はじめに
遺言には、自筆証書遺言や公正証書遺言のほか、病床や災害現場など死亡の危急に迫った状況で作成される「危急時遺言」(民法976条)があります。危急時遺言は、切迫した状況下で作成されるという性質上、後日、遺言者の真意や遺言能力が争われやすく、その有効性をめぐる判断は実務上の関心を集めてきました。
今回のコラムでは、危急時遺言の有効性(特に、遺言者の真意性および遺言内容を理解する能力)が問題となった東京高裁令和2年6月26日判決を紹介いたします。
上記東京高裁判決は、原審(家庭裁判所)が遺言の確認を却下したのに対し、抗告審がこれを取り消して確認を認めた事案であり、危急時遺言の確認手続において家庭裁判所が得るべき心証の程度や、遺言能力の判断方法について、実務上参考となる判断を示したものです。
高齢のご家族をお持ちの方や、終末期の遺言作成に関わる方にとって、本判決の考え方を理解しておくことは有益です。
事案の概要
本件は、死亡の危急に迫った状況下で「全財産を長男に相続させる」旨の危急時遺言を行った遺言者について、当該遺言が遺言者の真意に出たものとして家庭裁判所の確認を得られるかが争われた事案です。
遺言者(女性)は、平成30年5月、D病院に入院して横行結腸癌の手術を受けました。入院前の遺言者は、自宅でほぼ寝たきりの状態にありましたが、同居する夫および長女から十分な介護を受けられなかったことから、長男(抗告人B)夫婦の手配により入院に至ったものでした。退院後、遺言者は、長男宅に引き取られて療養生活を送るようになりました。
その後、遺言者は、体調が悪化して再入院することとなり、感染性心内膜炎(治療しなければ致死率100パーセントの重症疾患とされます)を発症していることが判明しました。入院時、遺言者には、重度の心不全、脱水、多臓器障害が生じており、急激な病状悪化により日単位で命を落とす可能性がある状態でした。入院後も、遺言者の意識レベルや応答能力には日によって変動が見受けられ、敗血性ショックが疑われる状態に至ることもありました。
なお、再入院に先立ち、長男から相談を受けていたF弁護士は、長男宅を訪問して遺言者と面談を行っていました。その際、遺言者との意思疎通には問題はなく、遺言者は、公正証書遺言の作成に同意した上で、その内容として「長男に全て残す」旨を述べ、公正証書遺言の作成をF弁護士に委任する旨の契約書を作成していました。その後、遺言者の体調悪化を受けて、公正証書遺言の作成から危急時遺言の手続に切り替えられたという経緯があります。
このような状況下で、遺言者は、平成30年●月19日、3人の証人(F弁護士から依頼を受けた行政書士)の立会いのもと、「全ての財産を長男(抗告人B)に相続させる」旨の危急時遺言(民法976条)を行いました。遺言者は、その後間もなく死亡しました。
証人となった原審申立人(抗告人A)が、民法976条4項に基づき遺言の確認を家庭裁判所に申し立てたところ、原審は、本件遺言が遺言者の真意に出たものとは認められないとして申立てを却下しました。これを不服として、原審申立人および利害関係人である長男が即時抗告したのが本件です。
本件の時系列を整理すると、以下のとおりです。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 平成30年5月 | D病院に入院し、横行結腸癌の手術を受ける。退院後、長男(抗告人B)宅で療養 |
| 同年●月6日 | F弁護士が長男宅を訪問し、遺言者と面談。遺言者は、公正証書遺言の作成を同弁護士に委任(委任契約書を作成) |
| 同年●月8日 | G病院に再入院(感染性心内膜炎、重度の心不全、多臓器障害) |
| 同年●月14日以降 | 遺言者の意識レベルが悪化 |
| 同年●月17日 | 血圧低下、敗血性ショックが疑われる状態に |
| 同年●月18日 | 長男からF弁護士に体調悪化の連絡、公正証書遺言から危急時遺言への切替えが決定 |
| 同年●月19日 | 3人の証人の立会いのもと、危急時遺言を作成(全財産を長男に相続させる旨) |
| 同年●月23日 | ミニメンタルステート検査(25点満点中4.5点)、家庭裁判所調査官との面談 |
| 同年●月●日 | 遺言者が死亡 |
| 令和2年2月4日 | 家庭裁判所が遺言確認の申立てを却下(原審判) |
| 令和2年6月26日 | 東京高裁が原審判を取り消し、遺言を確認(本判決) |
本件の争点
本件の争点は、以下のとおりです。
| 争点 | 内容 |
|---|---|
| 争点① | 危急時遺言の確認において家庭裁判所が得るべき心証の程度 |
| 争点② | 本件遺言が遺言者の真意に出たものといえるか(遺言者に遺言内容を理解する能力があったか) |
裁判所の判断
東京高裁は、原審判と異なり、本件遺言について遺言者の真意に出たものとの心証を得ることができるとして、原審判を取り消し、本件遺言を確認する旨を決定しました。
争点① 危急時遺言の確認における心証の程度について
裁判所は、家庭裁判所が得るべき心証の程度について、以下のとおり判示しました。
家庭裁判所が危急時遺言の確認をするに当たっては、当該遺言が遺言者の真意に出たものであるとの心証を得る必要があるところ(民法976条5項)、この確認には既判力がなく、他方でこの確認を得なければ当該遺言は効力を生じないことに確定してしまうことからすると、遺言者の真意につき家庭裁判所が得るべき心証の程度については、確信の程度にまで及ぶ必要はなく、当該遺言が一応遺言者の真意に適うと判断される程度のもので足りると解するのが相当である。
裁判所は、遺言確認の手続に既判力がない一方で、確認が得られなければ遺言自体が効力を生じないことに確定してしまう点に着目し、「一応遺言者の真意に適うと判断される程度」の心証で足りるとの枠組みを示しました。
争点② 遺言者の真意性と遺言内容の理解力について
裁判所は、本件遺言について、遺言者の真意に適うと判断される程度の心証を得ることができると判断しました。
裁判所が、同判断において考慮した事情は、以下のとおりです。
| 区分 | 考慮事情 |
|---|---|
| 遺言時のやりとり | 3人の証人がF弁護士からの依頼に基づいて証人となった行政書士であり、供述の信用性が高いこと |
| 遺言時のやりとり | 「誰に財産を相続させますか。」との問いに対し、遺言者が自発的に長男の名前を述べたこと |
| 遺言時のやりとり | 「他の方はどうですか。」との確認に対し、「いない。」もしくは「Bだけ。」と的確に応答したこと |
| 遺言時のやりとり | 全ての財産を長男に相続させることでよいかの再確認に対し、うなずくことで肯定の意思を示したこと |
| 遺言内容の合理性 | 遺言内容が、F弁護士との事前面談時(6日)に遺言者が述べていた内容と一致していたこと |
| 遺言内容の合理性 | 夫および長女の下で十分な介護が受けられず、長男夫婦の手配で入院し、長男宅に引き取られた遺言者の状況からみて、遺言内容が合理性を有すること |
裁判所は、上記の事情を踏まえ、以下のとおり判示しました。
原審申立人が「誰に財産を相続させますか。」と尋ねたのに対し、遺言者は、抗告人Bの名前を自発的に述べ、また、原審申立人が「他の方はどうですか。」と確認したのに対しても、「いない。」もしくは「Bだけ。」と的確な応答をしており、さらに、原審申立人が全ての財産を抗告人Bに相続させることでよいかと再確認したのに対しては、うなずくことで肯定の意思を示しているのであり、このような本件遺言の際の原審申立人と遺言者とのやりとりの内容からすれば、遺言者は、抗告人Bに全ての財産を相続させる旨の遺言の趣旨を理解した上でこれを口授していることがうかがわれるものといえる。
他方で、本件では、遺言の4日後(23日)に行われたミニメンタルステート検査において、遺言者が25点満点中4.5点の結果となり、主治医から重度認知機能障害と診断されたこと、同日の家庭裁判所調査官との面談において遺言内容に関する回答にあやふやな点が見られたことが指摘されていました。
しかし、裁判所は、以下のとおり判示し、4日後の検査結果や面談結果から遺言時の能力を推認することを否定しました。
そもそも本件遺言は危急時遺言であって、遺言者は死亡の危急に迫った者であることが要件とされているのであり、本件においても、現に遺言者は、本件遺言時である19日の●●●日後である●●●日には死亡しているのであるから、19日の4日後である23日に行われた検査の結果や後述の調査官との面談結果をもって、19日における遺言者の認知機能障害の程度を示すものとみることは相当ではない。
さらに、裁判所は、検査時における遺言者の状況をみても、名前・年齢・場所・季節などの簡単な質問には正しく回答していたこと、担当医師が「軽度な意識障害はあるが、応答は可能」としていたことから、「長男に全ての財産を相続させる」という程度の単純な遺言内容までおよそ理解し得ない状態であったとは明らかでないとしました。加えて、入院中の遺言者は、日常的な意思疎通がある程度図られていた様子が見られ、遺言当日の午前にも医師の質問に対して名前や生年月日を正しく答えていた事情も指摘されています。
本件遺言のように「長男に全ての財産を相続させる」という程度の単純な遺言の内容についてまで、およそ理解し得ない状態であったかは必ずしも明らかではないというべきである。……本件遺言時の遺言者に、上記程度の単純な遺言の内容であればその趣旨を理解し得る能力があったことは十分考えられることといえる。
調査官との面談時の回答があやふやであった点についても、裁判所は、入院中の遺言者の意識レベルや応答能力に日によって変動がある様子が見受けられたことから、面談日の状態がたまたま悪かったということも考えられるとし、遺言時の能力を否定する根拠とはならないとしました。
コメント
1 本判決の判断枠組みと実務上の位置付け
本判決は、危急時遺言の確認における家庭裁判所の心証の程度について、「確信の程度にまで及ぶ必要はなく、当該遺言が一応遺言者の真意に適うと判断される程度のもので足りる」との判断枠組みを示しました。これは、危急時遺言が、死亡の危急という切迫した状況下で作成される性質上、厳格な証明を要求することが制度趣旨に沿わないとの理解に基づくものと考えられます。
本判決が示した判断枠組みは、家庭裁判所実務における従前の取扱いと整合的なものと理解されます。実務資料(最高裁事務総局編『改訂家事執務資料集上巻の1』488頁)においても、危急時遺言の確認に当たり家庭裁判所が求められる心証の程度について、本判決と同旨の考え方が示されているところです。
また、同様の考え方に立ち、原審の却下審判を取り消して危急時遺言を確認した先例として、東京高決平成9年11月27日(判タ984号232頁)、東京高決平成20年12月26日(家裁月報61巻6号106頁)があり、本判決も、これらの先例と軌を一にするものと評価できます。
この判断枠組みの背景には、遺言確認手続の法的性質があります。家庭裁判所による遺言確認には既判力がなく、確認を得たとしても、遺言の実体的効力が確定するわけではありません。そのため、確認手続では「一応」遺言者の真意に適うと判断される程度の心証で足りるとされる一方、遺言の実体的な効力を争う者は、別途、遺言無効確認訴訟等を提起して実体判断を求めることになるというのが、実務上の整理とされています。
確認手続に関わる関係者としては、確認の可否の段階と、その後の実体的効力の当否の段階とを区別した上で、それぞれの段階で採るべき対応を検討する必要があります。
2 遺言能力の判断について本判決が示した視点
本判決は、遺言能力の判断について、以下の視点を示している点で実務上参考になります。
第一に、裁判所は、遺言後に行われた検査結果や面談結果をもって遺言時の能力を推認することに慎重な姿勢を示しました。危急時遺言の場合、遺言者の状態は日によって変動し得るため、遺言時点の状況と後日の状況は切り分けて評価すべきとの考え方が示されています。
第二に、裁判所は、遺言能力の有無を遺言内容の複雑さとの関係で判断しています。「長男に全ての財産を相続させる」という単純な内容であれば、軽度の意識障害があっても理解し得るとしており、遺言内容の難易度と求められる理解力の程度との関係が示されています。
第三に、裁判所は、遺言時のやりとりにおける証人の供述の信用性、遺言内容と事前の意向との一致、遺言内容の合理性といった複数の事情を総合的に考慮しています。真意性の判断が、多面的な事実評価によって行われていることが示されているといえます。
3 本判決を踏まえた実務上の留意点と対応
(1)危急時遺言に関わる方への実務上の留意点
本判決を踏まえますと、危急時遺言の作成に関わる立場の方が留意すべき点として、以下の点を挙げることができます。
まず、危急時遺言の際の遺言者と証人のやりとりについては、後日の確認手続において証人の供述の信用性が問題となり得るため、遺言者への問いかけと遺言者の応答を具体的かつ正確に記録しておくことが重要です。次に、遺言内容については、可能な範囲で事前に遺言者の意向を聴取して記録化しておくことが、真意性を裏付ける資料となり得ます。さらに、遺言時の遺言者の状態については、医療記録等により意識レベルや応答能力を客観的に把握できるようにしておくことが望ましいといえます。
特に、本件では、遺言者が再入院前にF弁護士との面談で公正証書遺言の作成を委任し、遺言の内容として「長男に全て残す」旨を述べていたという事情が、危急時遺言の真意性を裏付ける事情として評価されています。このことは、体調のよいうちに弁護士等の専門家を通じて遺言の意向を形に残しておくことが、後日、遺言者が意思疎通の困難な状態に至った場合にも、遺言者の意思を適切に遺すための備えとなり得ることを示唆しているといえます。ご家族の相続を円滑に進めるためにも、早い段階で遺言の準備をしておくことが有益です。
(2)原審と抗告審で判断が分かれたことの示唆
本件は、原審(家庭裁判所)と抗告審(東京高裁)が、実質的に共通する事実関係を前提としながら、異なる結論に至った事例として注目されます。両者の判断が分かれた背景には、個々の事情について、どの点をどのように重く評価するかという点での違いがうかがわれます。整理すると、以下のとおりです。
| 論点 | 原審(家庭裁判所)の判断 | 本判決(抗告審)の判断 |
|---|---|---|
| 遺言の4日後に行われた検査結果・調査官面談結果の位置付け | 主治医の診断書も踏まえ、遺言時の遺言者の状態を推認する資料として重視 | 危急時遺言の性質および入院中の状態の変動を踏まえ、遺言時の状態の推認資料とすることは相当でないとした |
| 遺言内容の単純さと理解力の関係 | 本件遺言の内容が単純であることを踏まえても、遺言の趣旨や効果を理解した上で口授できたかには疑義が残るとした | 「長男に全ての財産を相続させる」という程度の単純な内容であれば、軽度の意識障害があっても理解し得るとした |
| 3人の証人の供述の評価 | 説明が一致していても、遺言者が遺言の趣旨を理解した上で応答したとまでは認められないとした | F弁護士からの依頼に基づき証人となった行政書士の供述として信用性が高いと評価 |
このように、原審と抗告審では、個別の事情に対する評価の軽重が結論を分けたものと考えられます。このことは、心証の程度が緩和されているとしても、その心証を基礎付けるに足る事情の有無の判断は、個別の事案ごとに異なり得ることを示唆しているといえます。確認手続においては、本判決が示した判断枠組みを踏まえた上で、遺言時のやりとり、事前の意向との一致、遺言内容の合理性といった事情を的確に整理し、丁寧に主張・立証することが、結論を左右し得るといえます。
(3)専門的な対応の必要性
危急時遺言は、通常の自筆証書遺言や公正証書遺言と異なり、家庭裁判所の確認手続を経なければ効力を生じない遺言形式です。また、確認が得られた場合であっても、遺言の実体的な効力については、後日、遺言無効確認訴訟等によって争われ得るため、確認手続の段階から、後続する紛争も見据えた対応が必要となります。
家族間で遺言内容について争いが生じた場合には、確認手続における主張・立証、さらにはその後の実体的な争訟への備えにおいて専門的な対応が求められますので、早い段階で弁護士にご相談いただくことをお勧めします。
おわりに
危急時遺言の有効性や遺言能力の評価は、個別の事実関係に即した繊細な判断を要する問題です。確認手続の申立ての場面、確認手続において他の相続人の立場から意見を述べる場面、確認後に遺言無効確認訴訟や遺留分に関する対応を検討する場面など、段階に応じて採るべき対応は異なります。ご家族の危急時遺言に関する問題でお悩みの方、あるいは事前の遺言作成についてご相談を希望される方は、相続・遺言分野の実務経験を有する弁護士にご相談いただくことが有益です。
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