2025年1月17日、経済産業省の「コーポレートガバナンス研究会」が、会社法の改正に向けた提言をまとめた報告書(以下「本報告書」)を公表しました。
この研究会は、神田秀樹・東京大学名誉教授を座長に、学者・企業経営者・機関投資家・弁護士などの有識者で構成されており、日本企業の「稼ぐ力」を強化するための会社法制の見直しを検討してきました。
本コラムでは、法律の専門知識がない方にも理解していただけるよう、報告書の背景と主要な提言内容をわかりやすく解説します。
なぜ今、会社法の改正が必要なのか
「失われた30年」からの転換点(報告書1頁)
報告書の冒頭は、日本経済の現状認識から始まります。
「1990年代以降の日本経済は、『失われた30年』と呼ばれる状況が続いた。……しかし、足下の日本経済をみると、国内においては30年ぶりに民間設備投資が100兆円規模となり、賃上げにおいては春闘において昨年を大きく上回る5%を超える賃上げ率となるなど、……30年ぶりの変化が生じている。」(報告書1頁)
つまり、長いデフレの停滞を経て、日本経済がようやく変化の潮目を迎えている、というのが出発点です。この流れを継続するためには、企業が中長期的な視点で「攻めの成長投資」を行える環境が必要であり、そのための法制度の整備が急務だと説明されています。
コーポレートガバナンスの課題(報告書1頁)
これまで日本では、独立社外取締役の活用や政策保有株式の削減など、コーポレートガバナンス改革が進んできました。しかし報告書は、一部の企業において改革が「形式的な体制整備」にとどまり、本来の目的である「稼ぐ力の強化」には結びついていないと指摘します。
この課題を解決するために、会社法制の見直しという「制度面の環境整備」が必要だというのが、今回の報告書のテーマです。
報告書が提言する主な改正内容
提言は大きく「①価値創造ストーリーの実行(成長投資の手段整備)」「②機関設計の見直し」「③エンゲージメント(株主との対話)の促進」の3本柱に整理されます。
第1の柱:成長投資の手段を広げる(5つの提言)(報告書6〜16頁)
1. 従業員・子会社社員への自社株の無償交付を可能に(報告書6頁)
【現状の問題】
「従業員に対して会社の株式を付与し、企業の成長を自分事として意識してもらう」という株式報酬は、欧米では広く普及しています。しかし現行の会社法では、従業員への株式の「無償交付」は認められていません。
現在は「現物出資構成」という技巧的な方法を使わざるを得ず、説明や会計処理において実務上の負担が生じているとの指摘があります。
また、グループ子会社の役職員(社員・役員)に対して親会社の株式を付与する場合にも、複雑な手続きが必要です。
【提言の方向性】
・従業員および子会社の役職員に対して、株式を無償交付できる制度を新設する
・株式価値の希釈化(1株あたりの価値が薄まること)のリスクが低い場合は、株主総会決議なしで実施可能とする
・完全子会社だけでなく、一定条件を満たす場合は非完全子会社の役職員も対象に含めることを検討
【ポイント】
この改正により、企業はグローバルな人材獲得競争において、賃金に加えて株式を活用した報酬制度が整備しやすくなります。特にスタートアップ企業や、海外人材を採用したい企業にとっては大きな意義があります。
2. 株式を対価としたM&Aの拡大(株式交付制度の改正)(報告書8頁)
【現状の問題】
日本では、M&A(企業の買収・合併)の際に「現金」を支払うのが一般的です。しかし海外では、自社の株式を対価として使う「株式対価M&A」が活発に行われています。たとえば米国では、Google等の大企業が株式対価のM&Aを活用して急速に成長してきました。
2019年の会社法改正で「株式交付制度」が創設されましたが、現行制度には以下の制約があります。
・対象が国内の株式会社に限定されており、外国会社の買収には使えない
・議決権の過半数を取得する場合のみが対象(既に子会社である会社の株式を追加取得する場合は不可)
・反対株主に株式買取請求権(現金での買取を請求できる権利)が認められており、不測の資金流出リスクがある
【提言の方向性】
・株式交付の対象を外国会社にも拡大する
・既存の子会社の株式追加取得にも対応できるよう要件を見直す
・反対株主の株式買取請求権を廃止する(実質が有償譲渡に類似しているため不要と判断)
【ポイント】
現金を用意しなくても大規模なM&Aが可能になることで、日本企業が海外企業を含む積極的な事業拡大を行いやすくなります。特に自社株の時価が高い企業にとって、有利な条件でM&Aを実現できる選択肢が増えます。
3. キャッシュ・アウト手続きの効率化(報告書11頁)
【キャッシュ・アウトとは?】
「キャッシュ・アウト」とは、上場企業を完全子会社化(非上場化)する際に、少数株主が保有する株式を現金で強制的に買い取る手続きです。MBO(経営陣による自社買収)や大型M&Aでよく使われます。
【現状の問題】
現行法では、キャッシュ・アウトの方法として「①株式併合」と「②株式等売渡請求」の2つがあります。
・株式等売渡請求は取締役会決議だけで迅速に実行できますが、議決権の90%以上を保有している必要があります
・株式併合は議決権の3分の2以上で実行できますが、株主総会の開催が必要なため、手続き完了まで約2倍の時間がかかります
つまり、「買収者が3分の2以上・90%未満の株式を取得した場合」は、結果が見えているにもかかわらず株主総会を開催しなければならず、時間的・コスト的に非効率です。
【提言の方向性】
・株式等売渡請求の要件(議決権保有割合)を90%以上から3分の2以上に引き下げることを検討
・一定の条件のもと、複数の買収者の議決権を合算できるようにする(例:代表取締役とPEファンドが共同で買収する場合など)
・ただし少数株主の保護(差止請求・売買価格決定申立て)は引き続き確保
【ポイント】
手続きが迅速化・合理化されることで、M&Aや業界再編がより機動的に行えるようになります。また、MBO(非上場化)を選択する企業の実務負担も軽減されます。
4. 社債権者集会のオンライン開催を解禁(報告書13頁)
【社債とは?】
社債とは、企業が資金調達のために発行する「借金の証書」です。投資家が社債を購入することで、企業は資金を調達できます。国内では銀行借入が主流で、デット(借入)ファイナンス全体の8割以上を占めており、社債の活用は約1割にとどまっています。
【現状の問題】
社債権者(社債を保有する投資家)が集まって重要事項を決議する「社債権者集会」は、現行法ではバーチャル(オンライン)のみでの開催ができません。発行会社が不測の事態(コベナンツ違反など)に直面した際に、物理的な会場を準備する必要があり、迅速な対応の妨げになっています。
【提言の方向性】
・バーチャルオンリー(オンラインのみ)での社債権者集会を認める
・社債権者集会ではすべての社債権者に書面での議決権行使が認められているため、株主総会と異なりデジタルデバイド(ネット環境を持たない人への配慮)措置は不要
・バーチャル化を実現することで、社債権者保護(コベナンツ)の充実が図られ、社債市場の活性化につながることを期待
5. 業務執行取締役も「責任限定契約」を結べるように(報告書15頁)
【現状の問題】
現行法では、社外取締役や会計参与(会社外部の立場の役員)は会社と「責任限定契約」を締結できます。これは、悪意や重過失がない場合の損害賠償責任の上限額を事前に定める契約です。
しかし、実際に経営の意思決定をする業務執行取締役や執行役は、この契約を結べません。そのため、「大きなリスクをとった経営判断が後から訴訟リスクになるのでは」という懸念から、経営者が萎縮してしまう可能性が指摘されています。
実際、「D&O保険」(役員賠償責任保険)で対応している企業も多く、上場企業の9割以上がこの保険を導入していますが、補償上限額や除外事由が存在するため、保険だけでは不十分な場面もあります。
【提言の方向性】
・業務執行取締役・執行役も、会社との間で責任限定契約を締結できるようにする
・これにより経営者が過度にリスク回避的になることなく、大胆な成長投資の判断を下せる環境を整える
【ポイント】
「経営者が責任を問われることを恐れて守りに入る」という問題を制度面から解消することで、攻めの経営判断が促進されることが期待されます。
第2の柱:機関設計制度の見直し
3種類ある「会社の形」の問題点(報告書17頁)
日本の上場企業には、「①監査役会設置会社」「②監査等委員会設置会社」「③指名委員会等設置会社」という3つの機関設計が認められています。
このうち、③指名委員会等設置会社は、「取締役のモニタリング(監視・評価)機能を重視した経営体制」(モニタリングモデル)を志向する企業向けとされています。しかし、実務上、以下の問題が指摘されています。
・指名委員会や報酬委員会に最終決定権があり、たとえ取締役の過半数が社外取締役であっても、取締役会全体でその決定を覆せない
・この仕組みが「使いにくい」として、モニタリングモデルを志向する企業も指名委員会等設置会社を採用しない要因になっている
【報告書の方向性(2つのアプローチ)】
報告書では、研究会内でも意見が分かれており、2つの方向性が示されています。
①指名委員会等設置会社の委員会権限を優先的に見直す:社外取締役が過半数を占める場合は、指名・報酬の最終決定権を「取締役会全体」に帰属させる
②機関設計制度全体を中長期的に見直す:3つの機関設計制度全体のあり方を再整理し、モニタリングモデルを志向する企業にとって使いやすい制度に再設計する
第3の柱:株主との対話を実質化・効率化する
6. 実質株主(本当の株主)の情報を企業が把握できるようにする(報告書21頁)
【現状の問題】
株主名簿に記載されている株主(名義株主)と、実際に議決権の指図権限を持つ投資家(実質株主)が一致しないケースが増えています。特に機関投資家(ファンドや年金など)が介在する場合に多く見られます。
現行制度では、保有割合が5%を超える場合の「大量保有報告制度」があるだけで、企業が幅広い実質株主を把握する手段が不十分です。そのため、多くの上場企業が高額のコストをかけて「実質株主判明調査」を独自に行っています。
【提言の方向性】
・欧州の制度を参考に、企業が名義株主や仲介機関に対して「実質株主は誰か」を照会できる制度を整備する
・回答を義務化し、虚偽回答や不回答をした株主の議決権を停止できる仕組みも検討
【ポイント】
企業が実質株主を正確に把握できれば、適切な相手にエンゲージメント(対話)を申し込めるようになり、より実効的なコミュニケーションが可能になります。
7. 有価証券報告書と事業報告書の「一体開示」(報告書23頁)
【現状の問題】
日本の上場企業は現在、「事業報告・計算書類(会社法)」と「有価証券報告書(金融商品取引法)」という2種類の開示書類を、別々の日程で作成・公表しています。両者の記載内容は大部分が重複しているにもかかわらず、細部の差異があるため、企業の作成負担が大きくなっています。
【提言の方向性】
・2つの書類を一体化して同時に開示する「一体開示」の環境整備を進める
・一体開示を行った場合の監査役の監査範囲や、役員の責任範囲を明確化する
・一体開示に伴う書面交付請求への対応や、株主総会日程の後ろ倒しなどの課題も合わせて検討
【ポイント】
開示業務の効率化により、企業が浮いた時間・人材を「非財務情報の質の向上」や「株主との実質的な対話」に充てることが期待されます。
8. バーチャルオンリー株主総会の会社法への組み込み(報告書27頁)
【現状の問題】
現在、物理的な会場なしにオンラインのみで株主総会を開催する「バーチャルオンリー株主総会」は、経済産業大臣・法務大臣の確認を受けた上で「産業競争力強化法」の特例として認められています。しかし、確認手続きが企業の負担となっており、また通信障害が発生した場合の株主総会決議取消リスクも利用の妨げになっています。
【提言の方向性】
・バーチャルオンリー株主総会を会社法上の制度として正式に位置づけ、確認手続を不要にする
・バーチャルオンリー株主総会の通信障害対策を「開催要件」としない(企業のリスク判断に委ねる)
・通信障害が発生した場合の決議取消事由を限定する(故意・重過失がある場合のみとする等)
【ポイント】
会場確保のコストがなくなり、地理的制約もなくなるため、株主総会の開催コストが大幅に削減できます。また、感染症の拡大や災害時にも安定して株主総会を開催できます。
9. 株主提案権の要件見直し(濫用的な提案への対応)(報告書30頁)
【現状の問題】
近年、株主総会において、ごく少数の株主が大量の議案を提出する「濫用的な株主提案」が増加しています。2024年6月の株主総会で株主提案を受けた企業数は、2014年比で3倍以上に増加しているという指摘もあります。
現行法では、議決権の1%以上または「議決権300個以上」を6か月以上保有する株主が株主提案できます。しかし株式分割が進んだ結果、ごく少数の投資金額でも300個以上の議決権を持てるようになっており、この「300個以上」要件が濫用的な提案の温床になっているとの指摘があります。
【提言の方向性】
・「議決権300個以上」という数量要件を廃止する
・代替要件として、一定金額以上の株式保有要件や株主人数要件を設けることを検討
・モニタリング機能が十分な企業では、株主提案権の要件をさらに厳格化することも検討
【ポイント】
株主提案の濫用を防ぐことで、企業は本来必要な「建設的な株主との対話」に経営資源を集中できるようになります。なお、正当な株主提案権は引き続き保護されます。
10. 非上場会社の書面決議要件の緩和(報告書32頁)
【書面決議とは?】
株主全員が書面で同意した場合、株主総会を実際に開かなくても決議があったものとみなす制度です。非上場会社(スタートアップ含む)でよく活用されています。
【現状の問題】
現行法では、株主「全員」の同意が必要です。スタートアップ企業などでは、古い創業メンバーや海外のVC(ベンチャーキャピタル)など多様な株主がいるため、1人と連絡が取れないだけで書面決議が使えなくなる、という事態が起きています。
【提言の方向性】
・一定の要件(定款の定め、全株主への通知義務など)を満たした場合に、全員の同意でなくても書面決議を認める(例:90%以上の同意など)
・スタートアップ企業の機動的な経営判断を後押しする
まとめ:本報告書の意義と今後の見通し
本報告書は、日本企業の「稼ぐ力」を強化するための会社法改正に向けた、政府研究会レベルの提言をまとめたものです。具体的な改正項目を以下に整理します。
| 分類 | 主な提言 |
|---|---|
| 成長投資の手段 | 従業員株式無償交付の解禁、株式対価M&Aの拡大、キャッシュ・アウトの効率化 |
| 経営者のリスクテイク促進 | 業務執行取締役の責任限定契約の解禁 |
| 資金調達の多様化 | 社債権者集会のバーチャル化 |
| 機関設計 | 指名委員会等設置会社の指名・報酬権限の見直し、中長期的な制度全体の再設計 |
| 株主との対話促進 | 実質株主情報開示制度、一体開示、バーチャルオンリー株主総会の法制化 |
| 株主総会の効率化 | 株主提案権の要件見直し、書面決議要件の緩和、株主総会手続全体の合理化 |
報告書の最後では、次のように述べられています。
「日本企業の『稼ぐ力』の強化に向けて、経営者の大胆なリスクテイクや、積極的な成長投資を後押しするため、『企業経営・資本市場一体改革』の一環として、これらの事項について適切な見直しを早期に図ることが重要である。」(報告書39頁)
今後は法務省による法制審議会での審議、パブリックコメントを経て、具体的な会社法改正案が国会に提出されることが見込まれます。経営者・法務担当者・投資家の方々は、この報告書の動向を引き続き注視することが重要です。
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