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退職する従業員に開発済みソースコードの提出を求められる範囲はどこまで?(東京地裁令和元年12月26日判決)

はじめに

ソフトウェア開発会社にとって、従業員であるプログラマーが業務上作成したソースコードは、事業の中核をなす重要な財産です。もっとも、従業員が開発途中のソースコードを保有したまま退職し、あるいはその提出を拒む場合に、会社が従業員に対してどこまでソースコードの提出を求めることができるのか、また、提出がされなかった場合にどのような損害賠償を請求できるのかは、必ずしも明確ではありません。

今回のコラムでは、東京地裁令和元年12月26日判決をご紹介いたします。本件は、ソフトウェア開発会社であるY社と、同社に勤務していたプログラマーであるXとの間で、労働契約の終了の有効性等が争われるとともに、Xが開発したソースコードの提出義務の有無及び範囲、並びにソースコードの不提出を理由とする損害賠償請求の当否が争われた事案です。

本判決の意義は、従業員が業務上作成したソースコードについて会社に対して負う提出義務の範囲を、会社における実際の開発の実情等を踏まえて具体的に判示した点にあります。事例判決ではあるものの、ソフトウェア開発に限らず、従業員の退職等に際して業務上の成果物の引継ぎ・提出をめぐるトラブルは様々な業種で生じ得るものであり、企業の人事・法務担当者にとって参考になる判断です。

事案の概要

本件の当事者は、次のとおりです。

表記内容
X(原告、本訴事件原告・反訴事件被告)中国籍のプログラマー。中国重慶市に居住しながら、Y社との間でリモートワークの労働契約を締結
Y社(被告、本訴事件被告・反訴事件原告)ソフトウェア開発会社。日本のほか、アメリカ及び中国にも従業員を配置

Xは、平成24年7月、Y社との間で期間の定めのある労働契約を締結し(職務内容はソフトウェア開発)、以後3回にわたり自動更新されました。Y社は、バックアップソフトウェア等を開発・販売しており、平成27年当時、自社製品をLinuxLVMという規格に対応させる開発(以下「LinuxLVM対応」といいます。)に着手し、Xはその開発担当者の一人とされていました。Xは、開発の過程で作成したソースコードに対応するバイナリファイル(実行可能な形式のファイル)を複数回にわたりメールで送信していましたが、平成27年8月17日を最後に、対応するソースコードそのものを社内のバージョン管理システム(SVN)には登録していませんでした。

Y社は、平成27年11月30日、Xに対し、中国における開発部門の減員を理由として労働契約を終了する旨通知するとともに、Xが保有する業務上作成した全てのソースコードの提出を求めました。Xは、同年12月1日、Y社に対し、「補填の問題が解決していないので、△△と○○のソースコードは提出できない」という趣旨のメッセージを送信し、提出を拒否しました。Y社は、これを金銭を要求する背信行為であるとして、同月2日、Xを懲戒解雇しました。

Xは、本訴において、上記解雇が無効であるとして労働契約上の地位確認及び未払賃金等の支払を求めるとともに、Y社の対応が不法行為又は債務不履行に当たるとして慰謝料等の支払を求めました。これに対し、Y社は、反訴において、Xがソースコードを提出しなかったことによる損害賠償(約3億1000万円の一部である3000万円の支払)を求めるとともに、Xに対し、業務上作成した全てのソースコードを貸与パソコンに保存した上でこれを引き渡すこと、及び当該ソースコードの複製等の差止め(著作権法112条1項)並びに廃棄(同条2項)を求めました(このほか、Xの勤務時間中の自動車学校への通学やICカードの私的利用に関する請求もされましたが、本コラムでは取り上げません。)。

本件の争点

本件の争点は、以下のとおりです(このほかにも解雇の有効性等に関する争点がありますが、本コラムでは、ソースコードの提出義務に関する争点を取り上げます。)。

争点内容
争点①従業員が業務上作成したソースコードについて、会社に対する提出義務を負う範囲(会社のソースコード保存請求権、不作為請求権及び廃棄請求権の成否)
争点②ソースコードの不提出を理由とする会社の損害賠償請求権の成否及び額

裁判所の判断

争点① ソースコードの提出義務の範囲について

裁判所は、まず、ソフトウェア開発会社の従業員が負うソースコードの提出義務について、一般原則として、次のとおり判示しました。

ソフトウェア開発会社は、このようにして開発、更新したソフトウェアを販売することによって利益を得ているのであるから、ソースコードは、販売対象であるソフトウェアを作成するために欠かせないものであり、その意味で事業の存立に不可欠の重要な財産である。そして、ソフトウェア開発会社に雇用されたプログラマーは、雇用契約に基づいてソースコードを作成して会社の販売対象商品であるソフトウェアの開発を行っている。そうすると、そのようなプログラマーを雇用した使用者である会社が従業員であるプログラマーに対して業務上作成したソースコードの提出を求めた場合、同従業員は、労働契約に基づき、同ソースコードを同会社に提出する義務を負うのが原則である。

もっとも、裁判所は、この提出義務の具体的な範囲について、次のとおり述べ、各社における実際の運用実情等を踏まえて判断すべきであるとしました。

もっとも、労働契約の内容やソフトウェア開発会社におけるソースコードの提出等に関する実情によっては、労働者であるプログラマーが提出義務を負う範囲も異なるものと解されるから、本件において原告がソースコードの提出義務を負う範囲についても、当該実情等を含む具体的な事情を踏まえて判断すべきである。

そして、Y社では、開発途上のソースコードについては、会社から提出を求められない限りSVNへの登録が求められる実情になかったこと等を踏まえ、裁判所は、従業員は、会社から具体的にソースコードの提出を求められた場合には原則として提出義務を負うほか、当該ソースコードの必要性・重要性等に照らして提出を求められる前から提出義務を負うことがあり得る一方で、次のような場合には提出義務を負わないとの判断を示しました。

ソースコード上書き後に初めて上書き前のソースコードの提出を求められた場合において、当該上書き前のソースコードを保存していなかったときは、その時点でソースコードの提出は社会通念上不可能であるから、具体的状況により損害賠償義務を負う場合があることは別として、上書き前のソースコードについては提出義務を負わないというべきである。

この判断枠組みを本件に当てはめた結果は、次のとおりです。

対象ソースコード提出義務の有無
本件ソースコード5(発売済み製品に組み込まれたもの)発売後速やかに提出する義務を負っていたが、Xが同年11月30日の提出要求より前に上書きしたため、履行不能となっていた(債務不履行の問題として争点②で判断)
本件ソースコード1~4、6~7(開発途上のもの)提出を求められて初めて義務が生じるが、Y社が提出を求めた同年11月30日の時点で、いずれも既に上書きされていたため、その時点での提出義務はなかった
本件ソースコード8対象の特定が不十分であるとして、この部分に係る訴え自体が却下された

以上より、裁判所は、口頭弁論終結時点においてXが本件ソースコード1から7までの提出義務を負っていたとは認められないとして、これらのソースコードのパソコンへの保存を求めるY社の請求、並びに著作権法112条に基づく複製等の差止め及び廃棄を求める請求を、いずれも認めませんでした。もっとも、貸与パソコン自体の返還請求については、Xがこれを争っていなかったことから認められています。

争点② ソースコードの不提出による損害賠償について

裁判所は、Xが、発売済みの製品に組み込まれた本件ソースコード5について、発売後速やかに提出すべき義務を怠り、これを上書きして履行不能としたことについて、次のとおり判断しました。

以上によれば、原告は、被告に対し、販売した製品に組み込まれた△△Serviceのソースコードである本件ソースコード5の提出義務を負っていたにもかかわらず、これを怠り提出しなかったものであり、かつ、同ソースコードは上書きされて履行不能となったものであるから、原告は、被告に対し、同提出義務の債務不履行に基づく損害賠償義務を負うというべきである。

また、裁判所は、Y社が平成27年11月30日の時点で提出を求めた、Xの私物パソコン内に保存されていたソースコードについても、Xがその提出を拒否したことが債務不履行に当たり、金銭の支払と引換えにこれを拒否した経緯からは不法行為も成立するとしました。

損害額について、Y社は、Xが適時にソースコードを提出していれば平成28年3月にはLinuxLVM対応版の製品を発売できたはずであるとして、約3億1000万円の損害を主張しました。しかし、裁判所は、LinuxLVM対応の実現には高度な専門性を有するプログラマーの確保が必要であり、Xの離脱から約4年が経過した口頭弁論終結時点でもなお対応が実現していなかったことなどから、この主張の前提を欠くとして採用しませんでした。もっとも、裁判所は、次のとおり述べて、損害の発生自体は認めた上で、相当な損害額を認定しました。

そうすると、原告が同ソースコードの提出義務を怠ったことにより被告に損害が生じたことは認められるものの、損害の性質上その額を立証することが極めて困難であるから、民事訴訟法248条を適用し、口頭弁論の全趣旨及び証拠調べの結果に基づき、相当な損害額を認定するのが相当である。

裁判所は、他のOSとの市場占有率の状況や、実際の関連製品の売上実績等の事情を総合考慮し、Y社の損害額を500万円と認定しました。

コメント

1 本判決の意義

本判決は、ソフトウェア開発会社における従業員のソースコード提出義務について、抽象的な原則を示すにとどまらず、当該会社における実際の開発の実情を踏まえて具体的な判断基準を示した点に意義があります。また、ソースコードが上書きされることによって提出自体が不可能になり得るという、ソフトウェア開発に特有の事情を踏まえた判断を示している点も、実務上参考になります。ソフトウェア開発会社の従業員によるソースコードの不提出をめぐって、損害賠償や解雇の有効性が問題となった判断は、これまであまり見られないとされており、本判決は、参考となる裁判例が少ない領域において具体的な指針を示した事例としても注目されます。

2 従業員のソースコード提出義務の範囲について

本判決は、ソフトウェア開発会社の従業員は、業務上作成したソースコードについて、会社から提出を求められた場合には原則としてこれを提出する義務を負うとしつつ、その具体的な範囲は、各社における開発・提出の実際の運用実情によって異なり得るとしています。本件では、開発途上のソースコードについては会社から求められない限り提出が期待されていなかったという実情が重視され、発売済みの製品に組み込まれたソースコードについてのみ、提出を求められる前からの提出義務が認められました。この判断は、社内で明確なルールが定められていない場合には、実際の運用実態が提出義務の範囲を左右し得ることを示すものです。

結局のところ、提出義務の有無を分けるのは、会社が提出を求めた時点(又は、必要性・重要性からそれ以前に提出すべきであった時点)において、そのソースコードが上書きされずに保存されていたかどうかという一点にあります。前記の表(本件ソースコード5と、その余のソースコードとで結論が異なったこと)も、この一点の違いによって説明することができます。もっとも、上書きによって提出義務自体を免れる場合であっても、その上書きに至った経緯次第では、別途、債務不履行に基づく損害賠償義務を負う余地がある点には注意が必要です。

3 ソースコードの不提出による損害賠償について

本判決は、ソースコードの不提出により会社に損害が生じたこと自体は認めつつ、逸失利益に基づく高額の損害賠償請求については、その実現可能性を裏付ける具体的な事情を欠くとして採用しませんでした。他方で、損害の性質上厳密な立証が困難であるとして、民事訴訟法248条を適用し、相当な損害額を認定しています。この判断は、将来の売上げ見込みに基づいて損害賠償を請求する場合には、単なる期待や見積りにとどまらない、実現可能性を裏付ける具体的な事情を整理しておく必要があることを示しています。

なお、本判決は、本コラムで取り上げた争点とは別に、Xに対する懲戒解雇そのものは無効と判断する一方、その後に到来した労働契約の期間満了による雇止め(更新拒絶)については有効と判断しています。この雇止めの有効性判断に当たっては、Xがソースコードの提出を怠り続けたことによって上記500万円の損害が生じたと認められることなどが、更新拒絶に客観的に合理的な理由があることを基礎付ける事情の一つとされました。ソースコードの不提出という問題が、損害賠償だけでなく、雇用契約の帰趨にも直接影響し得ることを示す一例といえます。

4 企業に求められる対応

以上を踏まえると、企業には次のような対応が求められます。第一に、ソフトウェア開発会社においては、開発途上のソースコードの管理・提出に関する社内の運用ルールをあらかじめ明確にしておくことが望まれます。提出義務の範囲は実際の運用実情に左右されるため、曖昧な運用は紛争の原因になり得ます。第二に、従業員の退職等に際して業務上の成果物の提出を求める場合には、対象を具体的に特定することが重要です。本件でも、対象の特定が不十分であるとして請求の一部が却下されており、特定方法には注意を要します。第三に、既に販売した製品に組み込まれた成果物等、事業上重要性の高いものについては、退職や契約終了を待たず、日頃から適時に提出・保管させる体制を整えることが望まれます。第四に、逸失利益等の損害賠償を請求する場合には、その算定根拠となる事実を具体的に整理しておくことが、立証上重要となります。

おわりに

従業員が開発した成果物の提出や引継ぎをめぐる紛争は、労働関係と知的財産の双方に関わる複雑な問題であり、弁護士に相談することが有益です。当事務所では、労働問題やソフトウェア開発に関するご相談・ご依頼を承っております。同様の問題でお困りの際は、本ウェブサイト右上の問い合わせフォームより、お気軽にご相談ください。

本コラムは、一般的な情報提供を目的として作成したものであり、個別の法律上のアドバイスではありません。具体的な事案については、本ウェブサイト右上の問い合わせフォームよりご連絡ください。