本記事は令和8年(2026年)8月時点の法令(不正競争防止法ほか)に基づきます(更新)。
退職者による営業秘密の持ち出しは、実際に刑事事件にまで発展しています。回転寿司チェーン「かっぱ寿司」を運営するカッパ・クリエイトの元社長が、前職の「はま寿司」から仕入原価などのデータを持ち出して転職先で共有した事件では、元社長が有罪判決を受けた(2023年)だけでなく、受け入れた会社自身にも罰金3000万円が科され(2024年・東京地裁)、民事でも5億円の損害賠償請求に発展したと報じられています。
また、ソフトバンクの元社員が退職直前に5G基地局関連の営業秘密を自分宛てに送信して楽天モバイルへ転職した事件でも、元社員に懲役2年・執行猶予4年・罰金100万円の有罪判決が言い渡されています(2022年・東京地裁。2025年に最高裁で確定)。
「退職した営業社員が、顧客名簿を持ち出して同業他社に転職した」「開発担当者が技術データを持ったまま辞め、そっくりな製品が競合から出てきた」——報道された事件と同じことは、どの会社にも起こり得ます。そして、このようなとき、会社は大きな損害を受けます。しかし、感情的に動く前に、法的に有効な手を、正しい順序で打つことが何より重要です。
退職者による顧客名簿・技術データの持ち出しは、その情報が「営業秘密」にあたる場合、不正競争防止法違反となり、会社は差止め・損害賠償・刑事告訴という手段を取ることができます。そして、対応の成否を分けるのは、アクセスログや持ち出しの証拠を早期に確保できるかです。
今回のコラムでは、営業秘密の事件を扱う弁護士が、被害に気づいた企業がまず何をすべきか、どんな請求ができるかを、条文と裁判例にもとづいて解説いたします。
退職者に情報を持ち出されたら、まず何をすべきですか?
初動で最も重要なのは、証拠を確保することです。具体的には、退職者が使っていたパソコンやアカウントのアクセスログ、メール送信履歴、USB等の外部媒体の接続履歴、持ち出された情報の管理状況を記録・確保します。証拠が失われる前に動くことが、その後のすべての手段の土台になります。
営業秘密の事件では、「誰が」「いつ」「どの情報を」持ち出したのかを、後から立証できるかどうかが勝負を分けます。持ち出しの事実は、多くの場合、社内に残されたデジタルの痕跡から立証することになるため、初動での保全が決定的に重要です。
被害に気づいた直後に確認・確保すべき事項を整理すると、次のとおりです。
| 確認・確保すべき事項 | 具体例 |
|---|---|
| アクセスの痕跡 | 共有フォルダ・サーバへのアクセスログ、ファイルの閲覧・コピー・ダウンロードの履歴 |
| 持ち出しの経路 | 退職直前のメール送信履歴(私用アドレスへの転送)、USBメモリ等の接続記録、クラウドへのアップロード |
| 情報の管理状況 | その情報にどんな秘密管理(マル秘表示・パスワード・アクセス制限)がされていたか |
| 契約・誓約の有無 | 入社時・退職時の秘密保持誓約書、就業規則の秘密保持条項 |
情報の持ち出しは、退職の意思が固まった時期、つまり退職届が出される前後から始まっていることが少なくありません。そのため、退職届が提出された従業員については、退職後の動きだけでなく、退職届が出される前の時期にさかのぼって、アクセスログやファイルのダウンロード・コピー履歴、外部媒体の接続記録などに不審な点がないかを確認しておくことが有益です。退職手続と並行して早めにログを確認しておけば、持ち出しの兆候を早期に把握でき、証拠が上書き・消去される前に保全することにもつながります。
これらは、後で述べる「営業秘密にあたるか」「不正な持ち出しか」という要件の立証に直結します。社内だけで抱え込まず、早い段階で弁護士に相談し、証拠保全の方針を固めることをおすすめします。手続の全体像は不正競争防止法とは?10類型と企業が取れる対抗手段をご覧ください。
情報の持ち出しは、不正競争防止法違反になりますか?
その情報が「営業秘密」にあたり、退職者が不正な手段で取得したり、図利加害目的で使用・開示したりした場合には、不正競争防止法違反(営業秘密の侵害)になります。
不正競争防止法は、営業秘密をめぐる侵害行為を2条1項4号から10号までに分けて定めています。退職者の持ち出しでよく問題になるのは、次の類型です。
まず、そもそも不正な手段で情報を取得した場合が4号です。
四 窃取、詐欺、強迫その他の不正の手段により営業秘密を取得する行為(以下「営業秘密不正取得行為」という。)又は営業秘密不正取得行為により取得した営業秘密を使用し、若しくは開示する行為〔…〕
一方、在職中に会社から正当に営業秘密を「示されていた」社員が、図利加害目的でこれを使ったり外部に開示したりする場合は、7号にあたります。
七 営業秘密を保有する事業者(以下「営業秘密保有者」という。)からその営業秘密を示された場合において、不正の利益を得る目的で、又はその営業秘密保有者に損害を加える目的で、その営業秘密を使用し、又は開示する行為
さらに、退職者が持ち出した営業秘密を、その事情を知りながら受け取って使った転職先の会社などは、8号の対象となり得ます。
八 その営業秘密について営業秘密不正開示行為(前号に規定する場合において同号に規定する目的でその営業秘密を開示する行為又は秘密を守る法律上の義務に違反してその営業秘密を開示する行為をいう。以下同じ。)であること若しくはその営業秘密について営業秘密不正開示行為が介在したことを知って、若しくは重大な過失により知らないで営業秘密を取得し、又はその取得した営業秘密を使用し、若しくは開示する行為
つまり8号は、不正な開示があったこと(またはそれが介在したこと)を知りながら、あるいは重大な過失によって知らずに、営業秘密を取得・使用・開示する行為を規制するものです。
7号や後述の刑事罰では、「不正の利益を得る目的」または「営業秘密保有者に損害を加える目的」(あわせて図利加害目的といいます)が要件になります。この「不正の利益を得る目的」とは、公序良俗または信義則に反する形で不当な利益を図る目的をいい、自ら利益を得る目的だけでなく、第三者(転職先など)に利益を得させる目的も含まれます。
これらの類型ごとに、会社が主張・立証すべき事柄は次のように整理できます。
| 主張・立証すべき事柄 | 内容 |
|---|---|
| ①情報が営業秘密であること | 秘密管理性・有用性・非公知性の3要件(2条6項)を満たすこと |
| ②不正な取得・使用・開示があったこと | 4号(不正取得)・7号(図利加害目的の使用・開示)・8号(悪意等での取得等)などに該当すること |
| ③営業上の利益の侵害・損害 | 差止めなら侵害のおそれ、損害賠償なら故意・過失と損害の発生・額 |
ここで最初の関門になるのが①の「営業秘密にあたるか」です。これは会社側が立証しなければならず、実務でも最も争われるポイントです。詳しくは営業秘密の3要件とはで解説しています。
実際の裁判では、どう判断されていますか?
退職者が在職中に触れていたデータをそのまま持ち出して使った事案では、その情報の管理状況などから営業秘密性や不正使用が認められ、侵害が肯定された裁判例があります。
参考になるのが、接触角計算プログラム事件(知財高判平成28年4月27日・判時2321号85頁)です。この事件では、会社(被控訴人)の研究開発部でソフトウェアの開発を担当していた従業員が、開発したプログラムを完成させた直後に会社を退職し、その翌日に、元従業員らが設立した同業他社(控訴人ニック)へ入社して、わずか2か月ほどで酷似したソフトウェアを完成させ、製品に搭載していました。
裁判所は、会社のソースコードが秘密として管理されていた(営業秘密にあたる)ことを、次のように認定しました。
前記ア認定のとおり,原告プログラムが完成した平成21年7月当時,開発を担当するプログラマの使用するパソコンにはパスワードの設定がされ,また,被控訴人は,完成したプログラムのソースコードを研究開発部のネットワーク共有フォルダ「RandD_HDD」サーバの「SOFT_Source」フォルダに保管し,当該フォルダをパスワード管理した上で,アクセス権者を限定するとともに,従業員に対し,上記管理体制を周知し,不正利用した場合にはフォルダへのアクセスの履歴(ログ)が残るので,どのパソコンからアクセスしたかを特定可能である旨注意喚起するなどしていたことに照らすと,原告ソースコードは,被控訴人において,秘密として管理されていたものというべきである。
そのうえで裁判所は、開発期間が約2か月と極めて短かったことや、退職時に開発用の貸与パソコンを買い取っていたことなどから、元従業員が退職時にソースコードを廃棄せず保有し続け、これを使って製品用プログラムを作成したと推認しました。そして、元従業員のこの行為は不正競争防止法2条1項7号(会社から示された営業秘密の図利加害目的での使用)に、これと知りながらソースコードを取得した転職先の会社の行為は同項8号に、それぞれ該当すると判断しています。一方で、別バージョンのプログラムやアルゴリズムについては、営業秘密にあたらない等として請求が認められておらず、すべての主張が通ったわけではない点にも注意が必要です。
この裁判例から実務的に学べるのは、普段からの秘密管理(共有フォルダのパスワード管理・アクセス権者の限定・ログによる牽制など)が、いざというときに「営業秘密だった」と認めてもらう決め手になるということ、そして持ち出しから使用までの時間的な近さや状況証拠が、不正使用の推認につながるということです。だからこそ、初動での証拠保全が重要になります。
会社はどんな請求ができますか?損害はどう計算しますか?
会社は、①侵害行為の差止め(使用・開示の停止、データの廃棄など)、②損害賠償、そして悪質な場合には③刑事告訴を検討できます。損害賠償では、立証負担を軽くする推定規定(5条)を使えます。
取り得る手段を整理すると、次のとおりです。
| 手段 | 内容 | 根拠 |
|---|---|---|
| 差止め | 営業秘密の使用・開示の停止、持ち出したデータ・複製の廃棄を請求。緊急時は仮処分も | 3条 |
| 損害賠償 | 故意・過失による損害の賠償を請求。5条の推定規定で立証負担を軽減 | 4条・5条 |
| 刑事告訴 | 図利加害目的の不正取得・使用・開示などは営業秘密侵害罪(10年以下の拘禁刑等) | 21条 |
損害賠償の場面では、実際の損害額を細かく立証するのは容易ではありません。そこで役立つのが5条2項の推定規定で、侵害者が侵害行為によって得た利益の額を、会社が受けた損害の額と推定できます。営業秘密の侵害では、侵害品の販売による利益がいくらかを会社側が一から立証するのは難しいため、この推定規定が立証の負担を軽くしてくれます。
差止請求権については、消滅時効にも注意が必要です。
(消滅時効)
第十五条 第二条第一項第四号から第九号までに掲げる不正競争のうち、営業秘密を使用する行為に対する第三条第一項の規定による侵害の停止又は予防を請求する権利は、次に掲げる場合には、時効によって消滅する。
一 その行為を行う者がその行為を継続する場合において、その行為により営業上の利益を侵害され、又は侵害されるおそれがある営業秘密保有者がその事実及びその行為を行う者を知った時から三年間行わないとき。
二 その行為の開始の時から二十年を経過したとき。
つまり、営業秘密の使用行為に対する差止請求権は、侵害の事実と行為者を知ったときから3年、行為の開始から20年で時効消滅します。「様子を見ているうちに時間が経ってしまった」という事態を避けるためにも、早めの対応が肝心です。
弁護士に相談するタイミング
情報の持ち出しに気づいたら、証拠が消える前に、できるだけ早く弁護士に相談してください。そして、こうしたトラブルを繰り返さないための管理体制づくりには、顧問契約による継続的なサポートが有効です。
相談のタイミングと弁護士の役割を整理すると、次のとおりです。
| 場面 | 弁護士ができること |
|---|---|
| 持ち出しに気づいた直後 | 証拠保全の指示、営業秘密性・不正使用の検証、差止め・仮処分の要否判断 |
| 相手・転職先への対応 | 警告書の作成・送付、交渉、訴訟・刑事告訴の準備 |
| 再発防止 | 秘密管理体制の点検、秘密保持誓約書・就業規則の見直し、退職時の手続整備 |
営業秘密の事件は、事後の対応もさることながら、「持ち出されても立証できる」管理体制を平時から整えておくことが最大の防御になります。誰がどの情報にアクセスできるか、退職時にどんな誓約書を取り、データをどう回収するか——こうした仕組みは、一度作って終わりではなく、人の出入りに合わせた継続的な運用が必要です。日常的に相談できる顧問契約を活用することで、平時の予防と有事の初動の両方をスムーズに進められます。
顧問契約については顧問契約のご案内もご覧ください。予防の具体策は営業秘密の管理体制はどう作る?で解説しています。
よくある質問(FAQ)
Q1. 退職した社員が顧客リストを持ち出して同業に転職しました。何ができますか?
その顧客リストが「営業秘密」にあたる場合、不正競争防止法にもとづき、使用・開示の差止めやデータの廃棄(3条)、損害賠償(4条・5条)を請求できます。悪質な場合は営業秘密侵害罪での刑事告訴(21条)も検討できます。ただし、まずはアクセスログや持ち出しの証拠を保全することが最優先です。証拠が失われる前に、早めに弁護士へご相談ください。
Q2. 「営業秘密」と認められるには、どんな条件が必要ですか?
秘密として管理されていること(秘密管理性)、事業活動に有用な情報であること(有用性)、公然と知られていないこと(非公知性)という3つの要件が必要です(不正競争防止法2条6項)。とくに秘密管理性が争われやすく、マル秘表示やアクセス制限などの管理が実際にされていたかがポイントになります。詳しくは営業秘密の3要件の記事をご覧ください。
Q3. 転職先の会社に対しても、責任を追及できますか?
できる場合があります。退職者が持ち出した営業秘密であることを知りながら(または重大な過失で知らずに)取得・使用・開示した会社は、不正競争防止法2条1項8号などの対象となり得ます。転職先が組織的に関与していれば、その会社に対する差止め・損害賠償も検討できます。
Q4. 損害額はどのように計算しますか?
不正競争防止法5条には損害額の推定規定があり、たとえば侵害者が侵害行為で得た利益の額を、会社が受けた損害額と推定できます(5条2項)。実際の損害を細かく立証する負担が軽くなる仕組みです。損害額の考え方は損害賠償の計算で詳しく解説いたします。
Q5. 持ち出しから時間が経ってしまいました。まだ請求できますか?
営業秘密の使用行為に対する差止請求権は、侵害の事実と行為者を知ったときから3年、行為の開始から20年で時効消滅します(不正競争防止法15条)。時間の経過は不利に働くため、できるだけ早く対応することが重要です。まずは現状を弁護士にご確認ください。
証拠の保全と早い相談が結果を分けます
退職者に顧客名簿や技術データを持ち出されたとき、会社は不正競争防止法にもとづいて差止め・損害賠償・刑事告訴という手段を取ることができます。ただし、その前提として、その情報が「営業秘密」にあたること、不正な取得・使用・開示があったことを、会社側が立証しなければなりません。だからこそ、アクセスログや持ち出しの証拠を早期に確保することが、すべての出発点になります。
当事務所では、退職者による顧客名簿・技術データの持ち出しへの対応、持ち出した本人や転職先企業に対する警告・差止め・損害賠償請求、秘密保持誓約書や営業秘密管理体制の整備など、不正競争防止法に関するご相談・ご依頼を多数承っております。「持ち出されたかもしれない」という段階でも構いませんので、証拠が失われる前に、まずはお気軽にお問い合わせください。
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