表者による発言が多く占めているところ,むしろ控訴人代表者から「じゃあ1個1万円にしとく?1個1万円払うよ」などと金銭解決を持ちかけたかに取れる発言もあり,これに対して被控訴人が「1個1万円?いや,それは考えたことなかったので」と応じるなど(甲22),被控訴人側においては必ずしも損害賠償請求を念頭に置いていなかったこともうかがわれる。

団体交渉の内容について:

そして,被控訴人が加入した本件労組が令和3年1月27日付け書面(甲6)をもって控訴人に対して団体交渉を要求した際にも,そこにおける要求事項は,被控訴人の復帰に当たっての控訴人の方針を明らかにすること,被控訴人に対する本件パワハラ等について事実関係を調査し,責任者を処分し,文書で謝罪するとともに,これら内容を全従業員に通知することなどであり,本件パワハラの件について被控訴人への損害賠償を求めることは要求事項に入っていない。要求事項の中には文書での謝罪を求める部分もあるが,同事項全体から見るならば,これは債務不履行や不法行為を理由に特定的救済を求める趣旨のものというよりも,控訴人に対して前記厚生労働省告示が挙げる雇用管理上の措置の一環として謝罪を要求するという趣旨のものと理解し得るところである。控訴人と本件労組との第1回交渉の際には,本件労組側から,金銭的解決になる可能性もあるとの話が出ている部分も一部にはあるが,他方において,どういう職場を作っていくのか,その中で雇用の問題やハラスメントの問題をきちんと解決していくことを重視している趣旨の発言もされているところであって(甲7),交渉全体を見ても,被控訴人が損害賠償請求を具体的に考えているとうかがわれるだけの事情は見受けられない。他に,被控訴人が控訴人に対する損害賠償請求を具体的に考えていることをうかがわせるだけの事情は,証拠上認められない。

結論:

以上の事情に照らすならば,本件においては,被控訴人が控訴人に対して,控訴人の従業員であった時期に受けた本件パワハラ等を理由として控訴人に対して損害賠償請求権を行使する現実的危険があるといえるだけの事情があるとはいい難い。したがって,本訴は即時確定の利益を欠くものというべきであるから,これを不適法として却下すべきである。

 

本判決の意義

(1)債務不存在確認訴訟と確認の利益

債務不存在確認訴訟は、実務上、交通事故紛争において目にすることが多い類型の訴訟ですが、本件はこれがハラスメントをめぐる労働紛争の場面で会社側から提起されました。

確認の訴えは、原告の権利・法律関係について現に不安・危険が存在し、それを判決によって除去する現実的な必要性がある場合に初めて適法となります。この必要性が認められない段階で訴えが提起されれば、被告に不要な応訴負担を強いることになり、不適法として却下されます。

債務不存在確認訴訟には、こうした確認訴訟一般の問題に加えて、固有の構造的問題があります。すなわち、この訴訟では、被告である債権者の側に債権発生事実の主張立証責任が課されるため、債権者は自らの意思によらずに実質的な攻撃防御を行わざるを得ない立場に置かれます。学説では、こうした訴訟構造がもたらす弊害として、債権者の応訴態勢が十分に整う前に訴訟が開始され、結果として実体的な権利を有する債権者が敗訴するリスクや、そもそも債権者が権利行使自体を断念してしまうリスクが指摘されてきました。

そのため、この種の訴訟において確認の利益が認められるためには、当事者間で一定の協議が行われたにもかかわらず紛争が解決に至っていないなど、訴訟による確認を求める現実的必要性が具体的に認められる事情が必要であると解されています。なお、交通事故紛争に関する裁判例では、このような考え方を前提としつつも、個別の事案においては確認の利益が肯定されたものがあります。

(2)ハラスメント労働紛争に固有の2つの考慮要素

本判決は、これまで主に交通事故紛争を素材として議論されてきた確認の利益の問題を、ハラスメントをめぐる労働紛争という場面で判断したものです。

本判決の実質的な意義は、ハラスメント労働紛争においては、交通事故紛争とは異なる以下の2つの固有の考慮要素があることを明示した点にあると評価できます。

① 紛争解決方法の多様性

ハラスメントに関する労働紛争は、損害賠償の請求という形で顕在化するとは限りません。本判決も指摘するとおり、ハラスメントの相談・申告を行う労働者の多くは、事実関係の調査、責任者の処分、再発防止策の実施、就業環境の改善など、雇用関係を維持したままでの問題解決を求めているのが通常です。実際に、本件においてBユニオンが求めた事項も、Yの復帰に向けた方針の明確化やハラスメントの事実関係の調査等であり、損害賠償の請求は含まれていませんでした。

労働施策総合推進法30条の2およびパワーハラスメント防止指針が事業主に求める対応措置も、事実関係の調査と適正な措置の実施を中心とするものであり、金銭賠償による解決を前提としていません。

このように、ハラスメント紛争においては、交通事故紛争のように金銭賠償が解決の原則形態となるわけではなく、紛争の解決に向けて当事者がどのような手段を選択し、どのような協議が行われてきたかが、確認の利益の判断において重要な意味を持ちます。

② 当事者間の非対等性(使用者と労働者)

労働紛争においては、使用者と労働者の間に情報量・交渉力・経済的資源の面で構造的な格差が存在します。使用者側が債務不存在確認訴訟を提起した場合、労働者は、自らが訴訟を提起していないにもかかわらず、被告として応訴活動を強いられることになります。このことが、ハラスメント被害を受けた労働者にとって、正当な権利行使や問題解決に向けた取組みを萎縮させる効果を持ち得ることは、本判決が強調するところです。

本件においても、X社はYに対して本件訴訟のほか複数の訴訟を提起しており、裁判所はこうした事情も考慮した上で確認の利益を否定しています。

なお、本判決が原審の「請求の特定」に関する判断の当否について踏み込んでいないのは、請求特定という論点よりも確認の利益について正面から判断する方が事案の実態に即した解決となると判断したものと考えられます(原判決を紹介したものとして,労判1268号68頁,高井洋輔・民商159巻2号79頁)。

(3)企業担当者への示唆

本判決は、従業員がハラスメント被害を申告しただけでは損害賠償請求の「現実的危険」は認められず、会社側が提起した債務不存在確認訴訟は確認の利益を欠いて却下されうることを明確にしました。

さらに、裁判所は、損害賠償請求がされる抽象的な可能性だけを根拠に債務不存在確認訴訟を提起することが許されるとすれば、従業員は損害賠償請求をしないと約束でもしない限り応訴の負担にさらされることになり、従業員の問題解決に向けた選択肢を奪う結果になりかねないとも指摘しています。また、態様によってはハラスメントに関する相談や申告を封殺するおそれがあり、前述の法令の趣旨と抵触する問題も生じうると述べています。

企業担当者においては、本判決を踏まえ、従業員からハラスメントの相談・申告があった際には、訴訟による対抗を考えるより前に、法令が求めるとおりに速やかに事実関係を調査し、誠実に対応することこそが、法的リスク管理の観点からも実効的であることを、改めて認識する必要があります。

 

よくある質問(FAQ)

Q1. ハラスメント申告を受けた会社が債務不存在確認訴訟を提起することは許されるか?

A. 訴訟提起それ自体は法律上禁止されているわけではありませんが、本判決は、ハラスメントの相談や申告があっただけでは確認の利益(訴えの利益)が認められず、訴えが不適法却下されうることを明示しました。確認の利益が認められるためには、労働者が損害賠償請求権を「現実に行使する危険」があると認められる具体的事情が必要です。

Q2. ハラスメント申告を受けた場合、企業はどのように対応すべきか?

A. 労働施策総合推進法(旧・雇用対策法)30条の2およびパワーハラスメント防止指針(令和2年厚生労働省告示第5号)に基づき、①速やかな事実関係の調査、②被害者への配慮措置、③行為者への適切な措置、④再発防止策の実施が求められます。本判決は、これらの法令上の責務を果たさずに訴訟で対抗しようとすることに警鐘を鳴らしています。

Q3. 債務不存在確認訴訟における確認の利益とは何か?

A. 確認の訴えが適法となるには、原告の権利・地位に存在する不安・危険を現時点で除去する必要性(即時確定の利益)が必要です。紛争がまだ「成熟」していない段階では、この利益が認められません。本判決は、ハラスメント申告があっただけでは損害賠償紛争として成熟しておらず、確認の利益が生じないと判断しました。

Q4. 本判決は交通事故の債務不存在確認訴訟にも影響するか?

A. 本判決は、ハラスメント労働紛争には交通事故紛争と異なる固有の考慮要素(紛争解決方法の多様性・当事者間の非対等性)があることを強調しており、交通事故紛争の扱いを変更するものではありません。

Q5. 本判決において確認の利益が認められる「現実的危険」の具体例は何か?

A. 判決は具体例を列挙していませんが、少なくとも、労働者側が損害賠償請求の意思を明示的に示した場合、弁護士を通じて賠償額を提示してきた場合、調停・あっせん等で金銭賠償を求めている場合などは、「現実的危険」が認められる方向に働く事情と考えられます。

 


 本コラムは一般的な情報提供を目的としており、個別の法的アドバイスを提供するものではありません。具体的な事案については、ウェブサイト右上の問い合わせフォームよりご連絡ください。