はじめに
システムやソフトウェアの開発を外部のベンダーに委託することは、多くの企業にとって不可欠となっています。その一方で、「開発を任せた委託先が、よく似た製品を自分で作って、自社の商談先に売り込んでいた」という事態が起きたとき、発注者は法的に救済されるのでしょうか。秘密保持契約(NDA)を結んでいれば安心、と考えている企業も少なくありませんが、実際にはそれだけでは足りない場合があります。
今回のコラムでは、ソフトウェア会社(発注者)が、開発を委託したベンダーが同種のソフトウェアを開発して発注者の商談先であった中国企業に販売活動を行ったことについて、機密保持義務違反と競業禁止義務違反を主張して損害賠償等を求めたものの、請求がすべて棄却された裁判例(知財高裁平成27年3月26日判決)をご紹介いたします。
本判決は、①契約に競業禁止条項がない場合、委託先は同種ソフトウェアの開発・販売を避ける義務を原則として負わないこと、②秘密保持契約があっても、秘密の表示・特定という契約上の要件と運用が伴わなければ保護されないこと、③ありふれたソースコードの記述や機能の共通は模倣の証拠にならないことを示したものです。発注者側が著作権・不正競争防止法に基づく別の訴訟でも敗訴しており、契約と情報管理の設計を誤ると法的救済が困難になることを示す事例として、開発委託を行うすべての企業のご担当者にとって有益な裁判例です。
事案の概要
Xは、ディスクパブリッシャー装置(データをCD・DVD等に自動で書き込む装置)を制御するソフトウェア「iDupli」を開発・販売するソフトウェア会社です。Y1は、Xからソフトウェア開発を受託していたベンダーであり、Y2は、Y1の代表取締役です。
XとY1は、システム・エンジニアリング・サービス基本契約、秘密保持契約及び業務委託基本契約を締結しており、Xは、平成22年8月頃、Y1に対し、「iDupli」のMac版とWindows版のバージョンアップ版の開発を委託しました(開発対象の装置は、契約上、特定メーカーの製品シリーズに限定されていました。)。Y1は、成果物を納品し、Xは、委託代金を全額支払いました。
その頃、Xは、大手メーカー系の販売会社から、同社の中国法人(判決文の表記に従い「エプソンチャイナ」といいます。)向けに別メーカーの装置に対応したソフトウェアを販売する商談の打診を受け、Y2も、価格表の作成や商談への同席という形で一時関与しました。しかし、Xとエプソンチャイナとの交渉は、デモ版の送付後に連絡が途絶え、取引の成立に至りませんでした。
その後、Y1は、ディスクパブリッシャー装置を制御するソフトウェア「群刻」を開発し、エプソンチャイナを含む中国企業に販売活動を行いました。これを知ったXは、Y1が、開発委託等を通じて知った機密情報を使用し、競業禁止義務に違反して類似ソフトを製作・販売したと主張して、Y1とY2に対し、損害賠償1512万円とプログラムの複製・譲渡の差止め、複製物の廃棄を求めて提訴しました。
なお、Xは、これに先立ち、著作権侵害と不正競争防止法違反を理由とする別の訴訟(別件訴訟)でも争いましたが、プログラムの複製・翻案は認められないなどとして敗訴しています。本件の第一審もXの請求をすべて棄却し、Xが控訴したのが本判決です。
以下の判決文の引用部分では、Xは「控訴人」、Y1は「被控訴人会社」、Y2は「被控訴人Y」と表記されています。
本件の争点
本件の主な争点は、以下のとおりです。
| 争点 | 内容 |
|---|---|
| 争点① | Y1に機密保持義務違反があるか(ソースコード、仕様情報、商談先からの要望、Xの事業計画は「機密情報」に当たるか) |
| 争点② | Y1に競業禁止義務違反があるか(販売委託契約は成立していたか、競業禁止条項のない開発委託契約から競業避止義務が生じるか) |
| 争点③ | Y2個人の不法行為責任と、プログラムの差止め・廃棄請求が認められるか |
裁判所の判断
争点① 機密保持義務違反の有無について
裁判所は、Xが「機密情報」であると主張した情報を個別に検討し、いずれについても機密保持義務違反を否定しました。
| 対象情報 | 裁判所の判断 |
|---|---|
| ソースコード | 両プログラムの共通部分は、マイクロソフト社があらかじめ用意している関数、文法上の規約に基づく記述、ありふれた変数名・手法、公開されたオープンソース等であり、記述自体が機密とはいえず、共通していても複製・翻案の証拠にならない |
| プログラムのアイデア | 機密とする情報の具体的内容が判然とせず、機能(アイデア)自体は機密といえない |
| 仕様情報(機能チェック票) | 各項目は多くのプログラムが備えるありふれた機能・仕様か公知の情報であり、一部は旧バージョンの販売により公知。全体としてみても、被告側プログラムで使用された証拠がない |
| 商談先からの要望事項 | 要望が示された打合せにY1側は出席しておらず、関係メールも同送されていないため、そもそも開示を受けたと認められない |
| Xの事業計画 | 開示は受けたが、「営業上の機密であるとして」開示を受けたことを認める証拠がなく、開発対象が別メーカーの装置に限定されていた以上、受託業務の遂行過程で知った情報ともいえない |
ソースコードについての総括的な判示は、次のとおりです。
「控訴人の指摘する点を個別に見ても、また、これらを全体として見ても、控訴人プログラムと被控訴人プログラムのソースコードが同一又は類似のものであるとはいえず、また、控訴人が挙げる点は、いずれも被控訴人プログラムが控訴人プログラムを複製することにより作製されたものであることを直ちに基礎付けるに足りるものではないから、被控訴人プログラムが控訴人プログラムを使用(複製又は翻案)して作製されたものであるとは認められない。」
なお、本件の秘密保持契約等は、秘密情報について「秘密である旨の表示」や「口頭開示後30日以内の書面通知」を要件とする一般的な条項を定めていましたが、Xの主張する情報には、こうした表示・通知がされていませんでした。
争点② 競業禁止義務違反の有無について
まず、Xは、エプソンチャイナへの販売業務をY1に委託する契約が口頭で成立していたと主張しました。しかし、裁判所は、以下の事情から、販売委託契約の成立を認めませんでした。
| 観点 | 考慮された事情 |
|---|---|
| 書面の不存在 | 販売業務の委託に関する契約書類が一切作成されていない |
| 商談への関与 | 商談先でのデモンストレーションや価格交渉を含む打合せに、Y1側は出席していない |
| 情報共有の状況 | デモンストレーション後の交渉はXと商談先との間で行われ、関係メールはY1側に一切同送されず、進捗も知らされていなかった |
| その後の経過 | 交渉が途絶えた後、XからY1や商談先に進捗の問合せ等をすることもなかった |
次に、開発委託契約自体から競業禁止義務が生じるかについて、裁判所は、次のとおり判示しました。
「本件開発業務委託契約、本件SES基本契約、本件秘密保持契約、本件業務委託基本契約のいずれの契約にも、被控訴人会社に対し、控訴人ソフトウェアと競合する同種のソフトウェア(ディスクパブリッシャー装置を制御するソフトウェア)の開発や販売を禁止する条項は定められていないから、被控訴人会社が、本件開発業務委託契約に基づき、およそ控訴人ソフトウェアと競合する同種のソフトウェアの開発や販売を避止すべき義務を負っていたとは認められない。」
さらに、信義則等に基づく競業禁止義務の主張についても、裁判所は、両プログラムが同一・類似とは認められないこと、販売委託も認められないことに加え、Xと商談先との取引自体が「交渉段階で現実化しないまま頓挫したものと見ざるを得ない状況にあった」ことを指摘し、契約によらずに同種ソフトウェアの開発・販売を避止すべき義務を負うとは認められないとしました。
争点③ 代表者個人の責任と差止め・廃棄請求について
裁判所は、Y1に機密保持義務違反も競業禁止義務違反も認められない以上、代表者であるY2個人が不法行為責任を負うこともないとしました。また、プログラムの複製・譲渡の差止めと複製物の廃棄請求についても、両プログラムが同一・類似とは認められないことから、いずれも理由がないとして、Xの控訴を棄却しました。
コメント
本判決は、開発委託をめぐる個別の経緯と証拠関係に即した事例判断ですが、ソフトウェア開発委託の契約実務について、以下の点で実務上の示唆に富むものといえます。
1 競業禁止条項がなければ、委託先の同種製品の開発・販売は原則として止められないこと
本判決は、締結されていた4つの契約のいずれにも競業禁止条項がないことを指摘して、委託先が同種ソフトウェアを開発・販売することを避止すべき義務を否定し、信義則による補完も認めませんでした。
この点について、原審(東京地裁平成26年7月18日判決)は、次の一般論を明示しています。
「ソフトウェアの開発を受託し、あるいはその販売を受託したからといって、当然に、著作権法や不正競争防止法等の法令上の規制を超えて、同種のソフトウェアの製造や販売をしてはならない義務を負うものではなく、かかる義務を負うのは、契約上特にそのような義務を定めた場合や、信義則上そのような義務を生ぜしめるような特段の事情のある場合に限られる。」
契約に定めを置くか、特段の事情がない限り、受託者は競業避止義務を負わないという枠組みが、本判決の判断の基礎にあります。開発委託先は、その分野の技術と市場を熟知する潜在的な競合相手でもあります。委託先による競合品の開発・販売を制限したいのであれば、契約書に競業禁止条項(対象・期間・地域を合理的な範囲で定めたもの)や成果物・ノウハウの目的外使用禁止条項を明記しておくことが出発点となります。
2 秘密保持契約は、「秘密の表示・特定」の運用が伴わなければ機能しないこと
本件では、秘密保持契約等が締結されていたにもかかわらず、機密保持義務違反はすべて否定されました。その背景には、契約上、秘密情報として保護されるためには秘密である旨の表示や開示後の書面通知が必要とされていたのに、そうした運用がされていなかったこと、そして、主張された情報の多くが、ありふれた機能・仕様や公知の情報と評価されたことがあります。NDAを締結すること自体はスタートにすぎず、①守りたい情報を特定し、②契約が求める方式(マル秘表示、口頭開示後の書面化等)を日常業務で実践し、③仕様書や指示書にも表示を徹底するという運用が伴って、初めて契約が機能します。
この点に関し、原審は、秘密である旨の指定手続を要する本件のような秘密保持契約について、「特別な秘密である旨の指定手続を要する点で、被告会社が不正競争防止法や著作権法等の法令により負う義務を一部緩和していると解する余地はあっても、かかる義務を加重していると解することはできない」と判示しています。秘密保持契約を締結しさえすれば法令以上の保護を受けられる、という理解が誤りであることを端的に示すものです。
また、原審は、受託会社の従業員個人が発注者に差し入れた誓約書や、発注者の社内規程(開発管理規程・アクセス管理規則)は、受託会社自体の機密保持義務の根拠にならないとも判断しています。個人の誓約書や自社の内部ルールで委託先を縛れているつもりでも、会社対会社の契約に落とし込まれていなければ、法的には機能しません。
さらに、原審は、実装機能の一覧(機能チェック票)の情報について、製品を購入した者であれば知ることができるものであるから、製品の頒布開始の時点で公知となり、機密保持義務の対象から外れたと判断しました。製品としてリリースされた後は、機能・仕様のレベルの情報を秘密保持契約で守ることはできません。守るべき対象は、ソースコードや設計情報など、製品からはうかがい知れない情報であることを前提に、情報管理を設計する必要があります。
3 ソフトウェアの「機能」やありふれたコードの共通は、模倣の証拠にならないこと
本判決は、両プログラムの共通部分について、開発環境が提供する関数、慣用的な変数名、オープンソース等のありふれた記述であるとして、機密該当性も複製の推認も否定しました。Xは、別件訴訟において著作権侵害と不正競争防止法違反も主張しましたが、いずれも認められていません。ソフトウェアの機能やアイデアは著作権では保護されず、営業秘密として保護されるためには秘密管理性等の要件を満たす必要があります。自社のソフトウェア資産を守るには、著作権に頼るだけでなく、契約(競業禁止・目的外使用禁止)と情報管理体制(営業秘密としての管理)を組み合わせた設計が必要となります。
4 口頭ベースの取引拡大は、契約と認められないリスクがあること
Xは、販売委託契約が口頭で成立していたと主張しましたが、契約書類が一切なく、その後の商談からY1側が外れていた経過などから、契約の成立自体が否定されました。原審は、この点について、Y1側の関与には報酬の合意がなく、価格の提案をXが承諾した証拠もないことから、「本件販売委託契約は未だ交渉段階にあり、一種のサービスとして販売促進に協力していると考えるべき」であるとして、契約の成立を否定しています。報酬などの中核的な条件について合意がなければ、協力的な関与があっても契約とは認められない、という視点は、提携交渉の進め方を考える上で参考になります。開発委託から販売提携へと取引を広げる場面では、担当者間のメールや口頭のやり取りだけで進めてしまうことが少なくありませんが、義務の根拠となる契約が認められなければ、相手方の行動を法的に制約することはできません。取引の節目ごとに、合意内容を書面化しておくことが、本判決からの実践的な教訓です。
おわりに
本判決が扱った問題は、システム開発の委託、共同開発、販売提携など、外部パートナーと技術・情報を共有するあらゆる場面に共通するものです。競業禁止条項や秘密保持条項の設計、秘密情報管理の運用体制は、トラブルが起きてからでは取り返しがつかず、事前の整備がすべてといっても過言ではありません。自社の契約書と運用が実際に機能する形になっているかは、裁判例を踏まえた専門的な観点からの点検が有益です。
当事務所は、システム開発委託契約・秘密保持契約の作成・レビュー、営業秘密管理体制の整備、開発委託先とのトラブル対応について、ご相談・ご依頼をお受けしております。開発委託やソフトウェア資産の保護にお悩みの企業のご担当者は、本ウェブサイト右上の問い合わせフォームより、お気軽にご相談ください。
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