はじめに
従業員が業務中に交通事故を起こした場合、企業は使用者責任(民法715条)に基づき、被害者に対する損害賠償責任を負うことがあります。被害者が人身傷害保険(以下「人傷保険」といいます。)から保険金を受領していたときには、企業が支払うべき損害賠償額からこれをどのように控除すべきかが問題となります。被害者にも一定の過失があり過失相殺が行われる事案では、保険金の充当順序の取り方によって、企業が最終的に負担する金額が変わってきます。
今回のコラムでは、人傷保険金の充当順序および人傷一括払合意の効力について判断した東京高裁令和5年9月20日判決を取り上げ、その内容と企業実務に与える影響について解説いたします。
本判決は、人身傷害保険金の充当順序について判示した最高裁令和4年3月24日判決(民集76巻3号350頁)の射程を確認した高裁判例として位置付けられます。従業員の運転による交通事故をめぐる紛争を抱える企業や、その実務担当者にとって、保険金の充当方法を検討する上で参考となる判断であり、訴訟対応の方針を整理するための基礎資料となります。
事案の概要
本件は、控訴人会社(Y社)の従業員Bが運転する中型貨物自動車による交通事故で死亡したCの相続人ら(X1、X2、X3)が、Bの使用者である控訴人会社に対し、民法715条に基づき損害賠償を求めた事案です。本件事故は、平成27年12月4日午前3時50分頃、国道のバイパス上で発生したもので、認知症を患っていたCが深夜に同道路を横断中、Bが運転する被告車両に衝突したものでした。
事故後、被控訴人X2は、Cを被保険者とする人傷保険契約に基づき、保険会社(以下「人傷社」といいます。)から、人傷基準額(2,057万4,277円)ではなく自賠責基準額である2,092万円と定額給付金1,000万円の合計3,092万円を受領しました。その後、人傷社は、自賠責保険の保険者に対し、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」といいます。)16条に基づき2,092万円の支払を受けています。
原審は、本件事故の発生状況(深夜の幹線道路上で発生したこと、Cが歩道側ではなく路側帯側から横断していたこと、Cが高齢者であったこと等)を踏まえ、Cと加害者Bの過失割合を40対60と認定した上で、人傷社から受領した保険金相当額を先にC(被害者)の過失分から控除し、その残額を過失相殺後の損害賠償額から控除する方法により、被控訴人らの請求の一部を認容しました。
控訴審において、控訴人会社は、損害額や過失相殺については原判決を争わない一方、保険金の充当関係については、人傷一括払合意により支払われた2,092万円は実質的に自賠責保険金そのものであり、過失相殺後の損害賠償額の全額から控除されるべきであると主張しました。
本件の争点
本件の争点は、以下のとおりです。
| 争点番号 | 内容 |
|---|---|
| 争点① | 人傷一括払合意により支払われた保険金が、人傷保険金として扱われるか、自賠責保険金そのものとして扱われるか |
| 争点② | 過失相殺がある場合における、人身傷害保険金の損害賠償額からの充当順序 |
裁判所の判断
裁判所は、被控訴人らの請求を一部認容した原判決を維持し、控訴人会社の控訴を棄却しました。
本件約款の主な規定
裁判所の判断の前提として、本件で問題となった人傷保険の約款(本件約款)の主な規定を整理すると、以下のとおりです。
| 条項 | 規定の内容 |
|---|---|
| 1条 | 人傷社が人傷保険金を支払う義務の根拠規定 |
| 6条 | 損害額の算定方法(人傷基準と自賠責基準の比較、判決等が出された場合の損害額の取扱い) |
| 8条 | 支払保険金の計算方法(自賠責保険等によって既に給付が決定された金額の控除) |
| 29条 | 人傷保険金の支払により、保険金請求権者が有する債権が人傷社に移転することを定めた代位条項(本件代位条項) |
本判決の論理は、これらの条項の解釈を通じて、「人傷社からの支払が人傷保険金として性質決定されるか」、「過失相殺が行われる場合における人傷保険金の充当順序がどう解されるか」という二つの争点について判断を加えるものです。
争点① 人傷一括払合意により支払われた保険金の性質について
裁判所は、まず本件約款6条の解釈について、以下のとおり判示しました。
人傷社が支払う人傷保険金の額について、①本件約款所定の算定基準(人傷基準)によって算定するものとし、②自賠社が自賠責基準によって算定した自賠責基準額の方が上回る場合は自賠責基準額と同額にするものとし、③判決等において損害額(弁護士費用等を除く過失相殺前のもの)が認められた場合は、この額をもって本件約款上の損害額とみなすものとされており、同条項は、自賠責基準額をもって算定額とされる場合があるとしても、人傷社自身が人傷保険(契約)に基づいて支払うべき人傷保険金の額を算定する方法を定めたものといえる。
その上で裁判所は、本件における事実関係について、以下のとおり認定しています。
人傷社は、人傷基準額として2,057万4,277円と算定したが、自賠責基準額が2,092万円であったことから、保険金額を2,092万円と算定しているところ、これは、前記算定方法(本件約款6条)に従った算定方法であって、自賠責保険からの支払は未了であったから、人傷社は、被控訴人らに対し、人傷保険(契約)に基づき上記の額の給付義務を負っていたこととなる。
そして、人傷一括払合意の効力について、裁判所は、以下のとおり判示しました。
本件における人傷一括払に際し取り交わされた確認書(甲3。原判決別紙2)に加え、本件各証拠を精査しても、被害者側(本件では被控訴人X2)に対し、損害賠償額について人傷一括払によっても満足されない部分があり得ること、本来被害者が人傷社に優先して単独で行使し得る権利について、人傷社がこれを行使することを承諾し、それにより被害者は、権利行使をするのではなく人傷社に追加払を求めることになること、人傷社はそのような場合追加払に必ず応じることについて、十分説明され、被控訴人X2がこれを理解した上で人傷一括払を選択し、上記確認書記載の内容について具体的に合意したとは認められない。
裁判所は、判断にあたって以下の事実を考慮しました。
| 番号 | 考慮された事実 |
|---|---|
| 1 | 人傷社は、人傷基準額として2,057万4,277円と算定したが、自賠責基準額が2,092万円であったことから保険金額を2,092万円と算定したこと |
| 2 | 人傷社が支払った時点で、自賠責保険からの支払は未了であったこと |
| 3 | 確認書(甲3)には、保険金の支払をもって人傷保険契約の保険金の全ての支払が完了する旨記載されていたこと |
| 4 | 損害額積算明細書(甲4)は、人傷社の担当者が作成したものにすぎず、自賠責保険会社として正式に給付額が決定されていた証左とはいえないこと |
| 5 | 確認書の記載から、被害者が人傷保険金受領後の追加払請求権について明確に理解していたとはいい難いこと |
これらの事情を踏まえ、裁判所は、「人傷一括払により支払われた保険金は、人傷保険金ではなく自賠責保険金そのものであるとして、その全額が過失相殺後の加害者の損害賠償責任に填補されるべきであると解することは、当事者の合理的意思に合致しないというべきである」と判断しました。
争点② 人身傷害保険金の充当順序について
裁判所は、本件約款上の人傷保険の性質について、以下のとおり判示しました。
上記人傷保険は、加害者に対する損害賠償請求権の額について過失相殺がされる場合であっても、被害者側の過失の有無にかかわらず、その被った実損害額を填補する趣旨の損害保険であるということができる。
その上で、人傷保険の契約者の理解について、以下のとおり述べています。
人傷保険の契約者は、人傷社に対して人傷保険金の請求をするに当たり、被害者側に過失があって加害者に対する損害賠償請求権の額が過失相殺により減額されるような場合には、まずは人傷保険金を被害者側の過失に相当する部分に充当されるものと理解するのが通常というべきである。
さらに、本件代位条項についても、以下のとおり判示しています。
人傷保険金を支払った人傷社は、人傷保険金の額と被害者の加害者に対する過失相殺後の損害賠償請求権の額との合計額が、被害者について判決等において認められた上記損害額に相当する額を上回るときに限り、その上回る部分に相当する額の範囲で保険金請求権者の賠償義務者等に対する債権を代位取得することになると解される。
これらの判断を踏まえ、裁判所は、既払金である人傷保険金を、まずC(被害者)の過失分相当額から充当すべきであると結論付けました。具体的には、損害額合計2,225万0,156円について、人傷保険金相当額2,092万円のうちC過失分(40%、890万62円)から先に控除し、その残額1,201万9,938円を過失相殺後の損害額(60%、1,335万0,094円)から控除するという計算方法を採用しています。その結果、控訴人会社が負担すべき損害額は、弁護士費用相当額15万円を加算して148万0,156円と算定されました。
コメント
(1)本判決の意義
本判決は、最高裁令和4年3月24日判決の判断枠組みが、人傷一括払合意がある事案にも及ぶことを高裁レベルで確認した点に意義があります。
加害者側の企業が、人傷保険金が支払われた事案において、その支払を実質的に自賠責保険金そのものと位置付け、過失相殺後の損害賠償額の全額から控除しようと主張することは、実務上しばしば見られる場面です。本判決は、人傷一括払合意の存在自体だけでは、人傷社からの支払を「自賠責保険金そのもの」と評価することはできず、保険契約者である被害者が、追加払請求権を含む権利関係について十分な説明を受け、これを理解した上で具体的に合意したかどうかを精査する必要があるという立場を示しました。
(2)人傷保険金の全額控除には限界があること
従業員の業務上の交通事故に起因する民事訴訟においては、被害者が人傷保険金を受領している場合であっても、その全額を過失相殺後の損害賠償額から控除できるとは限りません。被害者の過失分から先に充当するという解釈に立つ場合、過失相殺後の損害賠償額からの控除額は減少するため、企業の負担額が想定より大きくなる可能性があります。賠償見込額の算定や和解水準の検討を行う際には、この充当順序を前提とした試算を行うことが望まれます。
(3)原審判決における人傷社の運用実態の事実認定
本件の原審判決においては、人傷社の運用に関する事実として、被害者の損害額および過失割合が決まった段階で、既に支払われた自賠責保険金を自賠責保険会社に組み戻した上で過失割合に応じて再分配するのが通例である旨の事実認定がなされています。この点は、加害者側企業が「自賠責保険金相当額の全額を控除しないと人傷社の負担が増加し被害者の損害填補に不足が生じる」と主張する場面において、事実認定上参照される業界実務として位置付けられます。訴訟対応にあたっては、人傷社における具体的な運用実態の確認や、こうした事実認定が結論に与える影響についても併せて検討することが有用です。
(4)同種事案を抱える企業への示唆
本判決は、人傷保険金が支払われた交通事故事件における企業の損害賠償実務にとって、保険金の控除関係に関する主張を整理する上で参考となる内容を含んでいます。同種事案を抱える企業においては、訴訟提起前の段階から、保険金の支払経緯や約款の内容を踏まえた検討を行うことが有用です。
おわりに
人身傷害保険金の充当順序や人傷一括払合意の効力をめぐる問題は、約款の解釈や事実認定の細部に左右されるため、事案ごとに専門的な検討を要します。従業員による交通事故について使用者責任を問われた企業や、保険金の控除関係に争いがある事案を抱える企業の担当者は、早期に弁護士に相談し、適切な対応方針を策定することが有益です。
当事務所は、企業の使用者責任が問題となる交通事故案件、保険金の充当関係をめぐる紛争、自動車保険・人身傷害保険に関する実務上の論点について、相談・ご依頼を多数取り扱っております。本判決のような論点についてご検討の必要がある場合は、お気軽にご相談ください。
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