司法取引の導入
「刑事訴訟法等の一部を改正する法律」(平成28年法律第54号、以下「改正法」といいます)が平成28年5月24日に成立し、6月3日に公布されました。
改正法の内容は多岐にわたりますが、いわゆる日本版司法取引(正式名称は「証拠収集等への協力及び訴追に関する合意制度」)については、独占禁止法などの企業犯罪にも適用されるため、司法取引の導入により企業犯罪の捜査手法が大きく変容し、結果として企業として求められる不祥事対応についても変化が生ずるとの指摘がなされています。
それでは今回導入された司法取引とは具体的にどのような制度なのでしょうか?
今回のコラムでは、改正法のうち司法取引の概要について解説をしたうえで、次回のコラムにおいて、司法取引制度の導入が企業の不祥事対応に与える影響について解説をしたいと思います。
(なお、司法取引制度は、公布の日から2年を超えない範囲で政令で定める日から施行される予定であり、制度の詳細については未だ明らかではないところも多いため、詳細が固まり次第、追記する予定です)。
司法取引とは?
司法取引は、被疑者または被告人が検察官による「他人の刑事事件」の捜査・訴追へ協力することと引き換えに、検察官が協力をした被疑者・被告人に対し不起訴処分や求刑の軽減等を約束するという取引を認める制度とされています。
これまでの刑事手続においても、検察官には広い訴追裁量が認められており(刑事訴訟法248条)、被疑者が捜査機関の捜査に協力している事情を有利に斟酌して、不起訴処分としたり求刑の軽減等を行うことは、実務上可能とされていました。
しかしながら、法律上の制度ではなく、あくまで運用上の約束にとどまることから、被疑者や被告人の立場からは、捜査に協力をしても検察官が約束を守る保証はなく、約束に反した場合の結論も不透明であり、極めて不安定な立場に置かれることとなるため、検察官との間で上記の内容の取引をすることには慎重にならざるを得ないのが実情でした。
また、検察官の立場としても、約束や利益誘導により得た供述については、虚偽であるおそれが高いことを理由として、証拠として用いることができない(任意性を欠く)と判断されることも多いことから、不起訴処分等を約束に捜査への協力を求めることは、厳に慎んでいたのが実情のように思います。たとえば、昭和41年7月1日の最高裁第二小法廷判決では、
「被疑者が、起訴不起訴の決定権を持つ検察官の、自白をすれば起訴猶予にする旨の言葉を信じ、起訴猶予になることを期待してした自白は任意性に疑いがあるものとして、証拠能力を欠くものと解するのが相当である。」
と判示されていました。
改正法により導入された司法取引は、弁護人の関与を必要的とし(改正法350条の3)、虚偽供述に対する罰則を整えるなど利益誘導による虚偽供述を排除する仕組みを制度的に担保したうえで、検察官が被疑者や被告人に対し不起訴処分や軽い求刑等を行うことを約束し、その見返りとして捜査に協力することを正面から認めたものと評価されています。
司法取引の概要
それでは、改正法により導入された司法取引とは、具体的にどのような制度なのでしょうか?
司法取引の概要について、見てみることにしましょう。
司法取引の要件①(「他人の刑事事件」に関する捜査・訴追協力)
今回導入された司法取引では、被疑者や被告人による捜査協力があれば、すべて取引の対象とされるわけではなく、「他人の刑事事件」に関する検察官の捜査・訴追に協力する場合に限り、検察官と取引を行うことができるとされています(改正法350条の2第1項)。
そのため、被疑者・被告人がいくら自分が犯した罪を認め、積極的に検察官に対し自ら犯した犯罪を立証する証拠を提供したとしても、司法取引は成立しません(なお有利な情状として斟酌されることはあり得るでしょう)。
この点がいわゆる自己負罪型司法取引をも認めているアメリカの司法取引との違いと指摘されています。
「他人の刑事事件」の訴追に協力するとは、典型的には、被疑者や被告人が関与した犯罪の共犯者に対する訴追に協力することを指しますが、制度上は、被疑者や被告人が関与していない(すなわち共犯関係にはない)ものの、知識として知っている「他人の刑事事件」の訴追に協力することも含みます。
もっとも、国会審議において指摘されたように、自らが全く関与していない犯罪について司法取引を認めることは、冤罪を引き起こすおそれも認められることから、検察官が司法取引の必要性を判断するに際しては、被疑者や被告人が犯した犯罪と捜査・訴追協力を求める犯罪との関連性の程度も考慮するとされています(改正法350条の2第1項本文)。
(なお「犯罪の関連性」は考慮要素に過ぎず、制度上は、前述のとおり、自らが関与していない犯罪について訴追協力することでも司法取引を行うことも可能と理解されています)。
司法取引の要件②(「特定犯罪」に係る被疑者・被告人に限られること)
次に、司法取引は、あらゆる犯罪に適用されるわけではなく、対象が「特定犯罪」と呼ばれる一定の犯罪に限定されています。
改正法350条の2第2項各号に列挙されている「特定犯罪」は以下のとおりです。
【特定犯罪】
競売妨害等 (刑法96条から96条の6の罪) | ・封印等破棄罪 ・強制執行妨害目的財産損壊罪 ・強制執行行為妨害罪 ・強制執行関係売却妨害 ・加重封印等破棄罪 ・公契約関係競売等妨害 |
文書偽造等 (刑法155条、155条の例により処断すべき罪、157条の罪、158条の罪、159条から163条の5までの罪) | ・公文書偽造罪 ・虚偽公文書作成罪 ・公正証書原本不実記載罪 ・偽造公文書行使罪 ・私文書偽造罪 ・虚偽診断書作成罪 ・偽造私文書行使罪 ・電磁的記録不正作出(供用)罪 ・有価証券偽造罪 ・偽造有価証券行使罪 ・支払用カード電磁的記録不正作出罪 ・不正電磁的記録カード所持罪 ・支払用カード電磁的記録不正作出準備罪 |
贈収賄 (刑法197条から197条の4までの罪、198条の罪) | ・収賄罪 ・受託収賄罪 ・事前収賄罪 ・第三者供賄罪 ・加重収賄罪 ・事後収賄罪 ・あっせん収賄罪 ・贈賄罪 |
詐欺・恐喝 (刑法246条から250条までの罪、252条から254条までの罪) | ・詐欺罪 ・電子計算機使用詐欺罪 ・背任罪 ・恐喝罪 ・横領罪 ・業務上横領罪 ・遺失物等横領罪 |
組織的競売妨害等 組織的詐欺・恐喝 (組織犯罪処罰法3条1項1号から4号までならびに13号及び14号の罪、同法4条の罪) | ・組織的封印等破棄罪 ・組織的強制執行妨害目的財産損壊罪 ・組織的強制執行行為妨害罪 ・組織的強制執行関係売却妨害罪 ・組織的詐欺罪 ・組織的恐喝罪 |
マネーロンダリング (組織犯罪処罰法10条及び11条の罪) | ・犯罪収益等隠匿罪 ・犯罪収益等収受罪 |
財政経済関係犯罪 | ・租税に関する法律 ・私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律 ・金融商品取引法に規定する罪 ・その他財政経済関係犯罪として政令で定めるもの |
薬物・武器関係犯罪 | ・爆発物取締法 ・大麻取締法 ・覚せい剤取締法 ・麻薬及び向精神薬取締法 ・武器等製造法 ・あへん法 ・銃砲刀剣類所持取締法 ・国際的な協力の下に規制薬物に係る不正行為を助長する行為等の防止を図るための麻薬及び向精神薬物取締等の特例等に関係する法律に違反する罪 |
特定犯罪についての証拠隠滅等 (刑法103条、104条もしくは105条の2の罪または組織犯罪処罰法7条1項1号から3号に掲げる者に係る同条の罪(いずれも上記各特定犯罪を本犯の罪とするものに限られる) | ・特定犯罪の犯人についての犯人蔵匿罪、証拠隠滅罪、証人威迫罪、組織的な犯罪に係る犯人蔵匿罪等 |
特定犯罪について、注意すべき点としては、
①財政経済関係犯罪について政令で定めるものを特定犯罪とすると規定されているため(改正法350条の2第2項第3号)、今後制定される政令により財政経済犯罪として分類されうる犯罪(たとえば、外国公務員贈賄罪(不正競争防止法18条)など)が特定犯罪として追加される可能性があること
②特定犯罪に関して犯人隠避や証拠隠滅が行われた場合には、犯人蔵匿罪や証拠隠滅罪、証人等威迫罪も特定犯罪とされること(同項第5号)
が挙げられます。
その一方で、裁判員裁判対象事件や傷害罪・性犯罪などの身体的・精神的被害を伴う犯罪、企業が当事者となることが多い各種業法や廃棄物処理法等の環境法令、さらには製品事故や労災事故などで問題となる業務上過失致死傷罪(刑法211条)については、現時点では「特定犯罪」とはされていません。
司法取引の要件③(弁護人の必要的関与)
次に司法取引を行う場合には、被疑者・被告人だけではなく弁護人の関与が必要的とされています(改正法350条の3及び4参照)。
すなわち、司法取引の主体は、検察官と被疑者または被告人ですが(法350条の2第1項柱書)、合意には弁護人の同意が必要とれ(350条の3第1項)、合意の内容は検察官、被疑者または被告人のほか、弁護人も連署して、書面で明らかにする必要があります(同条第2項)。
これは、司法取引を行うに際し、被疑者や被告人のみでは検察官と対等な協議を行うことが困難であると考えられるためです。
(もっとも、被疑者・被告人及び弁護人に異議がないときは協議の一部を被疑者・被告人または弁護人のいずれか一方が行うことができるとされています(改正法350条の4ただし書))。
司法取引における被疑者・被告人の捜査・訴追協力の内容
それでは司法取引に際し、被疑者・被告人には具体的にどのような捜査・訴追への協力行為が求められるのでしょうか?
改正法350条の2第1項第1号では、
①検察官、検察事務官または司法警察職員の取調べに際して当該他人の犯罪事実を明らかにするため真実の供述をすること
②当該他人の刑事事件の証人として尋問を受ける場合において真実の供述をすること
③当該他人の犯罪事実を明らかにするため証拠物を提出すること
④上記①から③に付随する行為であり、合意の目的を達成するために必要な行為
が挙げられています。
司法取引における検察官の対応
これに対し、被疑者や被告人の捜査・訴追協力への見返りとして、検察官が提供する減免行為としては、被疑者・被告人自身の被疑事件・被告事件について、
①公訴を提起しないこと
②すでに提起された公訴を取り消すこと
③特定の訴因・罰条により公訴を提起・維持すること
④特定の訴因・罰条の追加、撤回、変更を裁判所に請求すること
➄被告人に特定の刑を科すべき旨の意見を陳述すること
⑥即決裁判手続き申立てや略式命令請求といった簡易な手続での訴追をすること
⑦上記①から⑥に付随する行為であり、合意の目的を達成するために必要な行為
が挙げられています(改正法350条の2第1項第2号)。
司法取引が法律上の制度として導入されることにより、検察官は、上記の各裁量権の行使を見返り(条件)とし、被疑者や被告人から他人の刑事事件に関する捜査・訴追に対する協力を引き出すことが法律上の制度として可能となったと言えるでしょう。
司法取引の進め方
それでは、司法取引は具体的にどのように進められるのでしょうか?
被疑者や被告人と検察官との協議が具体的にどのように開始されるかは、法律上は定められていません。
一般的には、検察官から前述した各種の見返り(被疑者・被告人にとってのインセンティブ)を提示したうえで、捜査・訴追への協力を求めることが多くなると思われますが、衆議院法務委員会における刑事局長の答弁でも、
「(協議の)開始をいずれから申し入れるか、検察官側から申し入れるか、あるいは被疑者、被告人、弁護人側から申し入れるかということについては、これは事案によっていずれもあり得るものと考えます」
と説明されているとおり、被疑者・被告人側から積極的に捜査・訴追への協力を申し出て、その代わりに一定の利益を求める形で開始されることも許容されています。
どのような場合に司法取引が成立するかは、事案の内容や協議時の状況によって様々だと考えられますが、たとえば、
被疑者や被告人が他人の犯罪捜査について決定的ないし重要な証拠を提供できる立場にあり、かつ、捜査機関側も未だ当該他人の刑事事件を訴追するのに十分な証拠を獲得できていない場合
などにおいては、被疑者・被告人側からの捜査協力は、検察官にとっても十分に検討に値するものとなり、被疑者・被告人がより自己に有利な条件で取引を結ぶことも可能になると考えられます。
このため、被疑者・被告人の立場からは、自らが情報を知る他人の刑事事件の捜査状況はどのようなものか、捜査機関はどのような証拠を把握しているのかなどの事情を考慮し、司法取引に向けた協議を開始するかどうか、戦略的に検討することが必要になります。
特に提供しようとする証拠価値がどれほどのものか、訴追機関にとって本当に価値があるといえるものか、十分に見極めたうえで、検討する必要があります。
司法取引が成立した場合
最終的に協議が成立した場合、検察官、被疑者・被告人及び弁護人が連署した合意書面を作成することとされています(改正法350条の3第2項)。
合意書面の具体的な記載事項は、法文上は明らかでなく、今後、政令や規則等で明らかになるものと思いますので、詳細が判明次第、追記する予定です。
なお、合意が成立した場合、検察官は、司法取引に応じた被告人の公判においては、当事者の連署で作成した合意書面を証拠として取調べ請求する義務を負います(改正法350条の7)。
司法取引が成立しなかった場合
これに対し、司法取引の成立を目指し、被疑者・被告人側と検察官が協議を行ったものの、最終的には合意が成立しなかった場合はどうなるのでしょうか?
前提として、検察官としては、被疑者・被告人が具体的にどのような供述を行うかを知らない限り、司法取引に応じるか否かの判断ができないことから、協議の過程では、検察官は、被疑者・被告人に対し他人の刑事事件について供述を求めることができるとされています(改正法350条の5第1項)。
しかしながら、検察官をして被疑者・被告人が提供できる供述がさほど重要ではないと判断した場合や被疑者・被告人をして警察官が提供した見返りが司法取引に応じる見返りとして割に合わないと判断した場合には、合意は成立しないことになります。
改正法では、仮に合意が成立しなかった場合について、被疑者又は被告人が検察官との協議において行った他人の犯罪事実を明らかにするための供述は、これを証拠とすることができないとされています(改正法350条の5第2項)。
そのため、協議の過程で他人の刑事事件について、被疑者・被告人の調書(供述録取書)や報告書が作成されていた場合でも、当該調書等は他人の刑事事件において証拠として用いることはできません。
司法取引が成立しなかった場合の派生証拠の取り扱い
それでは最終的に司法取引は成立しなかったものの、協議の過程で行われた被疑者や被告人の供述を手掛りとして、捜査機関が捜査を行った結果、新たな証拠(「派生証拠」)を発見した場合、派生証拠については、どのように取り扱われるのでしょうか?
法制審議会における議論の中では、派生証拠の使用も禁止すべきであるとの指摘もなされていましたが(たとえば、新時代の刑事司法制度特別部会・第1作業分科会(第6回)議事録参照)、派生証拠の使用まで禁じた場合には、捜査機関の捜査活動を著しく制約することになることから、派生証拠の使用については禁止しないこととされています。
被疑者・被告人の立場からは、協議の中での供述をきっかけとして得られた証拠(派生証拠)に基づき、自らが訴追されるリスクが残ることになります。
そのため、被疑者・被告人が司法取引を申し出る場合、あるいは検察官からの司法取引の申し出に応じる場合には、検察官との合意が成立しなかった場合、協議の過程で検察官に対し説明した内容から派生して、他人または自己に不利な証拠が獲得されるリスクについても十分に検討したうえで、司法取引に向けた協議を開始するか否かを戦略的に判断することが必要となります。
司法取引(合意)の終了事由(①合意違反)
ひとたび被疑者・被告人と検察官が合意に達したものの、一方当事者が合意の内容に違反した場合には、合意が終了するものとされています(改正法350条の10第1項第1号)。
被疑者・被告人が司法取引応じ、自己の刑事事件につき不起訴処分となったものの、後に合意通りに調書を作成することを拒否したり、証言を拒んだ場合には、検察官は合意から離脱することが認められ、すでに不起訴処分となった事件を再度起訴することも可能とされます。
逆に、検察官が合意に違反した場合には、被疑者・被告人も合意から離脱することが認められ、他人の刑事事件の捜査に協力する義務は負わないことになります。
もっとも、検察官が合意に違反した場合に、すでに提供した証拠が検察官に証拠として利用されてしまうのでは、合意からの離脱を認める意味がなくなってしまうことから、改正法では、検察官が合意に違反した場合には、被疑者・被告人は協議の過程で行った供述、あるいは合意に基づいて行った供述や提供した証拠については、証拠として用いることはできないとされています(改正法350条の14第1項)。
司法取引(合意)の終了事由(②被疑者・被告人の離脱)
次に改正法では、以下の場合に被疑者・被告人が合意が離脱することを認めています(改正法350条の10第1項第2号)
①合意に基づき検察官が行った訴因又は罰条の追加、撤回又は変更の請求について裁判所がこれを認めなかったとき
②合意に基づき検察官が軽い求刑をしたにもかかわらず、裁判所が検察官の求刑よりも重い刑の言い渡しをしたとき
③合意に基づき検察官が即決裁判手続の申し立てをしたにもかかわらず、裁判所がこれを却下し、または即決裁判手続きにより審理することの決定を取り消したとき
④合意に基づき検察官が略式命令の請求をしたにもかかわらず、裁判所が略式命令手続によることが相当ではないなどとして、通常の裁判により審理することとした場合、または、略式命令に対して検察官が正式裁判の請求をした場合
これは、検察官が提供する見返りの中には、検察官が最終的な決定権限を有しておらず、合意に基づく見返りが実現されない事態が生ずることを考慮したものです。
司法取引(合意)の終了事由(③検察官の離脱)
他方、改正法は、以下の場合に検察官が合意から離脱することも認めています(改正法350条の10第1項第3号)。
①被疑者・被告人が協議の過程で行った他人の刑事事件についての供述の内容が真実でないことが明らかとなったとき
②被疑者・被告人が合意に基づいて行った供述の内容が真実でないことが明らかとなったとき
③被疑者・被告人が合意に基づいて提出した証拠が偽造・変造されたものであることが明らかとなったとき
司法取引(合意)の終了事由(④検察審査会の議決)
被疑者を起訴するかどうかは、検察官の専権事項であるため、司法取引により不起訴処分にすることを合意した場合には、それが最終決定になるのが原則です。
しかしながら、検察官の不起訴処分は、検察審査会による審査の対象となる場合があり得ることから、改正法は、検察審査会において「不起訴不当」や「起訴相当」等の議決がなされた場合については、司法取引の合意は効力を失うと規定しています(改正法350条の11)。
司法取引(合意)が終了した場合の証拠の取り扱い
前述のとおり、司法取引の協議を開始したものの、合意が成立しなかった場合、被疑者・被告人が検察官との協議において行った他人の犯罪事実を明らかにするための供述は、原則として証拠とすることができません(改正法350条の5第2項)。
これに対し、いったんは合意が成立した場合には、後に被疑者・被告人が合意から離脱したり、検察審査会の議決により合意の効力が失われた場合でも、協議の過程で被疑者・被告人が行った供述や提供した証拠について、ただちに証拠として用いることが許されなくなるわけではありません。
被疑者・被告人が合意から離脱したり、合意の効力が失われた場合に、提供した証拠の使用が制限されるのは、以下の①②の場合に限られます。
①検察官の合意違反により、被疑者・被告人が合意から離脱した場合(改正法350条の14第1項)
このため、検察官の合意違反以外の理由により被疑者・被告人が合意から離脱した場合については、協議の過程で行った供述や合意に基づき提供した証拠を証拠として用いることは法律上制限されません。
たとえば、
司法取引により検察官が軽い求刑を行うことに合意し、実際に合意した求刑を行ったものの、裁判所が求刑を上回る判決を下した場合
被疑者・被告人は合意から離脱することができるものの(改正法350条の10第1項第2号②)、協議の過程で被疑者・被告人が行った供述を検察官が証拠として用いることは制限されません。
次に、以下の場合も提供した証拠の使用が制限されます。
②検察官が不起訴処分に合意したものの、検察審査会が「不起訴不当議決」等をしたことにより合意の効力が失われ、その後、起訴された場合(改正法350条の12第1項)
この場合、協議の過程での供述や合意に基づいてした行為により得られた証拠、これらの証拠に基づいて得られた派生証拠については、当該被疑者・被告人の刑事事件においては、これを証拠とすることができませんが、検察官が他人の刑事事件において証拠として用いることについては、制限はありません。
このように、ひとたび司法取引が成立し、「他人の刑事事件」への捜査・訴追のための協力を行った後では、検察官による合意違反が行われた場合を除き、被疑者・被告人が合意から離脱したり、合意の効力自体が失われた場合でも、捜査機関は既に入手した証拠を広く利用できることに注意が必要です。
司法取引導入により懸念される弊害への手当
改正法では、冤罪や司法取引を利用した共犯者への罪のなすりつけを防止するため、合意に違反して、検察官、検察事務官又は司法警察職員に対し、虚偽の供述をし又は偽造若しくは変造の証拠を提出した場合には、懲役5年以下の罰則に処する旨を設けています(改正法350条の15第1項)。
司法取引と刑事免責制度の関係
最後に、司法取引とともに、今回の改正法により導入された刑事免責制度について概要を説明したうえで、司法取引と刑事免責制度の関係について簡単に解説をいたします。
刑事免責制度とは、証人尋問によって得られた供述及び派生証拠は原則として証人に不利に用いることができないこととする代わりに、証人尋問において自己負罪拒否特権(証言拒絶権)をもって証言を拒絶することができないという条件の下で証人尋問を行う制度です。
従前、刑事免責制度については、平成7年2月22日最高裁大法廷判決により
「これを採用するのであれば、その対象範囲、手続要件、効果等を明文をもって規定すべきものと解される。しかし、我が国の刑訴法は、この制度に関する規定を置いていないのであるから、結局、この制度を採用していないものというべきであり、刑事免責を付与して得られた供述を事実認定の証拠とすることは、許容されない」
と判示されていました。
改正法は、上記最高裁判決を踏まえ、明文にて刑事免責制度を導入したものです。
刑事免責制度は、供述証拠の獲得を容易にするための制度として司法取引と共通する機能が期待されているものの、刑事免責制度は証人が刑事責任を追及されている刑事事件について有利な取扱いを約束する制度ではないことから、その内容は大きく異なります。
また、司法取引は、被疑者・被告人が他人の刑事事件に対する捜査に協力する意思を持たなければそもそも合意が成立することはないのに対し、刑事免責制度は、刑事免責を付すことにより証言を強制できるため、他人の刑事事件についての捜査に協力することを拒む者からも供述を獲得できる点が異なります。
それでは、司法取引と刑事免責制度はどのような関係に立つのでしょうか?
司法取引と刑事免責制度とは併用されることは少ないと考えられるものの、衆議院法務委員会における刑事局長の答弁では、
「合意制度(※司法取引のこと)と刑事免責制度は別個の制度でございますので、法的な意味におきましては、被疑者と検察官との合意がなされた場合において、かつ、免責制度の要件を満たす場合には、その合意に基づいて行う証人尋問について刑事免責という制度を利用することは、法的に可能でございます」
(※平成27年5月20日衆議院法務委員会:林眞琴法務省刑事局長の回答)
との答弁がなされており、法律的に両制度を併用することは可能であることから、たとえば、被疑者・被告人側が検察官に提供し得る他人の刑事事件の証拠価値が極めて高い場合などにおいては、被疑者・被告人の側から検察官に対し刑事免責を付与したうえでの証言という形で捜査協力を申し入れることも検討に値するように思われます。