03-6550-9202 (受付時間 平日10:00〜17:00)

お問い合わせ

フジロックで観たボブ・ディラン


こんにちは。

久しぶりのコラムです。

先日、フジロックで、あのボブ・ディランを観てきました。

 


思えば、中学生のころにはじめて彼のアルバムを聴いてから、早20年。

最近では、京都大学の式辞ページにディランの歌詞がアップロードされたことが著作権法の「引用」にあたるのか? というニュースもありましたので、セミナーや講演をする際にディランの話題に触れることもありましたが、ライブを観るのはこれがはじめて。

噂によると、ディランの最近のライブでは、原曲を跡形もなく崩して歌うらしいので、どんな感じになるのだろう? と楽しみに行ってきました。

 


ライブの前日には台風ではげしい雨が降ったようですが、当日の苗場は晴れ。

夕方に会場に着いて、文字通り風に吹かれながら開演を待ちました。

会場は、ディランの登場を待ち焦がれる人たちで後ろの方までギッシリ。

 

そして遂にディランが登場。

あまりにあっさりとステージに現れたので、みなさんリアクションが遅れていました(笑)

 

1曲目は比較的最近のナンバー「Things have Changed」でスタート。

たしかに原曲とアレンジが違います。

違うけれど、エッジが立っているサウンドでとても格好いい。

バンドは、ギターのチャーリー・セクストンをはじめ、ディランのツアーではおなじみのメンバー。

アレンジは原曲のひとひねりどころではなく、どの曲も時にスウィングし、時にグルーヴしながら、軽快で、ノリのいい骨太のロックンロールを披露してくれます。

 


そして、やはり別格だったのが、ディランの「歌」

噂で聞いたとおり、歌の崩し方というか、言い放ち方がものすごい。

時代が変われば、歌い方も変わる。

いつまでも若くあろうなんて少しも思っていないような、幾重にもしゃがれきった声。

メロディラインはほとんど歌わず、リリックの1行1行が、無骨に鋭く放たれます。

 

メロディをほとんど歌わないので、原曲が何なのかこんがらがりそうになりながら、歌詞からなんとか推測することになります。

たとえば、

「God said to Abraham …」で始まれば、「あっ、『追憶のハイウェイ61』だ!」

「wonder why,babe…」と聞こえれば、「これは、『くよくよするなよ』だ!」

といった具合に、早かれ遅かれ、気づいた観客があちこちで歓声をあげていました。

会場は、さながら巨大なイントロクイズ大会(笑)

 


けれども途中からは、「この曲は何の曲なのか?」ということは気にならなくなります。

この、とにかくスウィンギーで、アーシーで、足踏みさせるサウンドに乗せて放たれる1行1行の詩の、その泥臭いシャープさを、苗場に吹きつける風とともに受け止めること、それがこの音楽の楽しみ方なのだと実感しました。

 

メロディをあえて歌わないことによって、かえって詩の一言一句がそのままの形で聞き手に伝わる。

詩人が、詩のありのままの伝達者になる。

それこそが、この、現代のすぐれた詩人のヴィジョンなのかもしれません。

 

また、ディラン自身が弾くピアノの、50年代のロックンロールを思わせる力強いアタックや、ハーモニカの目の覚めるような音色も、苗場の山中にとてもよく響いて、フジロックの音響が野外フェス界では世界有数だと言われるのも納得です。

 

そんなわけで、最後に、やっぱりアレンジされすぎた「風に吹かれて」を堪能して、1時間半のステージはあっという間に終わりました。

 


ディランの後は、おなじく大好きなアメリカのバンド、ダーティー・プロジェクターズと、ヴァンパイア・ウィークエンドをそれぞれ観て、どちらもパワフルなステージで大満足だったのですが、帰り道でどんどん印象が強くなるのは、やはりディランの我が道を行くパフォーマンス。

 

余韻が何とも果てしなくて、家に帰ってディランをCDで聴き返しても、どの曲も、ライブのアレンジのように頭の中で変換して聴いてしまいます(笑)

まさにシングス・ハヴ・チェンジド。

私もこれまでたくさんのライブを観てきましたが、こんな経験は初めてです。

 


音楽のマジックをたっぷりと味わいました。

願わくば、またディランのライブを観たいものです。

弁護士 数藤 雅彦