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刑事事件における工具痕鑑定の信用性と犯人性の認定(福岡高裁令和5年12月15日判決)

はじめに

刑事事件では、DNA型鑑定や指紋のように、科学捜査に基づく証拠が有罪・無罪の判断を左右することがあります。しかし、「鑑定」と名の付く証拠であれば、どれも同じように信頼できるのでしょうか。実は、鑑定にはさまざまな種類があり、その科学的な裏付けの程度によって、裁判での取扱いは大きく異なります。

今回のコラムでは、犯行現場に残された工具の痕跡(工具痕)と被告人が所持していた工具とを照合する「工具痕鑑定」について、その信用性に疑問があるとして、これを決め手に被告人を犯人と認定した第一審判決(懲役9年)を破棄した裁判例(福岡高裁令和5年12月15日判決)をご紹介いたします。

本判決は、工具痕鑑定を指紋やDNA型鑑定のように犯人性認定の「決め手」として使うためには、どの程度の証明が必要かという基準を示した上で、鑑定が依拠する実験の前提や、工具の摩耗による変化の可能性といった具体的な観点から、鑑定の信用性を検証したものです。「科学的な証拠がある」と言われた場合でも、その中身を吟味し、争う余地があることを示す事例であり、ご本人やご家族が刑事事件に直面された方にとって参考になる裁判例です。

事案の概要

被告人は、複数の県にまたがる15か所の事務所等への侵入窃盗等を内容とする常習特殊窃盗(侵入窃盗等を常習として行う罪)と、バール等の指定侵入工具を隠して携帯したという特殊開錠用具の所持の禁止等に関する法律違反で起訴されました。被告人は、最後の侵入の際に現行犯逮捕され、その際、バール2本(判決で「銀色バール」「緑色バール」と呼ばれるもの)やパイプレンチ等を所持していました。起訴された窃盗の被害総額は、現金約2313万円と金塊等(時価合計約98万円相当)に上ります。

検察官は、15件のうち2件について、現場に残されたペットボトルから採取されたDNA型と被告人のDNA型との一致を内容とする鑑定(DNA型鑑定)を、その余の13件について、金庫やドアノブ等に残された痕跡と被告人が所持していた工具とを照合した鑑定(工具痕鑑定)等を、証拠として提出しました。

被告人は、現行犯逮捕された最後の住居侵入以外の事実について、自らが犯人であることをすべて否認して争いました。しかし、第一審の福岡地裁は、DNA型鑑定と工具痕鑑定の信用性をいずれも認め、すべての事実について被告人を有罪と認定し、検察官の求刑懲役12年に対し、懲役9年を言い渡しました。これに対し、被告人が、事実誤認を理由に控訴したのが本件です。本判決に対しては、判例タイムズの書誌情報によれば、上告がされています。

なお、判決文では、15件の各犯行事実が「①の事実」から「⑮の事実」という番号で呼ばれています。以下の引用部分に登場する丸数字は、この事実番号を指します。

本件の争点

本件の主な争点は、以下のとおりです。

争点内容
争点①DNA型鑑定により、被告人を犯人と認定できるか(①・⑦の事実)
争点②工具痕鑑定の信用性を認めることができるか
争点③工具痕鑑定を「決め手」として、被告人を犯人と認定できるか(②〜⑥・⑧〜⑭の事実)

裁判所の判断

争点① DNA型鑑定による犯人性の認定について

裁判所は、現場に残されたペットボトルから採取されたDNA型と被告人のDNA型の一致を根拠とする第一審の認定について、次のとおり判示し、これを維持しました。

「DNA型鑑定の極めて高い識別力を踏まえれば、その判断に誤りはない。所論は、検査資料が汚染されていたり、破壊されていたりした可能性を指摘するが、抽象的な可能性をいうにすぎず、採用できない。」

また、DNA型鑑定と工具痕鑑定の双方が証拠とされていた事実(⑦の事実)についても、裁判所は、工具痕鑑定を除外しても、DNA型の一致のみから被告人を犯人と認定できるとして、結論を維持しました。

争点② 工具痕鑑定の信用性について

工具痕鑑定とは、工具の製造過程で表面に人為的にコントロールできない微細な凹凸が生じ、これで金属面をひっかくなどすると工具ごとに固有の線状の痕跡が生じることを利用して、現場の痕跡と工具との同一性を判定する鑑定手法です。本件の鑑定人は、この原理を、同じメーカー・型式の未使用のマイナスドライバー180本を用いた実験(福岡県警科捜研の実験)に言及して説明していました。

しかし、裁判所は、以下の点を指摘して、工具痕鑑定の信用性を高く評価した第一審の判断は是認できないとしました。

観点裁判所が指摘した疑問点
実験の前提鑑定人が依拠する実験は、未使用のマイナスドライバー(のビット)を「線条痕形成装置」を用いて作動させたものであり、本件とは異なる種類の工具を用いた実験であるから、本件でも同様のことがいえるのか疑問が生じる
推認力の程度類似の争点を扱った東京高裁令和元年8月8日判決の見解(同種の工具でも異なる工具による線状痕が顕著に類似する確率は低い、という程度のことはいえる)を仮に採用しても、本件の工具痕鑑定は、被告人の所持していた工具により工具痕が形成されたと認定できるほどの高い推認力は有せず、類似性が認定できるにとどまる
使用による変化犯行時期と工具の押収時期には最長で約1年の隔たりがあるところ、工具を繰り返し使用しても固有の特徴を有する工具痕が生じ続けるのかについて、鑑定人も、依拠する実験も、全く説明していない

3点目について、裁判所は、次のとおり判示しています。

「常識的に考えると、バール等の工具を、ドアノブや金庫の扉等の硬い物に作用させれば、製造された当初は、その表面に製造過程で生じた固有の特徴を有する凹凸部等があったとしても、次第に摩耗して当該凹凸部等が変化する可能性があるのではないのか、という疑問を禁じ得ない。」

その上で、裁判所は、本件の工具痕鑑定については、「各被害事務所の工具痕が、被告人の所持していた工具以外の工具により形成された可能性を否定することができない」と結論付けました。

争点③ 工具痕鑑定を「決め手」とした犯人性認定の当否について

裁判所は、科学的証拠を犯人性認定の決め手として使う場合に求められる証明の程度について、次のとおり判示しました。

「工具ごとに固有の特徴を有する線状の工具痕が生じることを原理とする工具痕鑑定を、指紋やDNA型の鑑定のように犯人性の決め手として使う以上、合理的な疑いをいれない程度に、当該工具痕が、被告人の所持する工具によってのみ形成が可能であり、他の工具では形成し得ないといえなければならない。」

そして、裁判所は、類似の鑑定を「情況証拠の一つ」として扱い、他の証拠との総合判断で結論を維持した東京高裁判決の事案と対比して、本件では、第一審が実質上、工具痕鑑定を決め手として被告人を犯人と認定しているから、工具痕鑑定によって犯人性を認定し得ない以上、その結論を維持できないと判断しました。

その結果、裁判所は、第一審判決を破棄し、DNA型鑑定により犯人と認定できる2件と、被告人が争っていなかった住居侵入・指定侵入工具の携帯のみを有罪とし、工具痕鑑定を決め手としていたその余の12件については「犯罪の証明がない」として、懲役4年を言い渡しました(証明がないとされた部分は、有罪が維持された部分と常習特殊窃盗の一罪を構成するため、主文において無罪の言渡しはされていません。)。

コメント

本判決は、個別の事案における証拠関係を踏まえた事例判断ですが、科学的証拠の評価という刑事裁判の課題について、以下の点で参考になるものといえます。

1 「鑑定」であれば決め手になるわけではないこと

本判決は、工具痕鑑定を指紋やDNA型鑑定のように犯人性認定の決め手として使うためには、当該工具痕が被告人の所持する工具に「よってのみ形成が可能であり、他の工具では形成し得ない」といえる必要があるという基準を示しました。科学的な装いを持つ証拠であっても、その識別力の程度は証拠の種類ごとに異なり、DNA型鑑定と同列に扱えるとは限らないことを、裁判所が明確に述べた点に意味があります。

第一審は、鑑定人が500件ほどの鑑定経験を有すること、複数の鑑定人の意見の一致を最上位の鑑定結果を出す条件としていること、同じメーカー・型式のマイナスドライバー180本を用いた実験の結果、工具の製造元の社員の供述との整合性などを積み上げて、工具痕鑑定は信用でき、犯行に使用された工具は被告人の所持していたバール等である「可能性が極めて高い」とし、その所持人である被告人が犯人であることが「強く推認される」という構造で有罪を認定していました。本判決は、この積み上げを頭から否定したのではなく、鑑定を犯人性認定の「決め手」として使う場合に要求される証明の水準を示した上で、本件の鑑定はその水準に達していないと判断したものです。同じ証拠であっても、要求される証明の程度をどのように設定するかによって、結論が変わり得ることを示しています。

2 鑑定の「前提」を検証する視点を示したこと

本判決が工具痕鑑定の信用性に疑問を呈した理由は、鑑定手法そのものの否定ではなく、①依拠する実験が本件と異なる種類の工具によるものであること、②工具の摩耗・変化の可能性について説明がないことという、鑑定の前提部分の検証にあります。専門家による鑑定であっても、その結論を支える実験や知見が当該事案に当てはまるのかという観点から吟味されることを示すものであり、鑑定書の内容を精査することの重要性がわかります。

この点は、第一審との対比が参考になります。第一審も、工具の摩耗に触れていましたが、それは、バールが使用等により磨耗した結果、工具痕の特徴が「偶々合致したとも考え難い」という、偶然の一致の可能性を否定する文脈での検討でした。これに対し、本判決が問題としたのは、犯行から押収までの最長約1年間の使用によって、工具表面の固有の特徴そのものが変化し、同一性の識別ができなくなるのではないかという、より根本的な疑問です。同じ「摩耗」という事実であっても、問いの立て方によって鑑定の評価が変わり得ることを示すものであり、鑑定書を検討する際の視点として参考になります。

3 証拠の使われ方(決め手か、情況証拠の一つか)で結論が分かれること

本判決は、同種の鑑定の信用性が争われた東京高裁判決の事案では他の情況証拠との総合判断によって結論が維持されたのに対し、本件では工具痕鑑定が犯人性認定の決め手とされていたという違いを重視しました。同じ種類の証拠であっても、それが証拠構造の中でどのような位置を占めるかによって、有罪認定を維持できるかどうかの結論が分かれることを示しています。

なお、この東京高裁判決は、公刊物に登載されていない裁判例であり、本判決を通じてその判断内容を知ることができるという点でも、本判決には資料的な価値があります。

4 刑事事件の当事者への示唆

捜査機関から「現場の痕跡があなたの持ち物と一致した」という鑑定結果を示された場合でも、本判決のように、鑑定の前提や推認力を法廷で争い、結論が覆ることがあります。他方で、DNA型鑑定のように識別力の高い証拠については、抽象的な疑いを述べるだけでは争えないことも、本判決は同時に示しています。どの証拠を、どのような根拠で争うのかという見極めは、刑事記録の精査と専門的な知識を要する作業であり、早い段階から弁護士に相談することが重要です。

おわりに

本判決が扱った科学的証拠の信用性という問題は、刑事事件の結論を左右する重要なテーマでありながら、ご本人やご家族だけで適切に対応することが難しい分野です。鑑定書の内容の検討や、鑑定人への尋問、控訴審での争い方については、刑事事件の経験を有する弁護士に相談することが有益です。

当事務所は、刑事事件のご相談・ご依頼をお受けしております。捜査を受けている方、ご家族が逮捕・起訴された方、判決の内容に納得がいかず控訴をご検討中の方は、本ウェブサイト右上の問い合わせフォームより、お気軽にご相談ください。

本コラムは、一般的な情報提供を目的として作成したものであり、個別の法律上のアドバイスではありません。具体的な事案については、本ウェブサイト右上の問い合わせフォームよりご連絡ください。